オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

渓谷だらけの国で、紅葉見物渋滞

2018-11-05 10:38:49 | 地球と生きる

 

 紅葉の季節は、情報としてあちこちに紹介されている場所は阿呆みたいに混んでいる。

 その情報を現場に行くことで共有したい人たちが混んでいるわけで、別に俺みたいな他人のことなんざ興味もないオヤジには、つまらない渋滞に巻き込まれることすら迷惑な時間の無駄。

 日本はその国土の9割が山と谷で出来ておる。

 渓谷だらけだと言っても良いのに、ダダ洩れになってる情報では数えるほどしか渓谷はないようだ。

 馬鹿じゃ~ね~かとは、言わないが、阿呆じゃね? とは想ってる。

 そういう場所にでも素敵な景色があることもあるが、登る山の登山口が隣接することもあるが、ならば暗いうちから歩き始めて、混む前にとっとと移動する、これは当たり前のことだな。

 

 定年退職して、その後を考えてる世代、これが俺の世代だ。

 ところが俺にはそんなものがハナからなくって、創業10年・20年・30年でもナニもなく、生きて居っても区切りや催しなど別になんもなく、ずっと生きて居る、それだけしかない。

 葉や花や実がすべて落ちてしまって、立ち枯れの林のような感じだ。

 孫が生まれて急にお爺ちゃんやお婆ちゃんになってるのを見ると、アホか? そう想っている。

 いちいちまわりの変化に自分の生き方を衣替えしてるなんて、安っぽい置物か? 死ぬまで現役、これしかない。

 頭は真っ白ケッケ、年中真っ黒に日焼けしてケッケ、大笑いして生きてるのが一番だ。

 

 この週末は景色が望めないと踏んでおったから、10キロチョイの紅葉歩きと、7キロチョイの雨のアスファルト歩きで、山用の車を息子に奪われたから無理をしないで過ごして居った。

 夜に向かい合って寿司を喰いながら聞いたとこだと、同棲してる彼女とその母親と、横浜中華街に飯を喰いに行ったらしい。

 別にあんたの人生なんだから、好きにすりゃ~エエがな。

 ナニが起きても自分で解決するしか他に人生はない。

 子供らのこれからを悩む親や爺婆は多いけんども、俺にはそれがまるでない。

 あちこちにいるせいでもない。

 10歳前後まではキチンと一緒に遊んで育てて来てるが、それが終わったらあとはあんたの人生。

 成人すればどう生きようが自由なんだし、俺にはすでに関係の無い別物の話になる。

 俺も相変わらず自分の生をせっせと生きて行くだけのこと。

 森の獣たちとな~んも変わらない、それが人間社会では歪んでるだけのこと。

 冬眠から醒めた熊の母子は、春のうららかな森で木の実をむさぼり喰らうことから始まる。

 腹一杯に食べて、うっとりと眠る・・・その中で母熊は子熊からじょじょに離れて行き、永遠の別れをする。

 生きるとは、その繰り返しでもある。

 メンドクサイ名やモノを子に遺す人類とは、そのシンプルさが違う。

 俺も若い頃はそのメンドクサイ極みを生きて居った時期もあったな。

 硬いアスファルトの道は、ときどき歩いておると膝が痛くなることがある。

 高い橋の上から雨に煙った景色を眺めておったが、やっぱり俺は高いところから遠くを眺めるのが好きなんだとつくづく想った。

 老眼も酷くなってるから近くのモノはどうでも良くなってる。

 遠くが良く見える、これはとても良いことだろう。

 

 さ~、雪山になってるから、山用の車はスタッドレスに替えよう。