4日目はクラクフのシヴィドニッツア平和教会を訪ねました。
1618年にプロテスタント領主とカトリック領主との
宗教戦争で始まった30年戦争の終結とともに
領邦の領主の認める宗教を領邦すべての人が信仰することになりましたが、
ここブロツワフ(シュレジエン地方)ではハプスブルク家の領地であったので
ハプスブルク家の信仰するカトリック信仰になるはずでしたが、
領民の9割ほどがプロテスト教徒であったため、
一定の条件でカトリック信仰を認めて出来あがった3つの教会は
平和教会と呼ばれました。
グウォグフの教会は1758年に火災で焼失し、
2001年にシフィドニツァとヤヴォルの平和教会が世界遺産に登録されました。
5日目の午前に世界遺産ヴィエリチカ岩塩鉱を見学しました。
産出される岩塩は長い間、ポーランド国家の重要な収入源の一つとなっていました。
現在でも昔ほどの規模ではありませんが生産が続けられており、
ヴィエリチカはポーランド有数の観光名所であるだけでなく、
現役の鉱山でもあるという二つの顔を持ち合わせています。
シヴィニッツア平和教会
外見はホテルのようで教会とは思われません!
城から大砲の球が届く距離に教会を建てること
壊しやすいように石つくりでなく木造建築であることなどです。
教会の建設にあたって厳しい条件が出されました。
1、建設期間は1年以内である事
2、耐久性のある建材(石や煉瓦)を使用してはいけない
3、城壁の外に建設する
4、伝統的な様式・鐘・塔は設けない
内部は豪華です。
。
木造建築の教会としてはヨーロッパ最大のもので、
また数千人を収容することができる木造建築物です。
バロック様式の豪華できらびやかな内装が訪れる者の目を奪います.
その大きさに圧倒されます。バルコニーにがあり
収容人数が数千人というのもわかります
外観こそ質素に造られています
僧の住いでしょうか?
門の横にあったカフェ
岩塩
ヨーロッパ最古の採掘場の一つヴィエリチカの歴史は13世紀に遡ります。
その昔、ハンガリーの王女キンガ姫がポーランド王家に嫁いだ時、
強い想いをこめて投げた指輪の示した場所がヴィエリチカであり、
そこから塩があふれるようになったという伝説があります。
その後、ヴィエリチカの岩塩は何百年もの間ポーランドを豊かにはぐくんできました。
長い松明をかざして岩塩を掘りました
一般に公開されているのは深さ135mまでの僅かな部分ですが、
20以上の部屋や礼拝堂を巡る約3.5 kmの見学ルートが設けられています。
見学ルートの各所では採鉱作業の様子の再現や、
実際に使われていた梯子やトロッコなどを目にすることができます
昔の採掘の様子
岩塩で掘られた王様の像
こびとの採掘の像
マリア像
深さ約100mのところには一番の見どころである見事な装飾を施された聖キンガ礼拝堂があり、
磨きぬかれた階段や床も、岩塩でできています。
これらの美しい作品はいずれも、ヴィエリチカの鉱夫たちの手によるものだということです。
彼らは仕事の合間に、あるいは作業の安全を祈って、仕事道具のノミなどを用いて、
岩塩から美しい芸術作品を彫りだしたのです
きらきらと輝くシャンデリアのあたかもガラスの結晶に見える飾りの一つ一つ、
中央の祭壇、壁に彫られたレリーフにいたるまですべてが岩塩でできています。
最後の晩餐 岩塩の彫刻です
シャンデリアも岩塩で作られています
礼拝堂 ようやくエレベータで上がる通路が近づいてきました!
