案の定当分続きそうなワタリの「嘘をつかれて納得する人々シリーズ」
今回は、前回同様働き盛りの男性に多い「自分の発案を賞賛と言う形で強化してもらいたいタイプ」になります!
前回同様このタイプは働き盛りの男性に多いのですが、女性でも企画関連だったり、企画の発案が必要とされる立場だったりするとこのタイプに分類される位強い思念となる事が有ります。
まず、自分の発案が受け入れられるかどうか?と言うのはどんなに自己統一性の有る人でも社会生活を送っていれば誰でも有りうる不安ですが、自己統一性どうのこうの以前に、自分の発案に自信が無い場合は他者に対しそれを補ってもらおうと無意識下で考え、相談と言う形なりぼやきと言う形なり、何かしら自分と同調する。あるいは自分が味方だと認識している他者から自分の発案は必ず通る。と言う言葉で自信を与えてもらおうとします。
それが、このタイプの正体なのです。
対処方法としては非常に簡単で、とにかく言葉で賞賛してやればいい事なんです。
何と言うか、海外の人だと発案を賞賛する時「自信を持った方が良い。」とか「これなら大丈夫だよ。」と言う発言をしますが、こう言うタイプの人が欲しがっている言葉はおおむねこの内容に属する言葉なんですね。
しかし、いくら賞賛を欲しているとは言えどもこう言うタイプはあくまでごく普通の態度で自分の事を賞賛して欲しいと望みます。
その為、リアクション芸人のようなオーバーな態度で要求を満たしてやろうとすると、逆にこちらが本心でそれを行っている訳でない。と見抜きます。
まあ、昨今の若い人はアニメなどの影響か、無駄にオーバーなリアクションを好んだりする事も有りますが、ワタリに言わせればそう言うオーバーなリアクションで喜ぶ人はまだコドモの証拠です。
自分ではいくら大人だと認識をしていても、心の声は解り易い甘さのお菓子に例えられるような、依存性の高いくせして中身のない解り易い賞賛しか求めていないんです。
解り易い甘さのお菓子は、ちょっと過剰摂取すればすぐに飽きます。
それと同じで、解り易い賞賛を求めている人でもいずれは解り易い賞賛に飽き、ごく普通の態度で賞賛してもらう事を喜ぶようになります。
まあ、ワタリとしてはどっちもどっち。と言う気がしない訳ではないんですが(笑)
ああ、そう言えば今思い出したんですが、こう言うタイプと被りが発生するパターンとして、自分の発案を修正したりして多くの人に受け入れられる形にしたい。と望み、それを叶える事が出来る環境下にある人はある意味一番幸せなのかもしれませんね。
まず、こう言う人が望んでいるのは開口一言は称賛される事なんですよ。
何と言うか、「うん、確かにそれは良いかもしれないね。でも、ここを良くした方がもっと通り易くなるんじゃない?」と言うような会話を欲していて、それを実行し、客観的意見を取り入れることで満足する。
要するに褒められつつも駄目だしをして欲しい。と望むんです。
しかし、ワタリとしてはこう言うタイプの人をイメージすると受ける側としてはある意味一番難しい所を要求しているんですが、それが一番発展的と言う皮肉を感じます。
はっきり言うと、賞賛するだけならその人に対する愛はいらないんですよ。
こう言う場合の愛と言うのは、昨日書いた自分の味方だと思いたい人にも言える事なんですが、忙しい手を止めてその人の話を聞いたり、その人の為に時間を割いたり、その人の意見に耳を貸し、親身になって聞く。そしてその人の為に発案をする。と言う一見するとごく当然のような事ですよね。
でも、これって本当は全然普通の事じゃないんです。
ワタリ自身ものすごーーーーーーーーーーーーく日々忙しい方で、正直このブログを執筆する時間ですら作らないと出来ないんです。
そんな人間に言わせると、一見ごく普通のように見えるたった一人の為に時間を割く。と言う事は非常に困難な事となります。
残酷な話になりますが、生産性と言う観念から見るといかに手早く用事を済ませられるか?と言う事の追求と実行が美徳となるんです。
例えば同じ一時間と言う時間に調理をしようとします。
そうすると、同じ一時間で多くの調理をし、多くのおかずをテーブルに並べられた人の方が良い。とされます。
生産性と言う観念において、プロセスは関係有りません。
いかに多くの作業をこなし多くの結果を生み出すか?
