オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

大陸から離れてしまった日本列島

2024-05-08 11:53:27 | 歴史に埋もれた真実

 

 

 粉砕した金の含まれている鉱石を集めて入れた中に、水銀を流し込んでゆくと、鉱石に含まれた金が水銀に付着し、これをブローランプであぶると水銀は飛んで金が採れるという工法は、昔の小規模な金採掘では一般的なものだった。

 その水銀鉱石は辰砂と言われる赤い鉱石のことを言っていた。

 赤坂だとか赤磐だとか赤のつく古い山間部の地名の場所では、水銀鉱石がとれていたり、水銀を使った金採掘が行われていた場所だったり、製鉄の原料となる砂鉄が赤目砂鉄だったという、そこでとれる価値のある鉱石が赤い岩石・赤みがかった砂鉄だったからという由来がある。

 山の名前に鶏の文字がつく山なんかも、鶏冠の赤い色を表し、水銀を使った金採掘をしていた鉱山があったり、赤や血の名のつく川は、金採掘場や製鉄場から流れ出た鉄などが川の色を赤く変えていた場所に多い。

 俺は昔から砂金とり用のパンも車に積んでいるくらいに、こういう話題には事欠かない。

 地方の山を歩けば山の名前の由来を知りたくなり、調べているうちに鉱山・製鉄に関わる古来に栄えた痕跡を見つけ、ひとりでほくそ笑む、そういうことは多い。

 

 俺の先祖が生きて居た吉備地方の山では豊富な山砂鉄がとれ、我が国のたたら製鉄の発祥とも言えるたたらが6世紀頃から盛んだった。

 いろんな鉱石が採れていた訳だが、まずは風化した花崗岩等で出来た山を選び、山に水路を作り、山上から花崗岩等から切り崩した岩石を水路に流し、何度も人工の池に流し込み、山砂鉄などを分離して行く方法を使っていたが、下流域では洪水や流れ込む岩石や土砂によって災害が常に発生していたから、農家は被害甚大だった。

 そこでその山砂鉄採取の時期を農閑期に行い、農家にも収入になるように手伝わせることで地域の問題は解決して行っていた。

 しかも上流から鉄穴流しをする途上に作った池が土砂で埋まり、平地に整地されてくると農業用の耕作地に変えて農家に使わせることを始め、棚田という段々になった田や畑が出来始めて行ったのもその頃のことだ。

 吉備に連なる出雲という土地も、そんな製鉄によってよく栄えていた場所で、当時にこの地方で製鉄された銑鉄とか玉鋼などは、東アジアへの供給の大部分を占めていた。

 山を歩き、鉱山を探し、いろんな鉱石の在り処を熟知していた者が修験者や山伏の祖先であったのも、そういった我が国の鉄の歴史に裏打ちされている。

 当然に事故や災害も多かっただろうし、その霊を供養するために山の頂に祠を建て、また鉱石をたくさん含む山を神と崇め、山岳信仰の始まりとなって行った訳だ。

 姿の良い山は神が降り立つ場所、高天が原となって、死者はその高い頂から天に還り星になる。

 俺も年中あちこちで死者を送っているような人との関わり合い方をしているから、死者に接すればいつもその魂を背負っては高い山の頂に背負い上げ、天に放り上げてやっている。

 製鉄の技術と仏教などが渡って来た時期が前後して同時代なのも頷ける話で、土地に生きる者らに恵みを与えてくれるモノに感謝と敬意を持っていたということだ。

 現代社会は電波を使った利権が主流になっているが、ではナニに対して敬意や感謝をするのか? 考えたことはあるかな??

