スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

言葉は要取り扱い注意。それは本当。でも、言い掛かりは言い掛かり。

2014-09-29 21:00:00 | 性格を悪くしているエンパスの日々
ワタリも常々感じている事ですが、言葉と言うのは音声なり文章なり、危険性と言うのを常に熟知した上で取り扱う物で有るべきだと思います。

多くは考えなしの言葉を言う時に発生するのですが、媒体はどうであれこちらに悪気は一切ないのに悪い風に解釈されてしまった。と言う事は日常茶飯事。
このトラブルの事を考えると、言霊の法則とかアフォーメイションで使う言葉なんて言うのはなんと簡単なんだろう。といつも思います。

元々まどろっこしい事が嫌いなので単刀直入に表現する事の方が多いワタリでも、必要あれば相当考えに考えていたりする事が有ります。
どうしてもそれしか思い浮かばない、それしか的確に表現する事が出来ない。と言う場合は差別的発言だと断った上で書く事も有りますし、最近復活準備に入っている小説サイドの方では成人向けなのを良い事にあえて賛否両論きそうな表現をする事が有りますが、基本は相当考えに考えて書いています。

後、自己能力を使っているせいか最近こう言う表現に関するトラブルと言うのは少ないです。
でも、やっぱり勢いで言ったその一言で「やばいなー(――;)」と思う事も有り、我が守護霊団が言う所の『答え合わせの時』を思い反省する事が多く有ります(――;)

そう、エンパスだって言葉の使い方と言うのに関して悩む事が多いんです。

でも、ローズメゾットで有名なローズ氏が「あなたは私が言いたい事を言ってくれる。と良く言われる。」と言うのを書いている通り、エンパスと言うのは上手く使うと相手の言って欲しい事を読み取りちょっとした事ならすぐ穏便に済ませてしまう事が出来ます。

日本人の場合いちいち「あなたは・・・。」なんていう言葉で賞賛する文化が根付いているとは言えない部分が有るし、エンパス量産国家ですから出来て当たり前の領域と解釈させれる事も有るせいか、賞賛してくれる人の方が珍しかったりします。
でも、言って欲しい事を言ってもらった瞬間と言うのは相手の表情に現れる事が多く、大方納得しているか喜んでいるかのプラス表情だったりします。
そして、ワタリの経験から推測するに、大体こちらに自分の理解者だと判断した好感を持ちます。

これが幸と出るか不と出るかは解りません。
ただ、幸か不幸か来年は長女の小学校入学の都合で良い評判を昨今聞かないPTAデビューをする事となります。
その他色々噂は聞いていますが、はてはてワタリのエンパス能力はどこまで活用されるのか?
何が出るか解らない空間では有ると予測しているのですが、対人エンパスの実践場として不足は無いと思っています。

でもね、日常生活に置いて言葉の使い方に関する事をエンパススイッチオフにして考えると、いつも思うのはそんな事を気にしていたらやっていられないでしょ?って事なんですよ。
もちろん自身の立場を考えた上で発言を考える必要が有るのは本当の話なんです。
そして、炎上に代表されるようないざこざが面倒だと感じるのなら、嫌だと感じるのならばなお取り扱いを慎重にするべきなんです。

でもね、だからと言ってどう考えても言い掛かりとしか解釈できないような事までギャーギャー言われる筋合いはないですし、こっちに非が一切なければ相手にする必要もないんだと思います。

それが自分の務めだと解釈しているのならばやればいいと思います。
中には前世で色々有って、そう言う仲裁やトラブル回避を務めとして選んだ人もいるんでしょうし、そう言う仲裁役がいないと何時まで経っても争い事は終わりませんから。
だから、それはそれでとても素晴らしい魂の務めだと思っています。

でもね、そうじゃないワタリから見ると言い掛かりは言い掛かりなんです。

言っている本人と言うのは全く自覚が無いんでしょう。そしてそう言う人から垣間見えるのは自身に同調してくれと言う訴え。
誰それが悪いんだと思えば誰それを一緒に非難してくれ。自分が被害者だと言う事を承認してくれ慰めてくれ。
正直、まともに会話はしたくない!と思う事が多いんです。

でも、自分の思わない一言で誰かを傷つけてしまい悩んでいる人ならワタリは喜んでヒーリングの手を伸ばします。
まあ、最近誰か経由で誰かの行動を見る。と言う訓練の真っ最中なのでそれに使わせてもらいたいと言うのも有りますが(笑)