ヴィエリチカ岩塩坑の地下に作られたホールでは、各種会議・パーティ・結婚式・
舞踏会・スポーツ大会・オーケストラのコンサート・岩塩彫刻展など様々な催 しが行われます。
また、ここにはぜんそくなどの呼吸器疾患治療のための地下保養所も設けられており、
世界中から多くの人々が療養に訪れます。
1618年にプロテスタント領主とカトリック領主との
宗教戦争で始まった30年戦争の終結とともに
領邦の領主の認める宗教を領邦すべての人が信仰することになりましたが、
ここブロツワフ(シュレジエン地方)ではハプスブルク家の領地であったので
ハプスブルク家の信仰するカトリック信仰になるはずでしたが、
領民の9割ほどがプロテスト教徒であったため、
一定の条件でカトリック信仰を認めて出来あがった3つの教会は
平和教会と呼ばれました。
グウォグフの教会は1758年に火災で焼失し、
2001年にシフィドニツァとヤヴォルの平和教会が世界遺産に登録されました。
5日目の午前に世界遺産ヴィエリチカ岩塩鉱を見学しました。
産出される岩塩は長い間、ポーランド国家の重要な収入源の一つとなっていました。
現在でも昔ほどの規模ではありませんが生産が続けられており、
ヴィエリチカはポーランド有数の観光名所であるだけでなく、
現役の鉱山でもあるという二つの顔を持ち合わせています。
シヴィニッツア平和教会
外見はホテルのようで教会とは思われません!
城から大砲の球が届く距離に教会を建てること
壊しやすいように石つくりでなく木造建築であることなどです。
教会の建設にあたって厳しい条件が出されました。
1、建設期間は1年以内である事
2、耐久性のある建材(石や煉瓦)を使用してはいけない
3、城壁の外に建設する
4、伝統的な様式・鐘・塔は設けない
内部は豪華です。
。
木造建築の教会としてはヨーロッパ最大のもので、
また数千人を収容することができる木造建築物です。
バロック様式の豪華できらびやかな内装が訪れる者の目を奪います.
その大きさに圧倒されます。バルコニーにがあり
収容人数が数千人というのもわかります
外観こそ質素に造られています
僧の住いでしょうか?
門の横にあったカフェ
岩塩
ヨーロッパ最古の採掘場の一つヴィエリチカの歴史は13世紀に遡ります。
その昔、ハンガリーの王女キンガ姫がポーランド王家に嫁いだ時、
強い想いをこめて投げた指輪の示した場所がヴィエリチカであり、
そこから塩があふれるようになったという伝説があります。
その後、ヴィエリチカの岩塩は何百年もの間ポーランドを豊かにはぐくんできました。
長い松明をかざして岩塩を掘りました
一般に公開されているのは深さ135mまでの僅かな部分ですが、
20以上の部屋や礼拝堂を巡る約3.5 kmの見学ルートが設けられています。
見学ルートの各所では採鉱作業の様子の再現や、
実際に使われていた梯子やトロッコなどを目にすることができます
昔の採掘の様子
岩塩で掘られた王様の像
こびとの採掘の像
マリア像
深さ約100mのところには一番の見どころである見事な装飾を施された聖キンガ礼拝堂があり、
磨きぬかれた階段や床も、岩塩でできています。
これらの美しい作品はいずれも、ヴィエリチカの鉱夫たちの手によるものだということです。
彼らは仕事の合間に、あるいは作業の安全を祈って、仕事道具のノミなどを用いて、
岩塩から美しい芸術作品を彫りだしたのです
きらきらと輝くシャンデリアのあたかもガラスの結晶に見える飾りの一つ一つ、
中央の祭壇、壁に彫られたレリーフにいたるまですべてが岩塩でできています。
最後の晩餐 岩塩の彫刻です
シャンデリアも岩塩で作られています
礼拝堂 ようやくエレベータで上がる通路が近づいてきました!
ヴィエリチカ岩塩坑の地下に作られたホールでは、各種会議・パーティ・結婚式・
舞踏会・スポーツ大会・オーケストラのコンサート・岩塩彫刻展など様々な催 しが行われます。
また、ここにはぜんそくなどの呼吸器疾患治療のための地下保養所も設けられており、
世界中から多くの人々が療養に訪れます。