スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

『人間はどうして本当に大切にしなきゃいけいない物を大切にしないの?』

2014-10-27 21:00:00 | ワタリのエッセイ
相手がヨーロッパ系高次元存在だからなのかもしれませんが、時々異文化交流にも似た疑問が発生する事が有るらしく、タイトルに書いた疑問はうちのツインの人間に対する疑問の一つだったりします。

それに対する回答を考えていたのですが、多分それは人間と言うのは永遠と言うのが存在しない世界にいるが故に良かれ悪かれ永遠に憧れる癖が有るからなのかもしれません。
そして人間いつまでもなくならないと思っている資源は無駄に使いまくるのと同じで、永遠に有ると思うと大切にしなくなる。と言う悪癖が有るんだと思います。

で、その永遠と思われる対象が大体目に見えない物で、高次元から見ると本当に大切にしなきゃならない物ばかりなんですよね。

例えば、甘えて来る子供とか、妻や夫からの愛情とか。

お金を大事にする人はたくさんいても、こう言う目に見えない部分=今回の場合は他者から自分に向けられた愛情と言うのを大切にする人があまりいないな。と感じるのはなんでかしら?と言う事を考えると、お金と言うのは目に見える分何時までもない。と言う事を実感し易く、ない人間はどうなるのか?と言う事が実感易いんだと思います。
反対に、感情に関する部分は目に見えない分なくなったらどうなるのか?ない人間はどうなるのか?と言う事が実感しにくいんだと思います。

う~ん・・・、こう言う問題になるとツボ療法以上にパーソナル過ぎて具体例を上げる事そのものが困難なんですが、ただ一つはっきりしている事が有るとするのなら、要するに永遠と言うのは存在せず、今目の前に有る永遠だと思っている物に限って実は本当は永遠じゃなく、本当に大切にしなければならな物で有る。と言う事に気が付けるか付けないか?と言う事になるんだと思います。

じゃあなんで人間は永遠に憧れるのか?なんで永遠と思う悪癖が有るのか?と言うと、それは多分永遠と言うのがこの世に存在しないと言う事を本能的に知っているからなんだと思います。
無い物だと解っているからこそ憧れ欲しがる訳なんですよ。

最近だと景気の様子とか色々な部分に置いて世間的には永遠と言うのがワタリが幼少期を過ごしたバブルの頃よりもプラスには取られなくなっているような気がします。
むしろ「悟り世代」なんていいますが、喜びに関する所では今だけだから。と言う発想をする人が多いような気がします。

でも、それでも高次元が言う本当に大切にするべきものが大切にされているのか?と言う疑問に関してはNoと答える事しか出来ないんですよね。

だって、今だけ。と思えば逆に大切にされる事が無くなる可能性も有るんですから。

人間って複雑怪奇だなとつくづく思います。
これを本当に大切な物を学ぶために高次元が人間に仕向けている修業の一環なんだと言えばそうなるんです。
でも、仮にそうだったとしても果たして人間は何百年この課題をクリアーできていないんですかね?

永遠と思えば大切にはせず、今だけと思ってもやっぱり大切にはしない。

区別する必要が有るんだなとは思うんです。
それこそたった一つの言葉や認識で全てが解決できるほどこの世は単純ではありません。

そう思い行動するのが通用するのはフィクションの中だけ。
仮にこの複雑怪奇なのが高次元が仕向けている課題だとすると、あんなの現実世界には通用しないと言う事を本能レベルで知り、行動する事が求められているんだと思うんです。

そして、存命中にクリアー出来れば大正解。死んで走馬灯を見てから実感したら来世でやり直し。

多分まだまだ続くであろうこの連鎖を実感しつつ、こんな事をぼんやりと考えています。

と言うか、良い機会でしょうから皆様も考えてみて下さい。

あなたにとって永遠と思っている物はなんですか?
その永遠を大切にする努力していますか?
そして、大切な物大切にしていますか?

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『今のエボラは昔のペストのようだ』

2014-10-13 21:00:00 | ワタリのエッセイ
今回の記事のタイトルは、ペスト医師だった我が前世が現在アフリカで猛威をふるっているエボラ出血熱のニュースを見て言った事です。

正直、今のアフリカの衛生状況に関してワタリは良く知りません。
そして、前世がこう言っているからと言って出来る事と言えば自分の生活に支障が無い範囲での募金位しか有りません。

でも、エボラ出血熱に感染したと解ったら入院先していた病院の医師が逃げ出したとか、孤児が増えたとか、そう言う非常に細かい部分で前世は自身が体験したペストの混乱と同じで有ると言う事を指摘します。

