スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

ネタがない

2018-02-26 21:00:00 | ワタリのエッセイ
ここ最近、正直に言うとネタに困っています。

かなり前にも話をしましたが、ワタリのような不可視領域と関わりのある人間が、自身のブログに書くネタがないと言うのは平和な証拠と言う事で、とても喜ぶべき事なのです。

事実、栃木にいた頃は一部地域で内乱があったものの、世界的には概ね平和だったのですからネタに困っていてもそれは明るく受け止める事ができました。

しかし、今回の場合はちょっと違う感じがします。

この間からずっと似たような憂鬱が繰り返されていますから、多分世界はもう引き返せない選択をすませたんだと、皮膚感覚ではそんな風に感じています。

事実、ワタリは今違うことを考えようとしても、ブログの執筆をすると言う前提に立つとこれしか思い浮かばなくなります。

『今はオリンピックだからみんな大人しい』

水面下ではきっといろいろな事が繰り返させれていて、メダルをいくつ取った誰がメダルを取ったかと騒いでいます。

でも、そのお祭り騒ぎで皆が夢中になっている頃、影でこっそり世界はもう引き返せない選択を選んだ。

その感覚と言うのはすでに高次元存在が行なっている事なので、人類にとっては未知の事でも、多分ワタリのような高次元存在の関係者は、表立っている人間には言葉にならない、言葉にしたくない感覚として何かを自分の守護から聞いている人もいるでしょう。

ワタリの場合、それが「ブログのネタがない」と言う感覚で現れるだけなのです。

どうとでも取れるような表現をしていると自分でも思っていますけど、本当にこの事を話したら実行が早まっちゃいそうな気分なんです。

先送りしていても、どうせ起きる事なんだから、いっそ早い時期にと思わないわけでは有りません。

ただ、今は本当に嫌な気がする。そして、ブログのネタがありません。


















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高周波への努力

2018-02-19 21:00:00 | ワタリのエッセイ
子供のうちはジャンクフードとかを好んで食べますが、魂にも似たような事が言えると最近気がついているわけで、ざっくり30年以上ジャンクフードにも相当するような低次元世界で生きてきていたので、ちょっと修正に困っていたりします。

高次元存在といい感じになるには自分も高次元化していないとならないわけで、最低限周波数位はツインに近づいていかないと無理なのです。

この状態は、18歳以上になっていないとクラブに行けないのにも似ていますし、身長制限にも似ています。

自分のエネルギーの周波数を上げるという事は、すなわちこの身長制限や年齢制限をクリアーするための努力をするということになり、自分のエネルギーの周波数を上げる努力と言うのは、身長制限をクリアーしたいから牛乳をたくさん飲む、と言う事にも似ています。

だから、必要な人にしか必要でない努力な訳で、スピラーだから必須というわけではありません。

もちろん、ワタリはツインと安定していい感じになっていたいわけなので、この周波数上げは必須課題になります。

しかし、その必須課題である周波数上げに関して実践をしていると、いかに低次元が体に染み付いているのか?と言う事を自覚する訳で、今頃になって修正する必要に迫られている子供の頃からの癖を直す過程と同じなのです。

例えば、低次元言葉の代表と言うのは他人をさげすむ言葉になる訳なのですが、これも今まで相当常用していたから、もう脳内で癖になっちゃっているのよね。

その結果、ちっとも高周波になる事ができなくて、自分で自分の足を引っ張っているの。

これ以外にも、ユーチューブとかTVとかニュースとか、本当に情報媒体のものは大体にして低周波と高周波が入り混じっている状態で、その入り混じった状態の中から自分にとってのベストを趣旨選択しないとならない。

だから、音楽にしても動画にしてもだんだんと偏りが出てくる訳で、芸能情報に詳しくなると言うことはあまりできないと言う事をつくづく感じます。

ただ、ここ数日間本当に眠いので、生理前の可能性を見据えつつ、自分が高周波になっているのか?と言う事を自覚しています。

ちなみに、高周波になる努力をしているとドヤ顔を筆頭としたマウンティング関連のことが理解できなくなります。

多分、こうやって頭の中を更新しているのかもしれません。














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引きこもっていたって、世界とは繋がっている

2018-02-12 21:00:00 | ワタリのエッセイ
フリーライター稼業を始めるようになってから、本当にワタリは外に出なくなりました。

正直この生活は非常に快適なので、できればこのままフリーライターとして引きこもり生活をしながらたくさんの収入を得て行きたいなと思っていますが、それでも世界とは繋がっています。

