紅と福の週便り

紅太郎は虹の橋へ旅立ってもブログの中ではずっっっと一緒です。弟福太郎の成長を優しく見守ってくれることでしょう。

高野山パート3

2015-10-23 06:00:01 | 福太郎
                       





「おかしゃんたち、朝ご飯美味しそうらな~




「ぼくにもちょらい? 」




 朝6時半から勤行がありました ここ数年悲しいことが続いたこともあり、ご供養をお願いしてしっかりお祈りしました 椅子を準備して下さったので助かりました 3人でお経を唱えて下さったのですが、まるで合唱のように調和して心地よかったですよ その後はいつもの3倍くらいの量の朝ご飯をしっかり頂いていざ出発 移動は全てバス。紅福父が電車を予約する際、二日間乗り放題のバスチケットも買っていてくれました。 


まずは奥の院・・・・ここは弘法大師の御廟へと続く参道です。参道の両側には大小20万基を超える墓碑、供養塔などが並んでいます。



奥の院の石碑の中には名だたる戦国武将や大名の墓碑や供養塔が見られます。



織田信長、石田三成、前田利長、明智光秀、伊達政宗、武田信玄! 時代を駆け抜けた武将たちが敵味方なく一緒に祀られている様に心打たれました。



ここでは全てが受け入れられて安らかな時間が流れてるよう・・・何だかカメラを向けるのがためらわれて上ばかり撮してしまいました




この参道の一番奥に弘法大師御廟の霊域があります。弘法大師空海は「今でも奥の院に生き続け、人々の幸福を祈っている」という伝説があるのだそうです。 本当にそんな気持ちになれるくらい神聖な空気に包まれていましたよ


清々しい気持ちで奥の院を後にしましたが、そこは凡人 あんなに食べたのにお腹がしっかり空きました

「おかしゃ! びっくりポンら! 」



はい 私もびっくりポンです! どうして旅先だとあんなにお腹が空くのでしょう さすがに全部は食べられず、ごはんは紅福父に食べてもらいましたが、それでもいつもの2倍は食べてる!


 高野山でカレー



この後はバスが乗り放題なのをいいことにあっちこっちあっちこっち・・・その一部をご紹介しますね



大門(一般的な参詣順路はここを出発点にするべきだったのですが、高野山駅とは違う方向だったので2日目になってしまいました)


女人堂 1872年(明治5年)までは高野山は女人禁制だったので女性のための参籠所が設けられていたのだそうです。


刈萱堂  刈萱道心と石童丸の悲しいお話で有名なお堂




ひゃあ、こんなに長くなってしまいました。おつきあい下さりありがとうございました。 もちょっとです


「もちょっとれす



コメント (5)
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