NHKの憲法記念日の特集番組で第25条を取り上げていた。言うまでもなく第25条は「生存権」を規定したものである。
第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」という規定の「文化的」について、演劇や絵画鑑賞のできる程度の生活も保証しなければと言うのとは大分違うのではないかと思う。
これは本来「文化」という言葉の持つ意味が深くかかわっており、そのことを理解しなければこの条文を本当に理解できないのではないだろうか。
現在の日本において第25条の存在は大きく、それを具体化する必要性を感じた。
そんな中で、「文化」に関連して、ふとあることを思い出した。
かつて、「行政の文化化」について議会で取り上げたことがあった。
相当前の話で、いつだったか記憶にないが、当時、企業の考え方に変化が生じ、コーポレートアイデンティティ(Corporate Identity )という概念に注目が集まっていた。TVコマーシャルも企業が販売する物を直接・ストレートに表現するのではなく、会社のイメージや社会貢献に資する姿を映像化し、企業のアイデンティティを表面に出すという方向に変わってきていた。
行政も、東京都が先駆けとなって、コーポレートアイデンティティをもじって、シティアイデンティティ(CI)ということを言い出した。
つまり、各自治体がその街の持つ歴史的背景や地域性、住民のパワー等の特性を生かし、更に発展させていくことが地域住民にとって住んでよかったという街になることの要件であると感じたからであろう。
これが、のちに地方分権の確立につながり、都市間競争へとの流れを作ったものと思われる。
その頃、行政の文化化ということも言われ始めた。
当時、議会で「行政の文化化」を取り上げると、文化行政と混同され、議論が噛み合わなかったことを思い出す。
憲法第25条でいうところの「文化」とは、単に演劇とか絵画とか彫刻、音楽という「狭義」の文化ではなく、むしろ「行政の文化化」でいう「文化」に近いものだと思う。
そろそろ本題に入らなければならないが、次の予定が入っており、日を改めて書くこととする、取敢えず本日はこれまで。