TVのお正月番組もあまり面白くないので、撮り貯めたヴィデオを見よおと、スイッチを入れたたところ、すべて消えてしまっていた。
正月早々何ということだがっかりした。
対談やインタビュー、トーク番組も多くあった。
そこで思い出したのが、再び「書き言葉と話し言葉」である。
茂木健一郎の「脳と仮想」の中で、著者は小林秀雄について紹介している。
小林秀雄の書かれた文章と講演の違いをを比較している。
「練りに練った文章」と「まるで酔っ払いと居酒屋で議論しているような気分」と著者が言っているように、その違いと特色を感じる。
確かに、自分の考えを人に伝えるには、書き言葉と話し言葉があり、その場面場面で使い分ける。
しかし、話し言葉で書かれた名著が古今東西にある。
茂木健一郎の著書でも紹介されている、プラトンもその著作は対話形式で書かれている。
意外と知られていないが、日蓮仏法の神髄とも言われている「立正安国論」も旅客と主人の対話形式で書かれている。
一対一の対話がいかに大事であるか、歴史の示すところである。
公職選挙法が対話を中心とする戸別訪問を禁止する等変えなければならないであろう。
多摩川から望む元朝の富士