スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

『人間の肉体はうらやましい。』

2014-06-28 21:00:00 | うちのツインのメッセージと彼の事
守護霊と対話出来る人ならごく普通の事なんですが、寝入る前のひと時と言うのは守護霊とたわいもない話を語り合うコミュニケーションタイムだったりします。

まあ、関係性の影響かワタリとツインの場合はほとんどピロートーク状態(笑)なのですが、気が付いたらツインの気配と脱ぐと現れる光を感じながらうとうとするのが大好きになっていました。

嫌ですね、この時点で完全にノロケ入っていますが(笑)今回はそんなツインの知り合いから『聞いているこっちが恥ずかしくなる。』と言われそうなひと時の会話がネタ元です。

以前こちらの記事でお話をした事が有りますが、ツインいわく高次元の肉体と言うのは藻のような植物を媒体に作りあげた物なんだそうで、何となくクローンの技術の基礎のようにも見えます。

で、この媒体にしている植物と言うのに寿命が有り、寿命が近づいて来ると指先から枯れたようになってくるんだそうです。
高次元達の間ではこれを現在の肉体の交換時期と判断し、個人によって早い遅いはあるようですが、大体指先が枯れて来ると新しい肉体の生産に入るんだそうです。

ちなみにこの交換時期に有る手と言うのがイメージで何度か送られているのですが、本当に手の周りが茶色くなり指先が枯れ葉のようにボロボロになります。
ほったらかしにしているとこれがどんどん進行し、最後には肉体が枯れ果て人間で言えば霊体に相当するエネルギー体だけの存在になってしまうので、肉体生産所のような所には常に誰かの肉体が生産されているか保管されているんだそうです。

一見すると高次元は高次元で肉体のシステムが整っているように見えますが、ツインがこちらに来て思うのはタイトルの通りなんです。

本当は皆様にこのツインの説明を直接聞いて欲しかったんですが、元々ワタリ個人に向けたものだったせいか交代するのは拒否されてしまいました(^^;)
いわく『ワタリがどれだけ俺の話を理解したか見てみたい。』と言うのも有るそうですが、そう言う訳でこの件に関してはワタリの説明になります。

ツインいわく、人間の肉体は卵子と精子と言う二つの細胞が重なり合った結果とは言え、立派な自分専用の肉体だけど、自分達はあくまで植物達の借り物だ。だからうらやましい。自分の物なのだから何よりも愛さなければならない、大切にしなければならない。なんだそうです。

少しややこしい感じになりますし、基本肉体は誰からかの借り物と教わっている節が人間には有るのでツインの言葉が理解出来ない可能性も有ります。
実を言うとワタリもそんなイマイチ理解できていない一人で、正直「だから何?」と言う感じだったのですが、単細胞生物に関して調べたらなんとなーく理解が出来ました。

人間の肉体は卵子と精子をスタート地点にしていますが、この地点で個々の細胞は親の細胞の一部なので自分の肉体は親の借り物、或いは親からのもらい物。と言う思想は合っているんです。
しかし、ツイン達の肉体はあらかじめ生きている単細胞生物を媒体にこれを多細胞生物に仕立て上げる事で自分達の肉体を生産しています。
そして、確かに卵子と精子はそれが結合する事で新しい生命を生み出しますから、卵子と精子を単独で見て「生命の芽」と解釈するのは合っているんです。
しかし、単細胞生物は誰かの介入が無くても増殖と言う形で新しい命を生みだしますが、卵子と精子は単独で新しい命を生みだす事は出来ません。
そして、その新しく生み出された命は誰のものか?と言いますと、そこに宿った魂の物。

そう言う訳で、ツインは自分達の肉体は植物達からの借り物。人間達の肉体は完全なる自分の物。と判断していて、永遠に借り物の肉体でしかない自分達から見たら自分専用の肉体が有る人間はうらやましいと言うのです。

それと同時に、ワタリの肉体はこの世にたった一つしかないのだからもっと大切にしろ。もっと自分を大切にしろ。と言います。

お互いにない物ねだりと言えばそうなんですよね。
ツインはワタリの肉体をうらやましいと言い、ワタリは記憶が消えない高次元をうらやましいと言う。

でも、考えてみるとツインのうらやましいと思う感情は起きて当たり前なんです。
だって、人間界ではワタリの肉体、魔界では植物の肉体と言う違いと自分の意識の介入比率が違うだけで、ツインはいつまで経っても専用の肉体が手に入らないんです。

そんなツインから見たら、自分専用の肉体を持つ人間と言うのはとてもうらやましく感じるんだらしく、自殺したり自傷したりするなんて言うのは自分の肉体を粗末に扱い過ぎている証拠。なんだそうです。

もちろん、贖罪の為とは言えども殺される事を選んだ人も、自己犠牲精神発揮し過ぎる人も、ツインに言わせればこの世にいる自分を大事にしない人は全て全て自分専用の肉体である体を粗末にしている事になるんだそうです。

もちろん、イマイチまだ自己愛の足りないワタリも。

貴方はどうですか?
自分大切にしてますか?

