工房八重の部屋

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イラン、世界遺産ペルセポリスは2500年前の神殿跡

2019年12月19日 | Weblog
4日目はローズモスクから60キロのペルセポリス遺跡に行きました!

ペルセポリスは、紀元前6世紀にダレイオス1世(ダーラヤワウ1世またはダリウス大王とも表現)

が建設した神殿群です。

アケメネス朝ペルシア帝国の戴冠式や朝貢・ノウルーズ(新年)の祭儀など主要な儀式が行われた都でした。

地図を見る.

ペルセポリスは、紀元前331年、アレクサンドロス大王(アレキサンダー大王)の攻撃によって破壊されました。

アレクサンドロス大王は、ペルセポリスの民衆を大量に虐殺し、建築物を徹底的に破壊しました。

3000トンの黄金をはじめとする貴重な財宝を略奪し、ペルシア帝国を滅亡させたのです。

その財宝を運ぶために馬と駱駝が3万頭必要だったと伝えられます。




入り口から階段を上がると、バスから歩いてきた道が見えます!


その入口には巨大な門があります。これは、ダレイオス1世の息子であるクセルクセス1世が建造したことから
「クセルクセス門」と呼ばれますが、正式には「万国の門」と称されます。
写真を御覧ください。これはクセルクセス門東ゲートの人面有翼獣神像です。威圧感と迫力のある見事な建築物です。
これは人間の顔を持つ翼の有る牡牛です。
















アパダーナの東側には、階段があり、そこに沢山のレリーフが刻まれています。
東階段のレリーフの特徴は、諸国の使者の朝貢の図が詳しく描かれていることです。
この東階段には、西はリビア、南はエチオピア、北はスキタイ、
東はガンダーラに至る23の属国からの使者の像が刻まれ、
糸杉のレリーフによって区切られています。
各国の使者は、それぞれの帽子などの服装と携えてきた貢物によって特徴づけられています。
北アフリカから西インドまで支配したペルシア帝国の広大さと栄華を実感できるのです


















アパダナと呼ばれる謁見の間です。この場所にはいまだに12本の巨大な石柱が残っており、
その昔建っていた宮殿の巨大さ、壮麗さを想像させます。この宮殿で王は諸国の王や使者に会い、
貢物を受け取りました。また、国の重要な行事や宗教的なセレモニーもここで行われました。


宮殿跡
タチャラはダレイオス1世のプライベートな宮殿です。
ペルセポリスの他の部屋がほとんど柱が倒壊して基盤だけしか残っていないのに対し、
ここにはまだ多くの中規模の柱が残っており、密集して建っています!




クーへ・ラハマトの中腹には「アルタクセルクセス2世の墓」があります。
彼はアケメネス朝ペルシアで一番長い在位を誇る王で、統治は46年に及びました。


「アルタクセルクセス2世の墓」












ペルセポリス遺跡内にある博物館


ペルセポリス遺跡内いにある博物館


ペルセポリス遺跡内にある博物館


ペルセポリス遺跡内にある博物館