こたつに入ってみかんの皮をむく、これは素敵な言葉だろう。
すでにだらしなく暖まった身体がみかんの甘酸っぱい水分と刺激を待ってる、そういう状態のことを言う。
週末に山に登ると、月曜日は次の山のことを考えるのが常だけんども、そういう姿勢が一番良い。
ポッと良い山のことを想い出す。
すぐにタブレットを開いて、情報収集にかかる。
その頃には、みかんは3個は喰っている。
人類の世界が飛躍的に物質面で伸びた、進歩?したのは、海賊や冒険家が船を操って大海へと出るようになってからだけんども、それが規模の大きなものになると必ずや宣教師が同乗しておった。
航海の安全を祈るためでもあるが、もう一つの大きな役割は、殺し合いの闘いで相手をやっつけ占領するのではなくて、宗教的な洗脳で取り込んでしまうことだった。
いわゆる布教と言う奴だ。
飴と鞭と言うならば、飴の役割を果たしていた。
単に戦いで敗れ死んだものを、彼は神になったのです! と言えば、復讐心が尊敬の念に変わっていた。
あの世と言う概念の世界を作ることで、現生の諍いを断つ、現実的な争いを終わらせる、そういう役目だった。
母性であり、なんじ右の頬を打たれれば左の頬を出し・・・非攻撃性の教えでもあった。
非攻撃性とは言っても、他の宗教とは延々と醜い血で血を洗う戦いを続けている。
冷静に考えれば、宗教なんてもんは人類の持つ錯覚と誤解と思い込みを利用した詐欺でしかない訳だが、思考とは、その起点さえ変えてしまえばどうにでもなる、そんな弱点を利用している。
かくして世界はひとつの宗教を元に、おなじような価値観を持つようになり、その大きな宗教同士が争うことを、世界大戦とも呼んでいる。
文化・娯楽・芸術・・・すべては宗教から派生しており、現代の医学なんてのもそうだろう。
国家と国家の戦いではなくて、本当は宗教どうしの戦いだった。
そう見て行けば、いろんな不明な点が見事に解決してゆく。
人間の世界でもそうだ。
肩書や財産や家柄や人種や国家・・・で人間を見るのではなく、その目の前に生きて居る相手の日常だけを見る。
そういう生き方を徹底しておれば、相手のことが射貫けるようになる。
人類の学問とは、すべてがこの宗教を元にして起きている。
経済活動もまた、あくまでも宗教的な儀式だということが解れば、喰いはぐれることなどなくなってくる。
すでに人類の世界は国家間の話では無くなっておって、もともと根底にある宗教の話に戻ってきておるから、オリンピックや国連と言った組織は、そろそろその意味すらなくなってくる。
トランプがアメリカの大統領になったのは、何度も言うがアメリカを世界覇権の座から降ろすために、だ。
この中間選挙を終え、向こう2年、長ければその次も、トランプが舵取りを出来るようになった。
中間選挙のために作為的に上げられていた株価はその補助棒を外され、新しい次のステージに入った。
次は一つの国が世界の中心に立つのではなく、ドルのような一国の通貨が基軸通貨となるのでもない。
西暦という数値とともに、もともと世界を弄んでいた大きな宗教自体が、変わろうとしている。
そういう時代に入っている。
俺がずっと言っている、世界の、人類の、価値観の大転換期に突入してる。
原油の価格は毎年夏に上がり、冬には下がる。
いろんな言い訳や解説や解釈は昔から腐るほどあるが、これは既定の話だ。
この時期、ダウは暴落し、日経はオマケのように急落し、金(ゴールド)も連れて安くなったが、見物だな。
チョロチョロ動かないで、首根っこを抑えておくだけで良い。
あとは山に登って頂から雲海を眺めおろして居れば良い。
皆さんの世界は雲の下、雨でも降っておるんだろうが、俺の場所はドピーカン、地平線まで見渡せる。
生きるということは、いつもそういう位置に自分を置く、そういうことでもある。
そのために若いうちは色んな目に遭っておいた方が良い。
受け身ではなく、すべて自分から事を起こして行くこと、そうしてたくさん他人や社会に波風を立てること。
その時は無意味な遠回り、そう想ったりもするけんども、半世紀いじょうも続ければ解るよ。
それしか道はなかった、と。
生きる愉しみ、終わらない愉しみ、キリの無い愉しみ、他人がいちいち介在しない愉しみを持って居ると、時間も自由だし、他人に振り回されることもなく、いちいちまわりがどうでも気にもならなくなってる。
メンドクサイ束縛も無く、関わり合いのメンドウもなく、時間を奪われることもない。
俺がいるだけで、すべてが完結する。
その代わり、ぜんぶ自分の責任になる。
扶養家族の多い俺には、荷物を背負い込むことは苦でもなく、仕方ないやんけ、俺のザックに入れとけや、だ。
オストメイト・人工肛門になっても、退院してすぐに銀座の店で普通に仕事を始め、半年の酷い闘病ブランクを経て2000mの山にも復活し、その夏には太平洋や沖縄の海でさんざんに泳ぎ始めてる。
そりゃ~やってはいけないと言うことばかりやっておったから、いろんなアクシデントに遭った。
なんでもそうだが、誰かが殻をぶち破らなければ、人類は前には進まない、そういうことだ。
ただね、ひとづてに聞いてやってくるオストメイトは今でもいらっしゃるけんども、会うと皆さん目を見開いて、わたしとはぜんぜん違う・・・と、仰る。
そう、ぜんぜん違う。
だから俺の話は聞くだけにしておいた方が良い。
いつでも死んでやろう・・・そういう気の無いオストメイトには、無理な話ばかりだ。
怖いモノや引け目を感じる相手などおらんくなって、自分自身が神、そう真面目に言える人でなければ理解できないだろう。
オストメイトではなく、大人社会でのほほんと生きてる人もおなじだ。
すでに悔いのない半世紀いじょうを経て、人間の世界ではあんまり興味を持つことがなくなってる。
いつも20キロを超えるザックを担いで、高い山の頂を目指してトボトボ歩いている。
助けなどいらない、邪魔な余計なお節介もいらない、想う気持ちがあるならば、近寄るな・・・。
海で沖に泳ぎ出るときもおなじこと。
沈んで見えなくなったら、捨て置いて帰ってくれ、同行者がいればそう言っている。
生きているってことは、そういうことだ。
そこでどんだけ俺が愉しい想いを出来るのか? そんだけのことだ。
生きる死ぬの価値観を俺と共有できるのなら、ちゃんと話をしてあげようかい。
みみっち~欲望の虜にまだまだなってるような人には、なんの話もタメにもならんだろう。
講演会や集まりに呼ばれることはあっても、すべてお断りしてる。
・・・そんなとこで傷を舐めあって、前に進むことを止めて生きてる人間と、偽善の衆愚、興味ない
中井美穂みたいな元オストメイトが食い扶持作りにやることでしかない。
死ぬまでオストメイトは、女々しい柔なとこには顔は出さない。
そもそもそんな暇があるのなら、ハンドル握って山へと走り出してるよ。
大笑いしながら、ね。