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本当にリアルでやっていた迷子ヒモ活用方法 その2

2014-06-28 21:00:00 | スピ母の実践育児と子育て体験
はい、本日は昨日に引き続き数年前まで本当にリアルでやっていた迷子ヒモ活用方法。
って言うか読み返して見ると、自分がエンパス暴走状態でも完全なる手探りで育児をやってた当時の話しなせいか、少しでも同じ境遇の方に自信を持って育児をして欲しいと思って書いていたら説教入っていました(^^;)

でも、それでもかまします後半行ってみよー♪


ワタリは車社会だからまだ良い。
でも、子供たちはどういう訳だか電車バスに興味があって、電車バスを車のように使うのが当たり前の社会では、電車がホームに入った瞬間嬉しくなってかっ飛んでいく。なんて事は重々あり得るんです。

それが、必要あってバッグに目をやった次の瞬間でした。なんて事はざらで、子供の好きなものに対する飛び付く勢いと来たらそれこそ弾丸のごとくで、よちよち歩きだったはずの奴が急に走ったりするようになります。

迷子ヒモさえあればね、親子ともども安心なんですよ。

親がリードにぎってホームの真ん中にいれば勢いよく飛び出ても白線の内側で止まります。
通行人にはぶつかるでしょうが、子供の命と比べれば謝ってすむそれは安いもの。
むしろ、ワタリは迷子ヒモは親の愛情の象徴だと思います。

この記事の前々日分で行動制限に関する話をしましたが、これも乱暴な手段だけどお前が大事だからやる行動制限。
嫌みを言う奴なんて、その内情を知らない無責任。と切って捨てる位の勢いで良いんだと思います。

あのね、ツインに言わせるとこれってまだ迷子ヒモが浸透していない日本では信念が必要なことなんです。
信念が必要なことの場合、正直納得できない言葉には耳を貸さなくても良くて、むしろ自分の心を傷つけるような発言は黙ってスルーしておけば良いんです。
それでも対面で物を言う奴がいたらにっこりと微笑んで言ってみてくださいよ。

「じゃあ、貴方はこの子が危ない目に会ったとき責任をとってくれますか?」って。

大体の奴はこれで追い払えるワタリの必殺技なのですが、これで戸惑う人は大体かまって欲しくてこちらに噛みついた無責任な暇人なんです。

言うこと聞いても聞かなくても問題なし。ただぼやきたいだけの暇人なんです。
本当にこちらを思っていったのであれば、状況聞いて態度を改めますよ。

でも、それでも回りの発言が気になる人っていますよね。

ワタリに言わせればそう言う人は何となくやっていたか、周りからの承認が欲しくてしょうがないんです。
本当に必要でやっている。と言う信念がある人は周りの承認なんて必要ありません。
正直、周りからの無条件の承認が欲しくてしょうがない人はその辺が足りない。
強い弱いで言えば弱い分類になると断言せざるを得ません。
でも、迷子ヒモが大活躍していたのは本当の話で、育児に必要なツールである。これは是非日本に浸透させるべきだ。と思うのは本当。

だから、どうしても周りの声が気になるのならバッグにリードをぶら下げて握らせる。を実行してください。

正直ね、これだって目立つ奴珍しい奴を見れば構いたくなる暇人避けにはなりません。
なにか言う奴は何時までもなくならないし何を珍しいと思うか解らないから万能ではありませんよ。

でも、そんな暇人と子供の命どっちが重要なんですか?

いつ何で食いつくか解らないなら、正々堂々、せめてリードを握らせるのくらいはやってください。
そして、迷子ヒモは親の愛情の象徴だと肝に命じてください。

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本当にやっていた迷子ヒモ活用方法 その1

2014-06-27 21:00:00 | スピ母の実践育児と子育て体験
はい、今回はくそ長くなってしまったので二日間に分けて掲載です!
今回は、前半で明日後半が続きます。

何週間か前に子供の危険回避のために装着させる迷子ヒモが有るアナウンサーの発言をきっかけに是非をよんだようですね。
[迷子ひも]とくダネ小倉アナが「奴隷」発言 賛否両論ツイート


ワタリも次女が生まれる前から長女に迷子ヒモを用意していました。
結局ベストタイプだったこれが大活躍したのは次女が産まれてからで、必要に迫られている感はなかったと思います。

しかし、迷子ヒモの歴史が浅い日本では映像を見てもらった通り「犬みたい。」と言われるのは本当。
通りすがりの子供に言われるのならまだしも大人に言われることすらあるのが現状なのです。

先のアナウンサーのように余りにも無責任むき出しの発言をしっつこくされると「ならてめえ育児の現状しってっか?!」と噛みつきたくなるのが本音ですが、今回はリアルにやっていたワタリの迷子ヒモ活用法です。

ワタリの場合、ベストタイプだったせいか最終的には長女の成長にあわせベスト部分が着れなくなり、リード部分をバックの金具にはめ長女がにぎって使う迷子ヒモになっていました。

当時両手いっぱいの荷物に一歳未満だった次女をリュツクタイプのだっこヒモで抱え、二歳か三歳だった長女のだっこして欲しいと言う要求を拒否し、このバッグにつけたリードをにぎらせていたのをよく覚えています。

当時早く歩くのが苦手だった長女は、リードを握りしめ必死になってワタリに付いてきました。
何回くらいしつけていたのかは覚えていません。

ただ、気がつけば「ヒモ!」と言えばリードを握りしめ、リードを補助にぴったりとワタリにくっついてくる事が出来るようになっていました。
むしろ、リード握っているときの方が早く歩けたので、自力で歩くと言う事の習慣化と歩く練習を兼ねてこれはこれで有りだったのかもしれません。

次女が歩き始めた頃、ワタリは長女のために百均で名札等を首から下げるために使うヒモを購入し、長女の使っていたリードは次女行きにして引き続き迷子ヒモを握って歩くのを継続していました。
当時二人にとってこのリードをにぎって歩くのがどういう意味を持っていたのかは知りません。
ただ、長女のリードがキャラものだったせいか取り合いっこをいつもしていたのだけは覚えています。

バッグから伸びるリードを握りしめて歩く当時の子供たちが、回りから見るとどんな風に見えていたのかは知りません。

ただ、気がつけばワタリのバックからはリードが外れ、遠隔操作と言うか、腹から声を出して叱れば即反応するように願い実践していたら二人は腹から声を出して制止すればすぐ止まる子になりました。
まあ、正直こうしていないといざという時子供達の命が守れなくなるのでやっていたんですが。

正直ね、育児に関して恥ずかしいだのなんだの言ってられないんですよ。

むしろ子供の利益に繋がるのであれば世間なんて気にしなくて良いんです。
事実、長女だけだった頃このリードのおかげで休日の東京駅と言う迷子多発区域の典型のような場所でも迷子になる事はありませんでした。

この経験から、ワタリはむしろ都会に住む人ほど迷子ヒモが必要なんだと感じています。
だって、本当に迷子ヒモを装着できる三歳未満の子は一瞬目を離したら興味のままにかっ飛んでいくんです。

さあ!明日はこれの続きで、本当にリアルでやっていた迷子ヒモ活用方法後半です

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行動制限=愛情表現として理解してもらうのはすごく大変。

2014-06-26 21:00:00 | 人間としての修業
以前男尊女卑に関する話を書いている時に思い、この発展版と言うかこの世で最も起き易いパターンでの愛故の行動制限に関する話が必要になるな。と言う気がしたので今回の話題はそれです。

自分にとって大切な存在があると、大体の人はそれを守ろうとします。
特に動植物や子供等を始めとした自分よりも弱い立場の存在の場合、この守りたいと言う気持ちとセットで相手に対する行動制限が開始されます。

ワタリ自身今はコテージにいるハルを飼い始めた時、当時車の通りの激しい所に住んでいた都合上、車にひかれて死んだ猫を多数見ていたワタリはハルを失いたくないと言う理由で当時としては珍しい箱猫にするのを選び、ワタリが同伴でなければ外出はさせませんでした。

それでも若い頃は外に出たがった事が有って、洗濯物を干す都合で窓を開けていたりすると出て行こうとしたりしました。
しかし、当時ワタリは一階に住んでいた為ちょっと前足を出せばすぐ「駄目!!」と制止し、気が付いたらハルはワタリの制限を受け入れ外に出たがらない子になりました。

