コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

光と影の綺麗なコブラ

2005-06-28 09:47:41 | Weblog
毎朝ラジオを聞きながら仕事をするのが楽しみに成りました。
或る日、
ラジオから交通機関のストが有るから通勤の足が乱れ大混雑になるだろう、と流れてきました。
『大手の会社では通勤の混雑を避けるため泊まり込みをするらしい、布団を運び込んでいる』と親父が笑いながら話していました。

僕は中学2年、3年と同じ先生が担任、高校の時は3年間同じ先生が担任でした。
この先生2人は熱心な共産主義者で日教組に属していました。
ですからソビエトの事を良く言い、自由主義経済の事は否定的でした。
僕は先生達の影響を受けていました、「国民全員が平等!」なんて素晴らしいんだろう、と思っていました。

このラジオ放送を聴き、『おや?』と思いました。
『自分達の権利、要求をするために他の人に迷惑を掛けるのは可笑しい』と思いました。
それも会社、仕事は違くても同じ様に働いているんです。
逆の立場に成れば分るだろうに、と思いました。

その後で、『私鉄西武鉄道は労使の話し合いでストはしません』と流れてきました。
『そうだよね~、これが本当だよね~』とカズと話しました。
自分達の権利、要求しても他の人の迷惑に成らない様にしなければいけないと思いませんか?
会社、仕事、立場は違くても、同じ働く仲間では有りませんか!
この事が有ってから先生達が言っていた事に疑問を持つように成りました。

ランチタイムの戦争が終わると自分達の昼食です、以前朝食の事は書きました。
僕達の昼食はコロッケ2個が多かったと思います。
コロッケ2個に朝漬けたキャベツ、赤出汁、、、
夕食は閉店後の10時頃に成ります。
僕が居た期間、毎日ゲソ天丼かゲソちらし、シメサバちらしでした。
ちらしは人気が無く、食べる人は殆ど居ませんでした、
しょうがないので付き合いで食べる事は有っても進んで食べたいとは思いませんでした。
働いているのが若者でしたのでゲソ天丼に人気が集まりました、
それに僕に取ってはゲソを揚げる事が出来ますのでテンプラの練習にも成ったんです!
親父が言っていた『若者は油物が好きだ』が頷けます。

親父だけは別メニューでシマちゃんにマグロやイカの刺身を作らせ食べていました。
全員が食べたいと思っている物を自分だけ食べる神経が分かりませんでした。
『自分が食べるのなら他の人にも上げなさい』と僕の母なら言ったと思います。
子供の時、
『他の人が居る前で自分だけ食べてはいけない、食べるのなら分けて上げなさい、分けるほど無ければ家で食べなさい』とよく言われたものです。

大天丸では食べ物の好き嫌いが出来ませんので、シメサバやコハダなど光り物が食べられるようになりましたし、コハダは好物になりました。
でも依然として生卵と赤出汁は食べられませんでした、赤出汁が飲めるように成ったのは大分後の事です。

寿司の安くて粋な食べ方はシマちゃんに教わりました。
『カウンタで食べたいだろ?
そうしたら、カウンターに座り、1人前の握り寿司を食べてからお好みで食べるんだ、勘定の時驚かなくて済む』納得です。

板前2人、見習4人の体制が出来てからも新人が来、そして辞めて行きました。
早い人だと3日、大体1週間、1ヶ月持てば良い方でした、
何人の人が出入りをしたか覚えていません、又覚えられない位の人数でした。

この頃夜出前に行くのが楽しみでした、あの車を観る事が出来るからです。
あの車が止まっている方向の出前は進んで行きました。
今でもあのワクワクした気持ちを忘れてはいません。

2年後位に買った本にあの車の写真が出ていました。
世界オートレビューと言う本で「コブラ」の写真が出ていました。