そして、本当に改善したいのならば出来る範囲で助言もします。
まあ、心を読んだ結果ご本人様が実は不幸大好き人間だと言う事が解れば助言もしませんが(-0-)y-~

ええ、エンパスにも色々いるでしょうが最低限ワタリはこうです。


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高次元に用事が有るのならばチャネリング修業を始めましょう

2014-09-22 21:00:00 | 現代実践魔術と魔術師修行に関する話
先日こちらの記事のコメントで言いました通り、サロス様から色々アドバイスが有ったので、今回はそれらのアドバイスを元にスコーピオン監修のチャネリング修業の開始の薦めに関する話です。

ちなみに、サロス様からのアドバイスと言うのがすごく明快で、『そんなにこちらに用事が有るのであれば召喚で呼び出せば良いじゃないか。』と言う物。
相手がワタリだったのでこう言う表現になっていますが、要するにタイトルそのままの事を言いたかった。と言う訳なのです。

ワタリの場合は気が付いたらチャネリング出来るようになっていたので意図的にチャネリングが出来るようになる方法に関しては非常にうといのです。
しかしまあ、それでも多少は何かを言いたくて以前まとめたのがこの記事なんですが、脳内会話が出来ていない。と自覚している人から見たらこれですら蜘蛛の上の話に感じるかもしれません。

そう言う訳で、召喚術を執り行う都合で意図的にチャネリングが出来るようになったスコーピオンの登場となる訳なのですが、ホンニンいわく『カバラの実践とアブラメリン魔術の実践が一番有効』なんだそうです。

これ聞いて思わず目が点になってしまった人もいるかと思います。
はい、ワタリ今カバラ魔術の実践について学んでいる最中なんですが、と言うかやっと魔術実践の基本を学び始めたばかりなので詳細説明がしずらかったりします(――;)

しかし、あえてかなり無理やり解説をしますと、本当のゼロからチャネリング修業を開始する場合、カバラ魔術の要素がかなり入っているのでスピリチュアル的な所から実践を開始すると良いんだと思います。
事実、ワタリもカバラ魔術の実践について学んでいたら、「これやってる。」と言うのに多くぶち当たっています。
呼吸法にしても軽くやれていますし、カバラ魔術的に言う境界の守護霊との対話方法を読んだ瞬間「これ媒体経由じゃん。」と即理解した位です。

逆を言えば、それだけカバラ魔術は解りにくい。と言うか解り易く理解しようとしたら実践から先にやるのが一番!と言う事なんだと思います。

アブラメリン魔術に関しては、スコーピオンいわく『一番気楽に出来る召喚術だったからチョイスしていた。』なんだそうです。

調べれば解りますが、アブラメリン魔術と言うのは召喚術の一つで護符にアルファベットの配列を書いてそれを握る事で召喚術を執り行うんです。

今なんとな~~~く生前のスコーピオンなんですかね?魔法陣も何もない空間で一人の男性が呪文を唱えている。そして彼の前には光の帯が出ていると言うのが有りますが、多分こんなイメージで取り行う召喚術なんだと思います。

まあ、ワタリの場合は媒体経由で話しかけたり、テレパシーで繋がっている範囲だと呼び掛けたりしているんですが、護符と言う物自体が魔力倍増装置となりますし、守護天使に加護をこう作業を通してチャネリング修業になるんだそうです。

でもね、高次元だからって何でもかんでも誰でも彼でも応じてくれる訳じゃ有りません。
王様がいた頃からものすごく観光地化していたベルサイユ宮殿だって身なりが良くないと入る事が許されなかったそうですが、それと同じで高次元と対話する為にはそれなりに必要な資格と言うのが必要になるんです。

その資格を得るために必要なのが修業と言う事で、こればっかりはインスタントじゃ済みません。
ワークとかそう言うので手に入れられるのはあくまで基礎だけ。
生まれながらに持っている人の場合はそれでばーーーっと目覚めるかも知れませんが、あくまで素養の有る人を開花させる位の効果ならワタリだって出来ます。
そんな高次元的に言わせれば『出来て当然やれて当たり前』の領域である先天性チャネラーも基礎を手に入れたらそこから発展させて高次元と対話出来る位自分を磨かないとなりません。