今は二階に住んでいるので猫たちはベランダに出てくつろいでいたりします。
しかし、それでも誰かがいなくなるのは嫌なので、下をのぞきこんでいたり手すりを歩いている時は落ちないように声をかけ、外出する時は絶対ベランダに誰もいない事を確認してから行きます。
けれど玄関から先に行くのは厳しく制限をしていて、ちょっとでも出ようものならすぐに叩いてでも制止します。

おかげで猫達は玄関から先には行かない子になり、誰ひとりとしてかける事無くワタリと家族の住む自宅で過ごしています。

ちょっと話がそれかけていますが、最も起き易いパターンでの愛故の行動制限をするって起承転結方式で話すとこう言う事になるんですね。

理由は、危ないと解っている所に行かせてその存在を失いたくないから。

飼い猫なら閉じ込める事で有り、人間の子供ならしつけを通して自分の身を守るすべを教える事だったり、誘われても危ない場所にはいかない。と教える事だったりします。
もちろん、不可視領域と関わるワタリの場合はこれにいわくつきスポットには誘われても行かない。と言うのが付きます。

まあ、流石に子供達も大きくなりワタリの目が届くので、夕飯の支度の合間に自宅の通路前で遊ばせる位の事はやるようになりましたが、まだまだ色々な所で小言が多いです。

と言うか、色々な理由から子供が何かやればほとんど毎回小言が飛んできて、あれはやれこれはやれあれはするなこれはするな・・・・。
最近は食べ物を粗末にした。等のスピ的にみて本当にやってはならない事をやった時限定ですが、一時期は白線の内側を歩くと言うのを習慣化させる為にお尻を叩いたり腕を引っ張ったり等の乱暴な手段をこうじた事も有り、まるで一昔前の犬のしつけかと思うような時も有りました(^^;)

でも、虐待と違うのは可能な限り自分はどうしてやったのか?と言う理由を説明している事。

なんとな~~くツインのやり方に影響を受けているよな。と言う気がしない訳では有りませんが、本当にリアルで「お前を失いたくないからやっているだぞ?いつかはお母さんの元を離れなきゃならないからやっているだぞ?」と言うような事をやっています。

言えば解るから。なんて言うのは相手に対し自分より頭が良い事、すなわち自分よりも物を知っていると言う事を前提にしている発想で、こう言う発想は親が子供に甘えている証拠だと思います。
あくまで経験的に得たものですが、最低でも床にこぼした食品を拾って口に運ばないようになるまでは手元を叩いてでも駄目な事は駄目!と教える必要が有るんだと思います。
そんな思考が有るせいか、口より手が早い人にはなっていると自分でも自覚しています。

でも、本人に理解出来る可能性の有る言葉を使い、出来るだけ簡潔に失いたくないからやっているんだ。と言う感情を込め説明を続ければ、ある日ふとした瞬間に結構通じていたんだな。と実感する事が多々あります。

それを初めて実感するのはいつになるのかが解らないのが難点なのですが、ワタリの長女の場合は五歳の誕生日過ぎ位に実感が持てるようになりました。

言葉足らずの子供達は察してもらえないと自身の気持ちですら自覚出来ない事が多く、そう言う点では言葉にならない言葉が解り、子供達の気持ちを代弁できるエンパスで良かったと思いますし、代弁するとほっとしたような顔をしている時が多く有ります。

でもね、言わなきゃ解らない事も沢山ありますし、対人間に対する行動制限なんてものは説明しなきゃ理解してもらえない事の最たるもの。

だから、行動制限する事を愛情表現としてとらえてもらうにはすごく大変で、それを維持するのには地道な努力が必要になるんです。
対大人でも、対子供でも、対動植物でもね。

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まずは「お前は出来るだ!」と言う事を実感させるのが先です。

2014-06-20 21:00:00 | スピ母の実践育児と子育て体験
配偶者がイッテQが好きな都合で、我が家ではこの番組が良く流れます。

ワタリはこの番組で内村氏が「I can do it!」と叫びながら自らを奮い立たせている姿に好感があるのですが、仮にヤラセだろうがなんだろうが、「俺は出来る!」と言う自己暗示のような言葉で本当に出来るようになる。スピ調に言うので有れば言霊一つで本当に実現させることが出来る人って早々滅多にはいません。