事実、前世の言う事はあながち間違っていなくて、最近購入したペストの歴史に書かれた本によれば当時は現在のアフリカとほぼ同じような状態になっていたんだようです。

もちろん16世紀以前と21世紀ですから、医療の発展や文化の発展の影響等で半分以上は当時よりも良いんです。
でも、日本でニュースにならない部分と言うか、本当に現地の人しか知らないような部分ではかなりひどかった時期も有ったと思うんですよね。

医療よりもシャーマンにすがる人と言うのはまだマシで、根も葉もないうわさを流されて村八分になったり追い出されたりした人って絶対いると思うんですよね。

と言うか、書いている内に前世のあいつが自動書記やって来たので、その時に書いた事をまとめてみたいと思います。

前世いわく、現在は献身的で有る事を知り医療に関しても進んでいて冷静な対応が出来る先進国がすぐに救援に向かうから良いんだそうです。
自分が生きていた頃は、現在先進国となっている国が伝染病で大混乱している時だったから、冷静に対応出来る存在がいなくてそこら辺中が大混乱だったんだそうです。

もし、仮に現在のアフリカに国際社会の救援が一切なかったとしましょう。
エボラ出血熱が発症したばかりの頃、アフリカでは今以上に大混乱をしていたんだと思います。
特に現在では効果の認められる治療方法か薬が存在するようですが、最初の頃は無い。と言う事だったんです。
薬が無い=治療方法が無い。となると人々の恐怖と言うかそう言うのは思いっきりあおられる訳ですよ。
あくまで仮定の話ですが、その結果、あいつが悪いこいつが悪いと誰かに罪を着せるような事と言うか、はっきり言ってしまうとペストの時様々な人がペストを蔓延させたと言う根も葉もない罪を着せられて火あぶりにされたみたいな。そう言う事が必然的に発生したと思うんですよね。
それに合わせてデマも多く広まるようになり、風評被害のせいで孤立してしまった人や差別を受けた人とか本当に沢山いたと思うんですよ。
病院は医者と看護士が逃げ出したから機能していないし、むしろいつエボラ出血熱の患者がいるか解らないから院内感染が怖くて誰も近寄れない。
で、解決の糸口も見つからないまま経験則でどうにかしてみながら悪戦苦闘して、やっと終結した頃には多くの被害者を出していたと思うんですよ。

前世はこの点でそう言う事を回避する事が出来る現在がとても素晴らしいと言います。
しかし、その反面ワタリにはエボラ出血熱の様子をしっかり見ておけと言います。

多分ね、あいつが言いたいのは伝染病の恐ろしさとそこから自分がいかに恵まれているのか?と言う事を知れ。と言う事だと思うんですよ。
やたらと記事にするようにも言っていましたし、多分これを皆様と共有したくてしょうがないんですよ。

忘れていると言うか、現代に生まれた我々は戦争体験と同じで伝染病の恐ろしさなんて知りません。
ワタリも子供達もそうですが、生後しばらくしてから予防接種を開始し、体はどんどん伝染病の脅威に対抗出来るように作られて行きます。
手洗いうがいに始まる衛生習慣を身に付けるようにしつけられ、医療は整い万が一発症しても病院に行けばどうにかなる時代です。

でも、前世のあいつの時代はそうじゃなかった。
伝染病と言う脅威と戦っていた時代で、何もかもが手探り状態だったんです。
それこそ、エボラ出血熱と戦っている現在のアフリカのような状態は今に始まった事ではない。
けれど、その歴史をしっかりと見つめ自覚しろ。ってね。

過去を過去と流すのは非常に簡単な事なんですよ。
正直、ワタリも過去を知る事で現在を知る事が出来ると言うのは実感していますが、だからって琴線に触れない事まで何かを学ぼうとは思いません。
だから何?で流す時は流しますし、だから何?で流されても仕方ない部分は有ると思うんですね。

だから、前世の思惑とは裏腹に、ワタリは正直ここに書いたからって多くの人の琴線に触れるとは思っていません。
それを期待する事自体、相手を意のままに操りたいと願う気持ちの表れでも有りますし。

だから、もし何か引っかかるような感じの有る人がいたら良いな。と思って今回の記事にするばかりです。

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どうして偶像崇拝は駄目なのか?に関して偶像崇拝が当たり前の立場から考える。

2014-10-06 21:00:00 | ワタリのエッセイ
とうとうオバマ大統領ですらイスラム国と言う存在に対して空爆を行ったと言いうニュースを見た瞬間、もうこのアメリカVSイスラム教系の何処か。と言うのは終わらないな。と思い、ワタリ個人としてはもうフォーカスエリアに有ると言う共同思想空間ばりに戦争したくて仕方ない思想がこの国には渦巻いていて、なんだかそこだけものすごく切り取られていると言うか、とにかくフォーカスエリアがそこにだけ降りて来たような、そこだけお先にアセッションしちゃったけど、どう言う訳だかバッドな物が来ちゃった。みたいな感じに見えるのです。

で、このイスラム国と言う存在に関してニュースを読んでいて彼らが偶像崇拝を嫌っていると言う事を読んで思ったのですが、偶像崇拝ってそもそも何なんでしょうかね?

