堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

どんど焼準備・体協賀詞交換会

2010年01月10日 | 日記

 恒例の錦町のどんど焼の準備を多摩川の河川敷で行いました。
 風も無く、温かい一日でした。明日もこんな一日であってほしいものです。
 櫓に組む竹は、昨年市民会館で行った七夕の竹を使いました。ちょうど手ごろでかっこうの良いものができました。

      

 多摩川では暖かな日差しに誘われるように白鷺の一群が飛来しました。

     

 夜は、クレストホテルで立川市体育協会の賀詞交歓会が行われました。
 NPO法人になって初めての賀詞交歓会で、約200人の出席がありました。
 来賓の祝辞に法人化した対協に対する期待の声が多かった。
 昨年は、残念ながら指定管理者にはなんれなかったが、立川市のスポーツ振興政策の貧困さを感じた一年でありました。

      


続 書き言葉と話し言葉

2010年01月04日 | 日記

 TVのお正月番組もあまり面白くないので、撮り貯めたヴィデオを見よおと、スイッチを入れたたところ、すべて消えてしまっていた。
 正月早々何ということだがっかりした。
 対談やインタビュー、トーク番組も多くあった。

 そこで思い出したのが、再び「書き言葉と話し言葉」である。
 茂木健一郎の「脳と仮想」の中で、著者は小林秀雄について紹介している。
 小林秀雄の書かれた文章と講演の違いをを比較している。
 「練りに練った文章」と「まるで酔っ払いと居酒屋で議論しているような気分」と著者が言っているように、その違いと特色を感じる。

 確かに、自分の考えを人に伝えるには、書き言葉と話し言葉があり、その場面場面で使い分ける。

 しかし、話し言葉で書かれた名著が古今東西にある。
 茂木健一郎の著書でも紹介されている、プラトンもその著作は対話形式で書かれている。
 意外と知られていないが、日蓮仏法の神髄とも言われている「立正安国論」も旅客と主人の対話形式で書かれている。

 一対一の対話がいかに大事であるか、歴史の示すところである。

 公職選挙法が対話を中心とする戸別訪問を禁止する等変えなければならないであろう。

     
              多摩川から望む元朝の富士


元日の太陽

2010年01月02日 | 日記

 大晦日に夕方の富士山、元日に初日の出というが例年のパターンだったが、今回は、アクシデントがあり崩れてしまった。

 今年の主役は、朝も夕方も富士山ということとなった。
 場所も若干変わった。
 朝8時ごろ、中央線の鉄橋の西側に行ってみると堤防の工事中。やや西側に移動したが、八王子にある実験用のエレベーター塔がやはり邪魔になる。
 そこで福祉会館の南側の土手に移動した。

      

 夕方、朝と同様に福祉会館の南側に行った。
 太陽が富士山に沈む瞬間は何の細工なしの写真なので見られたものではない。
 今後、研究の要あり。
 少なくとも今年の大晦日の写真はもう少し様になったものをと思っている。