生産性と言う観念において、これらが全てであり、これが実行出来ない人間はペケとされても仕方が有りません。
忙しく立ち回っている人は、正直に言うとこの生産性と言う観念の塊と言っても過言では有りません。
生産性と言う観念に愛は無く、むしろ無用な物ですら有ります。
しかし、この生産性と言う観念をぶち破れる物が愛情と言う物で有り、個人に対する思いやりと言う物だったりします。
でも、生産性と言う観念の塊になりつつある感のある現代社会において、一個人が思いやりを持って接する事が出来る個人は限られています。
だから、賞賛する事は簡単でも、駄目だしをする事は難しい事なんです。
なんでしょうね?ワタリ自身末端管理職の経験が有りますが、こう言う役割と言うのはその人の上に立つ立場の人の仕事だと思うんです。
先輩だったり上司だったり。
でも、その等の先輩や上司ですら生産性と言う名において動かざるを得ないから、簡単に済む薄っぺらい賞賛を欲する人だけが救われて、駄目だしをして欲しい人はどんどん置いて行かれる。
でも、薄っぺらい賞賛を欲していた人達もいずれは駄目だしをされる方を望むようになるから、結局置いて行かれる人が多数発生するんです。
で、置いて行かれた人は孤独にまみれながら代行してくれる人間を求める。
話を聞く事を生業にする人がいなくならないのって、こう言う理由なのかもしれませんね。
ちなみにこのブログは、ブログランキングに参加しております。
まあ、最近エンパスから見た人間の心の現実と言う辛辣話ばかり扱っていますが(^^;)
貴方のワンクリックで、アンパンマンそっくり(笑)な高次元存在の愛情は広まり、今まで虐げられる事しかなかった魔界系高次元は救われて行くのです。
さあ!みんなで高次元存在の愛情を広めましょう!(笑)
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今回は、前回同様働き盛りの男性に多い「自分の発案を賞賛と言う形で強化してもらいたいタイプ」になります!
前回同様このタイプは働き盛りの男性に多いのですが、女性でも企画関連だったり、企画の発案が必要とされる立場だったりするとこのタイプに分類される位強い思念となる事が有ります。
まず、自分の発案が受け入れられるかどうか?と言うのはどんなに自己統一性の有る人でも社会生活を送っていれば誰でも有りうる不安ですが、自己統一性どうのこうの以前に、自分の発案に自信が無い場合は他者に対しそれを補ってもらおうと無意識下で考え、相談と言う形なりぼやきと言う形なり、何かしら自分と同調する。あるいは自分が味方だと認識している他者から自分の発案は必ず通る。と言う言葉で自信を与えてもらおうとします。
それが、このタイプの正体なのです。
対処方法としては非常に簡単で、とにかく言葉で賞賛してやればいい事なんです。
何と言うか、海外の人だと発案を賞賛する時「自信を持った方が良い。」とか「これなら大丈夫だよ。」と言う発言をしますが、こう言うタイプの人が欲しがっている言葉はおおむねこの内容に属する言葉なんですね。
しかし、いくら賞賛を欲しているとは言えどもこう言うタイプはあくまでごく普通の態度で自分の事を賞賛して欲しいと望みます。
その為、リアクション芸人のようなオーバーな態度で要求を満たしてやろうとすると、逆にこちらが本心でそれを行っている訳でない。と見抜きます。
まあ、昨今の若い人はアニメなどの影響か、無駄にオーバーなリアクションを好んだりする事も有りますが、ワタリに言わせればそう言うオーバーなリアクションで喜ぶ人はまだコドモの証拠です。
自分ではいくら大人だと認識をしていても、心の声は解り易い甘さのお菓子に例えられるような、依存性の高いくせして中身のない解り易い賞賛しか求めていないんです。
解り易い甘さのお菓子は、ちょっと過剰摂取すればすぐに飽きます。
それと同じで、解り易い賞賛を求めている人でもいずれは解り易い賞賛に飽き、ごく普通の態度で賞賛してもらう事を喜ぶようになります。
