今年最後の卓球でしたので18名も参加者があり、大盛況でした。その代わりに休憩時間が多くてごちゃごちゃして相手が続けて同じ人になったりで家人は不満だったが、そんな表情はその場では見せてはいけないと気持ちを切替えて楽しくするようにしていたと帰って来てから私に言った。ただ単に来た球を打つのではなく、こうしたらどう、ああしたらどうと、新しい打ち方を練習しながら試していたらしい。家人の卓球ももう長い年数をしているが、他の上手な人と比べると基礎からの技術練習が出来ていないので長い割りには上達はしていない。しかし、諦めずに長く続いていることを佳〔よし〕としなければいけないと私は思います。こういう行く場所があることはよいことだと思います。この場所で卓球が始まって最初から来ていたOさんが来なくなり、どうされたのかと思っていましたが半年?、それ以上かも知れませんが今日、久しぶりに来られた。皆から心配していたと声を掛けられていました。温かく迎えられるといろんなことがあってもひととき忘れることが出来ます。ただ単に上達だけが目的ではないように考えます。今日、行く所があり、他人〔ひと〕とのつながりを大切にしていきたいとあらためて思いました。~ 「歳がいくと教養(今日、用がある)と教育(今日、行くところがある)が必要だ」と古いことばを思い出しました ~
◆海老と玉ねぎのフライ ◆レンコンハンバーグ ◆赤蕪の甘酢漬け ◆味噌汁 ◆ご飯
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