 

 ・・・ということで、年初に身内の爺様が大往生して独りになった婆様の今後についてすぐに動き始めている。

 感傷に浸るのは女・子供らに任せておいて、煩雑になっている法的な手続きをとっとと済ませ、家の片づけや売却、銀座から歩ける場所への転居と新たな生活設計まで、俺が自分の親に対して動きまくったことと同じことをやっている。

 すでに呑気に悠々と笑って暮らしている俺の婆さんも巻き込んで、贅沢など要らない楽しい高齢生活を送らせるようにと緻密に動いている。

 世界の状況を見ながら、愚かな日本の状況も見ながら、どう残りの命を笑って過ごすのか? それだけを考えて動き回っている。

 人間が社会で生きることのすべてに、専門的な知識や経験を豊富に持っていなければ誤ってしまうくらいに嘘と偽の情報は氾濫しておるから、万事に詳しい周旋屋が確実な方法を選んで動いている。

 俺ひとりの生ならば、なんの苦労も無く、後悔も無く、悠々と生きて居れるが、あちこちに子供を産ませて育て上げてついでに背負った高齢者たちの老後も、俺が負っている。

 これですでに前期高齢者になっている。

 間抜けな社会と最期まで闘い続けることになるが、それが愉しみの原動力にもなっていることを、この頃は笑って肯定している。

 

 善良なる庶民を気取った貧しく愚かな単細胞の群れは、いまや自在に情報と報道で操作できるような閉鎖的な社会を作り上げてしまっているが、その場から自分でドロップ・アウトした者は別として、弾き飛ばされて集団から外れてしまった連中は、未練たらしくその社会に復讐を果たそうとしたり、その社会を支配してやろうとしたり、悪さの限りを尽くして承認欲求溢れたアクションを起こしているが、それではなんの解決にもならない。

 幼稚な郷愁や、幼児の乳首探しを、現実社会でやってるだけの猿芝居で終わる。

 すでに群れから出てしまった者の思考や感情は手に取るように解るが、ならば新しい生き方や価値観をずんずん自分なりに作り上げて、その間抜けな社会のルールの中で貫いてみせることをしなければ、ナニも変わってはいかない。

 腐った群れに戻る必要もなければ、腐った身内を振り返る必要もない。

 その自分の日常から、まず自立して自営して、全てを変えてしまうことが大事。

 若い時分に偉そうに親や家や社会のことをほざく暇があるのなら、まず早く食い扶持作りから自立を果たすように生きることだ。

 ナニにも拠らない自営を原資にして、複数の家を扶養し、キチンと強い子供らを育て、社会にもどんどん関わり合って行く。

 経験を積んで鍛え上げてくれば足腰も強くなり、そうやって完全にナニにも拠らない強い自立が出来たなら、それから背負ったすべての高齢者の介護や面倒も見る。

 振り返るのは感傷や感情でではなく、現実社会で振り回されずに生きて行けるようにと振り返り、関わり合いを濃くして行けば良い。

 自立すら出来ない者に、親や子や、家や社会への愛など語る資格はないと知るべきだ。

 社会の雑音を増やすだけの、ただのお邪魔虫。

 餌や食い扶持を押さえられていて、ナニが自由自在に出来ると言うのか??

 

 生きる価値観を大きく大転換しなければいけない時分なのに、この国はのほほんと日々を送っている。

 常にみなと仲良く一緒に、群れて動いてまとめて吸い上げられる為に、狭い島国でヘイコラヘイコラ暮らしている。

 適当に生きて、甘っチョロいお詫びや謝罪をすれば許される、狭い島国だけで通用する価値観だろうが、世界を相手にするとなるとそれは玩具にされる自惚れでしかない。

 日本人でも、そこいらのことを理解してキチンと準備して生きて居れば、アメリカとドルの時代が終わった後も、悠々と笑っておれるわさ。

 短期のメタルは放置してる間は急落したり上がったり、介入しても売られたり、間抜けな動きに終始していたが、ナニゴトも無かったように元通り、放置は放置。

 そんなことよりも、今年もカープは打てずに難儀しているが、若手はだらしない中堅・ベテラン勢の真面目なだけの背中を見て、目の色がキラキラ変わって来ているから、愉しみだ。

 二俣なんて俺の好きなタイプの選手になって来た。

 これから面白くなってくるさ。

 



最新の画像もっと見る