確かにね、チャネリング誰にでも出来ます。
その辺に関しては一切合切否定はしませんし、むしろ高次元に興味が有るのならば大いにやるべきだと思います。
で・も・ね。

ここで勘違いをして欲しくないのは、チャネリングも修業で有ると言う事。
チャネリング一つとっても奥は深い訳で、その深い奥をあさってあさってあさって、探求して探求して探求し倒さないと自分の理想にはなれないと言う事。
そして、インスタントでは絶対手に入らない物である以上、モチベーションを維持しているのはとっても大変で有ると言う事。

例えばサロス様オヒトリと対話する事を目的にチャネリング修業を開始したとしますよね?
でも、実際にやってみたら以外と辛くてへこたれそうになる場面に多々遭遇すると思うんですよ。
こう言う場面を乗り越える為にはそれでもやるんだ!と言う強い意志や一回休憩にしてまた再挑戦する気楽でも強い意思が必要になる訳で、それが出来ない人は止めておいた方が良いんだと思います。
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本音が読めるから思う事

2014-09-15 21:00:00 | 性格を悪くしているエンパスの日々
エンパスの人の場合だと必要に応じて相手の心を読みながら会話をする時も有るとは思いますが、ワタリのそんな事をしている一人です。

で、こんな事をしていると以前書いたこの記事の賞賛して欲しいタイプ同調して欲しいタイプの中間のような人々が多くいると言う事に気が付きます。

整体師と言うのも有りますが、ワタリの身の回りで一番多いのは自分の筋肉は誰よりもこっていると思い込んでいる人。
こう言う人は大体大した事が無いのですが、「大した事ないですよ?」「良く有るレベルですよ?」と言う言葉で納得してくれない場合は自分の発想を助長して欲しいと言うか「物凄くこっていますよ。」と言う言葉を聞かないと納得出来ない人なので、そのようにしています。

面白いと思いますよ。本人の生活にもこっちの生活にも支障が無い人畜無害範囲だからやっていますが、認めた途端自分が疲れていると言う事や筋肉が凝り固まっていると言う事実を嬉々として話し始めるんですから。
苦労自慢、不幸自慢、病気自慢と言うのはもう無くなったのかと思いましたが、今でもごく一部の人々の間では存在しているんですね(-。-)y-゜゜゜

でも、人畜無害範囲じゃ済まない時はこんな事をしてはいけません。
だから、今エンパスなのを良い事にと言えば聞こえは悪いですが、いかに自己能力を生かしつつそれを隠して相手を納得させられるのか?と言う訓練をやっています。

ごく単純な勘違いの修正からやっているのですが、こんな事をしていると思うのは「本当にそれで良いの?」と言う事なんですよ。

今はそれで良いのかもしれないけれど、後々を考えると絶対今すぐ止めるべき事ってあるんですよ。
そう言う事って、大体誰かとのトラブルの種、或いは何時まで経っても改善出来ないループになっている事全般と言う形で現れます。
そして、誠に残念な事に渦中にいる人はそれが止めるべき事である事に気がついていない。

だから、本音を言うとこんな事を言っても意味が無いのではなかろうか?と言うのはすごく有ります。
事実、今すぐ改善するべき人は言っても聞く耳持たないと言うのが読めるので、ワタリも首を突っ込む事は有りません。
ただ、子供達に関しては聞く耳有る事が多いので今はこうだけど大人になったら変えられる。と言う事を具体的に教えます。

それはね、子供達は方法さえ知ればメビウスの輪を断ち切れるからなんですよ。
そう、今自分でもこれだ!と思いましたけど、本当に改善するべき事と言うのは気がつくまでメビウスの輪なんです。
一見変わったように見えるかもしれないけれど、実はいつまで経っても同じ道を歩んでいるばかり。
ループなんですよ。間違いなくループ。
日常生活って色々有るでしょ?
だから一見すると何かが変わっているように見えるけど、実はそれが錯覚。

これは個人の思い込みと言うフィルターの説明にもなるのですが、この下の動画で紹介されている立体トリックアートは目の錯覚をワタリが感じている「それで良いの?」と言う感覚に置き換えて説明する事が可能なんですよ。

思い込み錯覚


ループの中にいる人と言うのは一定方向からばかり見ていて、なんでこうなるのか?なんでこう言う事が出来るのか?と言うのが理解できていない。
でも、第三者は違う角度から見ているからなんでこうなるのか?なんでこれが出来るのか?と言うのが解るんです。
そうなると、第三者は当事者に違う方向から見てみろと言いますが、当事者はそれを拒絶していて何時まで経っても種明かしが解らない。と言う。

ワタリの場合は、エンパスであるが故にその当事者の拒絶と言うのが解るので「それで良いの?」と言う感情になるんです。

色々な場面でこう言う感覚が有るせいか、先見の感が有ると言われた事も有ります。
でも、本音を言えば色々な場面でピンとくる「これじゃ駄目だ。」と言う感情と見えている不幸はやらないと言う感情が内訳なんです。

それが現在もてはやされている事にまで響いているもんだから、アンチになってしまったりして嫌な思いをする事も有りますが、そんな時にこそ揺るぎない自信と言うのが必要なんだなとつくづく感じます。

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ワタリの思うチャリティーに関して

2014-09-07 21:00:00 | ワタリのエッセイ
先週のツインのチャリティーに関する話を書いていて思ったのですが、じゃあ人間にとってのチャリティーと言うのは一体何なんでしょうか?
チャリティーの意味と言うのはこちらの資料で結構明確ですが、これですら過去には色々失敗をしていると言う事の証明にしかならないような気がします。

じゃあ現代だとどうなんだい?と言う事になりますがワタリが皮膚感覚で感じているのはチャリティーと言う事そのものが日本と海外では大きく違った意味になっているのではないのでしょうか?
第一、 チャリティーチャリティーとは言いますが、果たして慈善活動そのものを指す言葉として実際に使用されているのでしょうか?
チャリティー=募金集め活動、ボランティア=実際に活動をする人。と区分けされているのがメインのような気がするのですがいかがでしょうか?

24時間テレビの批判記事で一番多いのが海外ではギャラを受け取らないと言う話題です。
でも、考えてみると海外、特にヨーロッパ圏では名誉を日本以上に重んじる文化で有るような気がします。
それに慈善活動をしている末端のボランティアさんはともかくとして、実際に寄付をしている人は一体どう言う人なのでしょうか?
ワタリ個人はそこを見落としていると思うんです。

最初はどん底にいたかもしれないけれどのちに成功をつかみ裕福になった人と言うのは大体名誉を求めるんですよ。
あるいは最初から裕福だった人と言うのも同じように名誉を求めます。
その名誉を手っ取り早く手に入れる方法が有るとするのならば、何かしらの多額寄付と言うのが一番手っ取り早い方法と言えなくもないと思います。

いかに名誉を重んじるのか?って言うと一番解り易い話がオリンピックメダリストに対する処遇ですよ。
日本でも有名人の一人として扱われたりCM出演が有ったりしてそこそこすごい額を稼ぐ事が出来るそうですが、海外の場合は年金が出たり日本以上にすごい高待遇が待っているんだそうです。
だから海外のスポーツ選手にはドーピングをしてでもその名誉をつかみに行こうとする人がいる訳なんだとワタリ個人は思っているのですが、このチャリティーに関する話も同じ物が言えるような気がします。

日本の場合、そこまで名誉を重んじる人とそうじゃない人の温度差が有るんですよ。
名誉を重んじる人は多少の不利益は我慢出来るんでしょうが、そうじゃない人は名誉じゃおまんま食えないと蹴っちゃうんです。

ちなみにワタリは名誉なんておまんま食えないからいらない派です。
そう言う温度差が有る中で、例えば24時間テレビみたいに募金集めをする必要の為に大規模な宣伝活動をしようとしたらギャラが出てもおかしくは無いんだと思います。
だって、名誉でおまんま食えないと思っている人はギャラ出ません。の一言で蹴ったりする事だってあり得る訳ですし、事務所だってお金の稼げない番組に自分の所の売り出し中商品である人気アイドルを提供したくありませんから。

先日ツインも言いましたが、そんな温度差の有る中で本当のチャリティーがやりたいのならば個人的に行うしか出来ないんです。
「ギャラ出るなら出ないよ。」「海外ではノーギャラが普通だ。」は通用しないんですよ。

