ラジオから『15才山本リンダさんで~す!』と紹介され、
「こまっちゃうな~デイトに誘われて~」と流れてきたのは、この頃の事でした。
コ~ちゃんの後釜に又コ~ちゃんが来ました、
辞めたコ~ちゃんは20才、今度のコ~ちゃんは30才だと言っていました。
テンプラ板前タカちゃん28才位、寿司板前シマちゃん26才位だったと思います。
新コ~ちゃんは親の遺産を1000万円貰い、
将来店を出すために色々な店で修行をしていると話していました。
寿司の方にもシマちゃんと同じ年の職人が入りました、よっちゃんです。
当時仕事着は、上下の白衣に白の前掛け、肌着はTシャツに草履、冬は黒い足袋でした。
よっちゃんは高下駄を履きカラコロカラコロ歩いています、歩き難くないかと心配しました。
2人の板前は同年代の人が来た事で仕事が遣り難かったと思います。
マ~も僕も後から来た人達が年上でしかも経験者だと言う事で、
又下積みに戻らなくてはなりません、正直2人ともガッカリしました。
2人で出前に出かけるとマ~は落ち込んだ話ばかりするようになりました。
マ~は寿司の仕込みが出来なくなり、雑用と洗い物係りに成り、更に落ち込んでいきました。
マ~が辞めるまでそう時間は掛かりませんでした。
当時板前に成ろうと思う人は、中学を出て直ぐに修行するというのが一般的でした。
ですからシマちゃんとよっちゃんが同じ年という事は、同じ年月だけ修行しています。
仕込みの事でお互いにぶつかり合いが有ったようです。
でも後から来たよっちゃんは折れなければ成りません、
修復不能になり、よっちゃんは直ぐに辞めていきました。
よっちゃんが辞めた事でシマちゃんに元の様な明るさが戻りました。
又新人が入ってきました。
今度はテンプラに1人、寿司に1人でした。
テンプラの方は、25才だと言うヒロちゃん、寿司はカズと言いました。
ヒロちゃんはお姉さんが八王子で喫茶店を経営しているので、
将来自分で店を持てるように成るんだと話していました。
カズは新宿の車屋と言う割烹の店で修行していましたが、
歌手に成るんだと決め、レッスンに通わせて貰える店を探し大天丸に入ったそうです。
カズは週1回、作曲家の船村徹さんの所にレッスンで通っていました。
『今レッスンを受けている先輩2人がデビューしたら自分の番だ!』と張り切っていました。
カズは東北大を受験し、試験問題が分らず白紙で出てきたと言っていました。
宇都宮の高校では、相当勉強が出来たようです、最初の挫折なのでしょうね。
同じ年のカズが入った事と同じ高卒という事で僕達は直ぐ仲良くなりました。
カズは要領が良く人に好かれる明るさを持っていました、
それに初めての事に物怖じしませんでした。
割烹に居たので包丁さばきも上手いものです、
カズには料理の事を色々教えて貰え感謝しました。
出前用の自転車が2台有り、閉店後2人で毎日のように散歩に出かけました。
皇居、東京駅、銀座、東京タワー辺りまで走り回りました。
途中でアベックを見つけるとカズは必ずからかい、
僕も真似をするようになり、2人で笑い転げたものです。
或る時いつもの様に2人で自転車で皇居の辺りを走り回っていました、
アベックを見付けいつもの様にからかい、走り去りました。
信号が赤になり2人で休んでいると先程のアベックが歩いて追い着き、
4人で顔を見合わせ大笑いになった事も有りました。
週末の閉店後銭湯から帰ると、
時々テンプラのコ~ちゃんヒロちゃんに、カズと一緒にバーに連れて入って貰いました。
酒を飲まない僕を3人がかりで色々考え、
ビールをサイダーで割ったり、オレンジジュースで割ったりと何とか飲める様にしようと思ったようです。
最初は口を付けていましたが、美味い物だとは思えず、無理に覚える事をしませんでした。
この頃だったと思います。
出前の途中の大きなレストランの前に1台の車が止まっていました。
緑色のオープンカーで、
『こんなに綺麗な車が在るんだ!』と衝撃を受けました。
生まれてから初めてこんな綺麗な車を見ました!