まあ、ワタリとしてはどっちもどっち。と言う気がしない訳ではないんですが(笑)
ああ、そう言えば今思い出したんですが、こう言うタイプと被りが発生するパターンとして、自分の発案を修正したりして多くの人に受け入れられる形にしたい。と望み、それを叶える事が出来る環境下にある人はある意味一番幸せなのかもしれませんね。
まず、こう言う人が望んでいるのは開口一言は称賛される事なんですよ。
何と言うか、「うん、確かにそれは良いかもしれないね。でも、ここを良くした方がもっと通り易くなるんじゃない?」と言うような会話を欲していて、それを実行し、客観的意見を取り入れることで満足する。
要するに褒められつつも駄目だしをして欲しい。と望むんです。
しかし、ワタリとしてはこう言うタイプの人をイメージすると受ける側としてはある意味一番難しい所を要求しているんですが、それが一番発展的と言う皮肉を感じます。
はっきり言うと、賞賛するだけならその人に対する愛はいらないんですよ。
こう言う場合の愛と言うのは、昨日書いた自分の味方だと思いたい人にも言える事なんですが、忙しい手を止めてその人の話を聞いたり、その人の為に時間を割いたり、その人の意見に耳を貸し、親身になって聞く。そしてその人の為に発案をする。と言う一見するとごく当然のような事ですよね。
でも、これって本当は全然普通の事じゃないんです。
ワタリ自身ものすごーーーーーーーーーーーーく日々忙しい方で、正直このブログを執筆する時間ですら作らないと出来ないんです。
そんな人間に言わせると、一見ごく普通のように見えるたった一人の為に時間を割く。と言う事は非常に困難な事となります。
残酷な話になりますが、生産性と言う観念から見るといかに手早く用事を済ませられるか?と言う事の追求と実行が美徳となるんです。
例えば同じ一時間と言う時間に調理をしようとします。
そうすると、同じ一時間で多くの調理をし、多くのおかずをテーブルに並べられた人の方が良い。とされます。
生産性と言う観念において、プロセスは関係有りません。
いかに多くの作業をこなし多くの結果を生み出すか?
生産性と言う観念において、これらが全てであり、これが実行出来ない人間はペケとされても仕方が有りません。
忙しく立ち回っている人は、正直に言うとこの生産性と言う観念の塊と言っても過言では有りません。
生産性と言う観念に愛は無く、むしろ無用な物ですら有ります。
しかし、この生産性と言う観念をぶち破れる物が愛情と言う物で有り、個人に対する思いやりと言う物だったりします。
でも、生産性と言う観念の塊になりつつある感のある現代社会において、一個人が思いやりを持って接する事が出来る個人は限られています。
だから、賞賛する事は簡単でも、駄目だしをする事は難しい事なんです。
なんでしょうね?ワタリ自身末端管理職の経験が有りますが、こう言う役割と言うのはその人の上に立つ立場の人の仕事だと思うんです。
先輩だったり上司だったり。
でも、その等の先輩や上司ですら生産性と言う名において動かざるを得ないから、簡単に済む薄っぺらい賞賛を欲する人だけが救われて、駄目だしをして欲しい人はどんどん置いて行かれる。
でも、薄っぺらい賞賛を欲していた人達もいずれは駄目だしをされる方を望むようになるから、結局置いて行かれる人が多数発生するんです。
で、置いて行かれた人は孤独にまみれながら代行してくれる人間を求める。
話を聞く事を生業にする人がいなくならないのって、こう言う理由なのかもしれませんね。
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まあ、最近エンパスから見た人間の心の現実と言う辛辣話ばかり扱っていますが(^^;)
貴方のワンクリックで、アンパンマンそっくり(笑)な高次元存在の愛情は広まり、今まで虐げられる事しかなかった魔界系高次元は救われて行くのです。
さあ!みんなで高次元存在の愛情を広めましょう!(笑)
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