別にワタリが守護霊が堕天使で魔界貴族でいつでもアンチキリスト出来る立場だからとか一切関係ありません。

はっきり言えば、宗教的からして違うんだから、他国の文化をそのまんま持ち込んでもなじまないんです。
他国の文化を日本式にアレンジして、新しい文化として開発しちゃうからこそ日本人に受け入れられる。
チャリティーに関する事にしても、これと同じ事が言えると思うんですよね。

でも、チャリティーにしてもボランティアにしても、一つの名詞を持つ存在にどう言う意味を持たせるのか?どう言う実践をするのか?と言うのは一人一人違うと思います。
何たるかをよく考えて、他人の受け売りじゃないのか?と疑って、自分なりの答えを見出す。
瞑想中の自問自答のネタみたいになっていますが(笑)書き逃げとかじゃなくて(笑)結論的にはこうならざるを得ないのです。

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ツインに言わせると『チャリティーってこう』

2014-09-01 21:00:00 | うちのツインのメッセージと彼の事
これを書いている頃には終わっていますが、先日24時間テレビの批判記事を読んでいて思ったのですが、チャリティーって一体なんなんでしょうか?
ツインに言わせると回答は至極明快です。

『チャリティーと言うのは寄付をしたいけどお金がない、あるいは寄付を出来るだけの余剰金がない人間が働く事で得た一瞬のお金を寄付に回すこと。』

言葉をかえると、寄付と言うことそのものが生活していけるだけの収入が十分に有るからこそなせる技なのであって、生活していけるだけの収入がないのに寄付をするのはおかしい。と言うことになるようです。
だからツインに言わせると24時間テレビの批判記事の中心である出演者に対するギャラはどうしてそれが批判記事として出るのか不思議に思う事のようです。

『だって、テレビ局はともかくとして出演者は働いた対価をもらっているだけじゃん。その出演者がギャラを寄付します。って言うのが理想なのかもしれないけれど、それはあくまで個人の自由。一部だってなんだって、生活に支障がない範囲でやるべきなんだ。』

そして、テレビ局がやっているのはあくまで募金集めの宣伝活動かチャリティーをうたった番組に資金を出すことでイメージを良くしたい企業の宣伝活動なんであって、テレビ局はこの番組を成立させるための資金が必要になる訳で、その分は差し引いたって問題はない。あくまで利益=もうけから寄付金を出すのが一番ベストなんだ。と言葉を続けます。

じゃあ、ボランティアってなんなんでしょうか?
それは高次元たちにとっての常識ではありますが、『困っている人は助けるのが普通だから。』

ボランティアと言う観念そのものが高次元にはないんです。
ただ、困っている人は助けるのは当たり前だからやる。
それですら自分が出来る範囲で良いんだそうで、生活を破綻させてまでボランティアに取り組む必要はないんだそうです。
ただ、それが楽しくてやっているのならば続けた方がいい。誰かのためになっていると言う満足が伴うのならそれに生涯を捧げても悪くはないかもしれない。との事です。

『でもね、例えばアイスバケツチャレンジ有るでしょ?ああ言う本当に寄付が必要な組織が宣伝広告のためにああ言うネタにしか見えないようなことをやって目立つのは悪くないと思うよ。だってどんなに良い活動をしていたって寄付が集まらなきゃ意味がないんだし。』

アイスバケツチャレンジにツインは好意的なの?

『別に?やれと言われたら俺は間違いなく寄付するだけに回るね。でも団体の事に対して好意は持つかもしれない。そうむしろスポンサーになるみたいな。そう言う方向にいくよね。』

利用している奴もいるでしょ?ここで氷水かぶればウケて目立てる!ってさ。

『あるいは寄付を表明することで好感度アップ?それだったら日本の企業でもやっているだろ?アイスバケツチャレンジの意義と言うのはワタリが言う通り確かに強引きわまりないぶん取り大作戦だけど、あれで世界中から注目を集めること。そして少しでも多くの寄付を集めて必要とする奴に渡すこと。俺はそう言う点でスポンサーになる可能性は否定しない。と言うか元々慈善活動ってスポンサーいないと成立しないから。』

元々高次元と人間では常識が異なる部分が多いのですが、これも人間の思うチャリティーやボランティアの観念とはかなりかけ離れているような気がします。
そう言う訳で、次回の更新ではワタリが思うボランティアに関する話をしてみたいなと思います。

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