仕事上の理由から色々調べ物をしている時、ネット経由ではありますが本当に世界と繋がっている感を得る事ができます。

でも、ワタリ個人は高次元化をしていたいと思っているので、低次元のものを知るとちょっと嫌になってきます。

それでも、ネット経由で世界とは繋がっていますし、ギャザリング的であろうが世界の情報は常に知る事ができます。

もしかしたら、前よりも色々知るようになったのかもしれません。

正直、オリンピックが開催されようと何しようと、世界がきな臭い事には変わりはない。

以前有名だったスピラーが今頃になって目に入るようになってきて、形は違えど雨がすごくて、まるで聖書に出てきたノアの方舟のよう。

頭の中まっさらして書いていると、こう言う舌簿的なことしか出てこないから、正直これ以上嫌な事は書きたくない。

だから、どうでもいいことを書いてます。だって、本当に毎回毎回同じようなことばっかり書く事になってしまっているんですから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

当たって欲しくはないんですよ。

2018-02-05 21:00:00 | 高次元存在からのメッセージと彼らの事
あくまで渡の推測でしか有りませんが、スピブロ、特にワタリのような高次元と関わっている系のチャネラーに世間が求める事と言うのは、予言が入っていると思うのです。

でも、そのスピブロに期待されているであろう予言と言うのは、良いものであるのなら良いのですが、悪いものである場合はあまり実行して欲しく有りません。

もっと言うのなら、スピブロと言うのは注目されていない方のが世の中が平和であると言う証拠で、癒しを求める人々が列するようのならば、ブラック企業が幅を効かせる世界になっていて、占いがメインのところに列するようならば社会全体が不安定である証拠。

そして、ワタリのようなチャネラー系に列する人が増えるのは、戦争へと向かっている証拠なのです。

きな臭くて嫌になってきます。みんな平昌オリンピックが有るから大人しくしているだけで、終われば2020年まで何が起きるか分からない。

あっちもこっちもそっちも、最低限日本海と太平洋の間は緊張が高まりまくっている。

中東で収まっていたはずの空から降ってきた嫌なものは、とうとうが嫌だったはずの国々にまで広まって来ていて、いつ日本までネット規制がかかるか分からない。

さっき、仕事の都合上で原爆ドームの画像を見ましたけど、平和の媒体だったはずの原爆ドームからは気持ち悪い空気しか流れて来ていません。

あそこは元々すごい念があるからワタリみたいな敏感なのは吐き気をもようしちゃうんですけど、ワタリが近寄れる状態になっていない。

前に、中東での争いが終わらないのを見ていて、空からやばいものが降って来た。とは思っていたんです。

それが、とうとう世界全体に広まりそう。

それを止める術があるとするのならと書いていて思いついたのは、きっとツイッターが何か出来る。と言う事。

ツイッターを媒体に世界中の平和に対する祈りを重ねれば、多分遅くするくらいなら出来る。

戦争を止められるのは、オリンピックと言う自国アピールの機会だけ。

だから、せめて東京オリンピックまで引き伸ばして欲しい、このままでは、この世は中東みたいになっちゃいそう。

















コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どんだけ脱学生できないんだろう?

2018-02-02 21:00:00 | ワタリのエッセイ
ライター仕事をしていると、色々な情報を確保することになります。

その中の一つに、会社の採用試験で行っている常識テストのことを扱った事があるのですが、内心、なんでこんなことをするのかしら?と思わないわけでは有りません。

多分、昔よっぽど勉強をしてこなかった人がいて、そう言う人が多発しては困るから、やり始めたのがきっかけだったとは思うのですが、「なんで勉強をしないとならないの?」と言う質問に対する答えとしてしか機能していないといつも思います。

これ以外にも、反省文だの始末書だのナンダのかんだのと、本当に会社という組織は随所に小中学生の頃の文化というのが垣間見えて、体育会系がしみ込んでいて、マウンティングしまくりで、面倒という事がよく解ります。

なんでこういう事になるのかな?と言う事を考えていくと、今まで培ってきた体育会系の名残なんでしょうね。

結局、頭の中がまだ小学生で、それを隠蔽できる程度には大人。と言う中途半端な状態で生きる事が可能だったから、小学生の頃の習慣が染み付いていても成立出来て、って言うか、周りがみんなそんな連中ばっかりだったから成立出来た。

その量産品である子供達も、また頭の中身は小学生のままで、小学校での文化が抜けず、そのまま成長して行く。

体育会系天国である群馬県に住んでいて、体育会系になれない脳みそだとそう言うところがよく見えます。

群馬に憂えるつもりなんてありません。

ただ、これから先どうなるのかな?と、思いながら色々調べているだけです。






















コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする