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二次創作業界どうしてこうなった

2022-05-09 00:00:00 | ワタリのエッセイ
ワタリの記憶によれば2010年代の二次創作活動は「作品の広告になる」というのが黙認の理由だった気がします。
だって二次創作を黙認していれば莫大な広告費用が全部タダになるんです。
そして二次創作作家も「作品の広告になる」というところさえ守っていれば心置きなく作品を作ることが出来ました。

もちつもたれつつの良い環境だった訳ですが、本当どうして「ダウンロード二次創作はダメ」って認識が広まってしまったんでしょうね。

ワタリが調べた限りでは、多分コ〇ンでダウンロード二次創作をしていた人が売れたはいいのですが出版社の広告になるという枠を乗り越えて作品自体のイメージダウンになると出版社から判断されたのがこの認識の始まりなんだと思っています。

一応さくっとは調べましたが、再三出版社から警告されていたのにそれを振り切っていたから裁判に訴えられたようですね。
この出来事が「ダウンロード二次創作はダメ」と認識されるきっかけになったそうですけど、「作品のイメージダウンになるからダメだったんだ」っていう訴えられた真意の方じゃなくて、「ダウンロードだったからダメだったんだ」って認識されちゃったみたいなのね。

なんでこうなっちゃったのかなー?って考えると、やっぱりまがい物がいたのが原因だったんですかね?
ちなみにまがい物という言葉に関しては高次元界の言い方なのでこちらを参考にしてください。

もちろん、この世の創作物は高次元存在の名前を冠していない方が圧倒的なのでメッセンジャーが存在しない二次創作界隈の方が圧倒的なのは良く分かるんです。

でも、メッセンジャー的感覚的から言わせてもらうと、あなたが書いている二次創作を「好きな作品を褒めたたえているか?リスペクトしているか?」という点から今一度見直してもらいたいの。
もし自分の目線だけで心配なら、他人に見せてちゃんとリスペクトを感じれるかどうか?愛が感じれるかどうか?を判定してもらえば良い。

周りがやっているから自分もやって良いんだ。じゃないの。
あくまで自分が書いた二次創作が好きな作品を褒めたたえているかどうか?リスペクトしているか?が重要。

科学分野で人道的理由からやってはいけない研究があるのと一緒だと思う。

それに、前々から言っているけど生まれながらのメッセンジャーの数は少なくても、高次元存在の関係者とか霊能力者はこの世にたくさんいるの。

二次創作界隈の皆さん、電子書籍派なじっている暇あったら、自分が果たして本当に好きな作品を褒めたたえているか?リスペクトしているか?見直した方が良いですよ?

最低限ね、他人にマウントするような人間はもちろん、クレクレちゃんが来るようになる10年前は二次創作界隈需要と供給がちゃんと成り立っていて平和だったんですから。

もちろんワタリは運営から読まれても全然平気です。
むしろ運営は二次創作をこっそり読んでいるのを察しているので、やる気十分ですし、文句があるのならワンコイン出して私の書いた二次創作読んでからにしな!と言いたい。
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高次元から見て原子力はどう見えるのか?

2022-05-02 00:00:00 | うちのツインのメッセージと彼の事
このカテゴリーは本当に数年ぶりの更新のように感じます。

ツインも用事がなければワタリのブログに出てこない訳で、ブロガーとしての顔と二次創作作家としての顔でメッセンジャーとしての仕事をそこそこやっている今、自分は出る必要がないと思っているのかもしれません。

まあ、単純にのろけ先が欲しかった。という可能性も否定しませんがw

とにもかくにも今回はうちのツインから聞いた話を元に書いてます。

ロシアがザポリージャ原発を攻撃したあの日、ツインから高次元から見て原子力ってどういう存在なのか?という事について聞いてみました。

いわく「太陽のかけら。人間の手に追えるものではない」との事

調べてみたら太陽は核融合によって熱を保っている惑星でした。

もうちょっと細かく説明すると、核融合でも核分裂でも核エネルギーを扱うことそのものが人間の手に追えるものではないそうです。

だからか、ワタリの脳内には今「パンドラの箱」「バベルの塔」というキーワードが出ています。
要約すると発見してはならなかったものであり、大規模に扱うなど神に対する挑戦だ。という意味。

微量の利用は認めているようです。例えばレントゲンとかね。
でも大規模に扱うなんて言うのは人間に扱える領域ではないのです。
だから、原発の事故が起きるといつもいつもとんでもない結果になる。

チェルノブイリの石棺は、ツインに言わせれば「人類が核エネルギーを大規模に扱ってはならないという教訓の象徴」なんだそうです。

ワタリ個人は福島第一原発にも石棺行きになるような空気を感じていますが、いずれにしてもツインに言わせればチェルノブイリの石棺は開けてしまったパンドラの箱のふたを閉めただけの代物なんだそうです。

もちろん武器に使用などと考えるのは言語両断。
その抑止力というか世界の意識を少しづつ変え、日本の大規模核使用を原発だけにとどめた被爆者たちの功績はとても意味あるものなんだそうです。

「集団ではあるがアセッドマスターになるにふさわしい」との事です。




でも微量の利用でも取り扱いが注意なのだから、
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