で、疑問だったので彼の事を調べたら、彼は小さい頃神童と呼ばれるような本当に出来る子だったんですね。

ワタリの記憶が正しければ、彼が幼少期を過ごしたであろう70年代はあらかじめ子供には自信があると言う前提に基づき、子供に対して悔しさをあおるような、それこそ努力しても努力しても叩き落としそこから這い上がるのが出来て当たり前とする、現在の危険なほどにほめるばかりの教育とは真逆の路線だったはずなので、内村氏が言霊一つで本当に実現させることが出来るのはおかしいと思っていたんです。
逆に、当時としてはまれである成功体験の比率が高い幼少期である神童と呼ばれいた過去が解りほっとしているくらいです。

そう言う訳で、今回の話題は後々いくらでも叩き潰すことは出来るだから、子供の教育はまず「お前は出来る!」と言うことから始めよう。と言う事です。

プライドと聞けば贅肉みたいなのしか思い浮かばず、それを嫌う配偶者にはやめろと言われますが、ワタリは基本子供たちに「お前は出来るんだ!」と言う内容を良く言います。

「出来るんだからやれ!」と叱咤になる場合もあれば、「さっき出来たんだから絶対できるって!」と励ます場合も有り、本当に様々です。

でも、根本に有るのは「お前は出来る。」と言う言霊を多用し、「お前は出来ない。」と言う言霊を使わない事。

まぁ、現状は出来るの比率が高いだけで、一回でも出来ればそれを大げさに誇示し出来ると言っていると言う、まるでアメリカ映画のような事をやっているなと感じます。

しかし、それでもお前は出来ると言って育てる。すなわち成功体験を積み重ねる事で自分に対する自信をつけるのが先と言うのは自尊心を育てる教育方法等の定番で、事実褒めて育てる事を徹底していると言う合気道教室に通わせ始めてから長女は精神的に本当に目に見えて強くなりました。

確かにね、挫折とかつまずきとかも長い目で見ると子育てに必要な事なんです。
でも、成長に従い世間が広がれば挫折もつまづきはほったらかしておいても何処かで必ず発生するんで、親の務めはそれを乗り越えるだけの自信をつけさせる方で有り、万が一の時に助けを求める事が出来る環境を整える事かしらと。

決して必要なつまずきを取り除く事でもなければ、あえて故意につまずきを用意する事でも有りません。
必要なつまずきを無くし続ければ親の助力なくしては生活出来ない駄目人間になりますし、必要以上つまずきを用意すれば乗り越えられない体験の方が多くなって自信がつかなくなります。

なんて言うかね、内村氏も人生の中で苦難って絶対有ったはずなんですよ。
それ以前にどんなに転生で才能を磨いて来た人でも苦難って言うのは絶対有ります。

それを乗り越えられる、それを乗り越える原動力と言うのは一体何か?と言いますと「自分は出来るんだ!!こんなもんじゃねえ!!」と言う現世における過去の成功体験で培った何くそ精神なんですよ。

何くそ精神って非常に重要なんですよ。
今湧いて来たイメージで言うと、起きあがりこぼしはどうして倒しても倒しても起きあがるのか?って、内部にバランスを保つ為のおもりと装置がしっかりと仕込んで有るから。

これと同じで、自分は出来るんだ。と言う成功体験は起きあがりこぼしで言えば内部に仕込んであるおもりと装置なんです。
で、これがしっかりと仕込んである起きあがりこぼしは倒しても倒しても絶対起きあがって来るのと同じで、成功体験を通して自分は出来るんだ。と言う事をしっかり学んで揺るぎない自信の基盤になっている人は挫折しても挫折しても起きあがって来るんですよ。

それが、内村氏が言霊一つで実践出来る仕掛け。

現代は良い時代だと思います。
ワタリもそうですが、内村氏の頃は自分は出来ないと思うばかりの子供を生産する教育で、ほめて育てる親が少数派だったんでしょうから。
それが今は褒めて育てるのが認められ、誰もが心おきなく自尊心を子供達に与える事が出来ます。

でも、そんな教育を地で行く人々を見ていて思うのは過剰で有れば危険で、表面しか触らないサルまねじゃ駄目で、世間体なんか気にしないで親が自身の教育に揺るぎない自信を持つくらい学び、子供達に対する愛情と成長を心底願ってそれを実践しなければもろい仕込みで終わるだろうな。と言う事。

こう言う点で、ワタリは露骨な愛情表現の本場であるヨーロッパ系のツインから色々学んでいて、彼の子供でうちの子たちは良かったな。と思います。


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