店のイルミネーションの灯を受け、見事な曲線を映し出しています。
ただ溜め息が出るだけで、たたずんで見ていました・・・
この車がコブラだと知ったのは、2年後位の事でした。
「こまっちゃうな~デイトに誘われて~」と流れてきたのは、この頃の事でした。
コ~ちゃんの後釜に又コ~ちゃんが来ました、
辞めたコ~ちゃんは20才、今度のコ~ちゃんは30才だと言っていました。
テンプラ板前タカちゃん28才位、寿司板前シマちゃん26才位だったと思います。
新コ~ちゃんは親の遺産を1000万円貰い、
将来店を出すために色々な店で修行をしていると話していました。
寿司の方にもシマちゃんと同じ年の職人が入りました、よっちゃんです。
当時仕事着は、上下の白衣に白の前掛け、肌着はTシャツに草履、冬は黒い足袋でした。
よっちゃんは高下駄を履きカラコロカラコロ歩いています、歩き難くないかと心配しました。
2人の板前は同年代の人が来た事で仕事が遣り難かったと思います。
マ~も僕も後から来た人達が年上でしかも経験者だと言う事で、
又下積みに戻らなくてはなりません、正直2人ともガッカリしました。
2人で出前に出かけるとマ~は落ち込んだ話ばかりするようになりました。
マ~は寿司の仕込みが出来なくなり、雑用と洗い物係りに成り、更に落ち込んでいきました。
マ~が辞めるまでそう時間は掛かりませんでした。
当時板前に成ろうと思う人は、中学を出て直ぐに修行するというのが一般的でした。
ですからシマちゃんとよっちゃんが同じ年という事は、同じ年月だけ修行しています。
仕込みの事でお互いにぶつかり合いが有ったようです。
でも後から来たよっちゃんは折れなければ成りません、
修復不能になり、よっちゃんは直ぐに辞めていきました。
よっちゃんが辞めた事でシマちゃんに元の様な明るさが戻りました。
又新人が入ってきました。
今度はテンプラに1人、寿司に1人でした。
テンプラの方は、25才だと言うヒロちゃん、寿司はカズと言いました。
ヒロちゃんはお姉さんが八王子で喫茶店を経営しているので、
将来自分で店を持てるように成るんだと話していました。
カズは新宿の車屋と言う割烹の店で修行していましたが、
歌手に成るんだと決め、レッスンに通わせて貰える店を探し大天丸に入ったそうです。
カズは週1回、作曲家の船村徹さんの所にレッスンで通っていました。
『今レッスンを受けている先輩2人がデビューしたら自分の番だ!』と張り切っていました。
カズは東北大を受験し、試験問題が分らず白紙で出てきたと言っていました。
宇都宮の高校では、相当勉強が出来たようです、最初の挫折なのでしょうね。
同じ年のカズが入った事と同じ高卒という事で僕達は直ぐ仲良くなりました。
カズは要領が良く人に好かれる明るさを持っていました、
それに初めての事に物怖じしませんでした。
割烹に居たので包丁さばきも上手いものです、
カズには料理の事を色々教えて貰え感謝しました。
出前用の自転車が2台有り、閉店後2人で毎日のように散歩に出かけました。
皇居、東京駅、銀座、東京タワー辺りまで走り回りました。
途中でアベックを見つけるとカズは必ずからかい、
僕も真似をするようになり、2人で笑い転げたものです。
或る時いつもの様に2人で自転車で皇居の辺りを走り回っていました、
アベックを見付けいつもの様にからかい、走り去りました。
信号が赤になり2人で休んでいると先程のアベックが歩いて追い着き、
4人で顔を見合わせ大笑いになった事も有りました。
週末の閉店後銭湯から帰ると、
時々テンプラのコ~ちゃんヒロちゃんに、カズと一緒にバーに連れて入って貰いました。
酒を飲まない僕を3人がかりで色々考え、
ビールをサイダーで割ったり、オレンジジュースで割ったりと何とか飲める様にしようと思ったようです。
最初は口を付けていましたが、美味い物だとは思えず、無理に覚える事をしませんでした。
この頃だったと思います。
出前の途中の大きなレストランの前に1台の車が止まっていました。
緑色のオープンカーで、
『こんなに綺麗な車が在るんだ!』と衝撃を受けました。
生まれてから初めてこんな綺麗な車を見ました!
店のイルミネーションの灯を受け、見事な曲線を映し出しています。
ただ溜め息が出るだけで、たたずんで見ていました・・・
この車がコブラだと知ったのは、2年後位の事でした。