オストメイトは腹筋に穴を開けて、そこから腸の端を出して肛門としている。
だから一番最初に、医者や専門看護のWOCなんかでは、腹筋に力を入れないように暮らしてくれというようなアヤフヤな指導があったりする。
オストメイトについて言えば、我が国は後進国だ。
その装具類もほとんどのモノが輸入品に頼ることになってる。
外科医は切って繋いで取って縫ってで手術は大成功!! とは言うが、その後のことについては無知に等しい。
人間は腹筋に力を入れないで生きるなんてことは出来ない。
強い力をそこに加えることなく、全体として力を入れる訓練は必要になる。
これには山を登り歩くことはとても良い。
腹筋から腸の端くれが出ている、これだけで過敏に身動きが出来なくなってるオストメイトは多いだろう。
オストメイトにならなければいけない原因の病もイロイロだ。
その病との闘いをしながら、オストメイトとしての生活にも慣れなければいけない。
そうしてそこで終わってしまってはダメなんだ。
オストメイトとして十二分に愉しんで生きて行く、これが出来るようになれば怖いモノはなくなるんだよ。
・・・お前は障害者を愉しんでるだろう・・・よく言われることだが、そうなってしまえば、健常者よりも悠々と生きて行ける。
一番小さい息子のひとりが銀座の地元の小学校のミニバスチームのキャプテンをしてて、中央区の選抜チームの一員になって都大会に出るというので、一度くらいは見に行ってやろうかと、今は彼と同棲してる腹違いの娘に話したら、一緒に行くというから出掛けて行って来た。
・・・なんで~なんで~、みな口は達者でも、お前らはみな優勝まではいかんのだな~ 愉しんできた。
・・・パパが見てると緊張するんだよ、やかましいからさ
彼女はもう25歳になるが、深川の生まれ育ちで気の荒い古豪のソフトボール部のキャプテンをやっておった。
思春期には派手に立ち回っておって、さすがに俺の血が濃いいと苦笑して見て居ったが、生真面目な母親とは殺し合いまで行くかというようなハチャメチャな数年もあった。
それが何事もなかったかのような、いまでは仲良しの母娘に戻って居る。
・・・なんでもエエから、帰る部屋だけは残しておいてやんなさい・・・俺はそれだけしか言わなかった。
こういう話題は、他の子も出て来ると話せばキリがなくなってくる、メンドクサイから省略する。
どの息子もみな運動会の騎馬戦では大将になって威張って暴れまわっておって、自己主張の強い連中には違いない。
ただ、奴らにとっては、死ぬまで一番おっかないのは俺だろう、ざま~みろ だな。
もっと強烈でハチャメチャな目の上のタンコブは、経験の足りない自己主張の強い青二才には必要なモノだ。
人間社会で遭難しないようにと、まだまだ生きて居るお地蔵さんみたいなもんだろうが・・・。
産まれた腹は違えども、父は俺だ、だからゴチャゴチャ細かいこと言わずに仲良くしろ!! そういうこと。
同棲してる娘の彼は登山のメッカ、山梨は南アルプス産の昔はやんちゃだった青年で、その父親は小学校の参観日に、白いエナメルの靴履いて、紫のダブルのスーツ着て、ガニ股で堂々とやって来てたというオモロイおっさんだ。
そうして先日この二人が俺の還暦の祝いをしてくれるというので一緒に飯を喰ったんだが、そんときオモロイプレゼントをくれた。
カープとおなじ色の赤いユニフォームに、背番号60、俺の名前が刻んであった。
胸には CARP ではなくって、CANREKI とあった。
さっそく来年の神宮では着て行こうと思ってる。
突拍子もなく生きて来ると、オモシロイ親族はどんどん増えて行ってる。
これもまた、時代の最先端を行ってる銀座の周旋屋だからだろう。
去年の優勝チームの江東区には負けたが江戸川区には勝っておった。
むかし応援してた娘と一緒に腹違いの小さな息子を応援する、これもまたなかなか経験できない愉しみだった。
小学生の試合と言えども、面白かった。
山に行けないと気分は悪かったが、後味は最高に良かったな。