偶像崇拝に関して調べると非常にさっくりと出て来ますが、はっきり言うと仏像建立して信仰の対象として拝んでいる我々日本人にとっては非常にごくごく当たり前の文化そのものだったりするのです。

で、なんで偶像崇拝は駄目なのか?と言う事に関して調べてみると、キリスト教では現代風にざっくり言うのならば、唯一神が自身の専属チャネラーであるモーゼと言うのを通して言い渡した信者が守るべき神様からの各種言いつけである十戒に書かれているから。と事が理由なんだそうですが、なんでわざわざこう言う事を言いつけたのか?と言うのが、モーゼ本人か信者達にチャネリング修業させる為。あるいはモーゼ本人か神そのものがモーゼと言う専属チャネラーの価値を上げる為に付属させた。としか理解できない位解せない事なんです。

だってねえ、偶像なんて言いますけど神様の像や絵画と言うのはその神様とコンタクトを取る為の媒体になるんですよ。
ワタリ自身今でも必要に応じて媒体を使用して高次元と話をする事が有りますが、正直媒体ないよりも有った方が楽で、確実に対話する対象となる高次元と話をする事が出来るんですよね。
で、高次元の方も高次元の方で、多分媒体をきっかけにこっちに来れるんだと思うんですが確実に媒体経由で話しかけてからの方がチャネリングをするにしても楽だったりします。

で、昔は今よりもシャーマンの地位が高かった訳なんですが、シャーマンが神様とのやり取りの媒体として使用している物が有れば必然的にそれがご神体として崇められ信仰の対象となるのは当然の成り行きなんだと思うんですよね。

で、このイコンに関する事を説明している文章の補足になりますが、神様の偶像と言うのはチャネリング能力を持たない人々に向けて発生した、現代で言うのならばアイドルのブロマイドや待ち受け、キャラのフィギュアに相当する訳なんですよ。

高次元と言うのはやろうと思えばチャネラーにその姿を見せる事も可能で、現在でもこれは行われている訳なんですが、絵心の有るチャネラーがいたらそのチャネラーに自身の絵を書かせる事で媒体とし、より多くの人々から信仰を集める事が可能なんですね。

なおかつ、可視領域の人々と言うのはどうしても目に見えるものの方を重要視し、不可視領域の存在と言うのを理解するのは難しかったりしますから、こう言う人々に対して信仰心をもたせ、その継続をさせる意味でも偶像と言うのは必要だったんだと思います。

事実、好きなアイドルの待ち受けとか見ていると存在を感じますでしょ?
それと同じ事を高次元もやっていて、それの象徴が色々と言われる偶像崇拝なんですね。

ただ、同じアイドルでも直接関わっているスタッフとファンではとらえ方が違うのを同じように、チャネリング能力の有る無しで変わる。と言うだけなんです。

で、なんで一番最初に偶像崇拝の禁止が修業になる。なんて言ったのか?と言いますと、「楽」と言う表現を見てもらった通りチャネリング修業のレベルとしては初歩だからなんですよ。

ワタリ自身最初の頃はツインですら媒体経由での対話だったりしましたが、本当に最初の頃は媒体経由で対話する事でチャネリングが可能なんですよ。
で、ここからさらにチャネリング修業をすると媒体なしでも高次元と対話する事が可能になるんですが、仮にモーゼが実在のチャネラーだったとして話すと、いきなり神と対話で来たと言う辺り本当はワタリ同様生まれながらに特定の高次元の専属チャネラーだったと思うんですよ。
でも、媒体経由の方が楽だし、当時は神様の媒体を用意するのが普通の事だったりすると媒体経由しかしなくなる可能性が有ったから神様と直接話が出来る事を実感させる為にあえて封じた。

ツインもそうですが、高次元と言うのは相手の成長になる為ならばこう言う周り面倒な事をあえてやったりする事も有ります。

まあ、価値の付属と言う点に関してはツインに話をしたい人から見たワタリみたいなもので、信仰の対象となる高次元存在と直接対話出来る人と言うのは信者=ファンから見たらものすごく貴重な存在に見える訳で、それをさらに強化しようとしたら媒体の生産を止めるのが一番手っ取り早いと。

でも、偶像崇拝の禁止を訴えても上手くいかなったんだらしく、偶像は止めろと言いながらも教会には偶像が有り、天使や成人がばりばり絵画に描かれていて、彼らはそれを聖なる像と言っておりますが(笑)

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