スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

平成生まれは何かが違う

2018-03-26 21:00:00 | 性格を悪くしているエンパスの日々
ライター稼業というのは編集者の思った通りに書くのが仕事の1つなので、特にこれを感じるのでしょうが、本当に平成生まれから何かが違うといつも思います。

天然でわかりやすい事を求めているのですが、そのわかり易いと感じる基準がとても高いのです。

何というか、中学生レベルにまでかみ砕かないと理解できないと言う感じ。

確かに、難しい事をより簡単に説明する事が出来ると言うのはすごく良い事なのですが、一般会社員ならまだしも、そこそこの学歴があるはずの公務員までこの中学生レベルじゃないとダメ。と言う状態なので、内心すぐごくうんざりしていたりします。

難しい事が理解できる人は間違いなくいます。間違いなくいて、間違いなく生存しているはずなのですが、そんな難しい事が理解できるはずの人々の中にも、ちらっとそんな中学生レベルでないとわからないと言う事の精神を見出す事が出来るので、内心「同じか」とため息をつきたくなります。

何なんでしょうか?この違いというのは。

ワタリは元より群馬に染まってはいませんが、何かが違うと常々感じています。

まどろっこしい説明、「●●活」に代表されるような脱学生できていない感、わざとらしい感のただようキラキラ脳みそ…。

元々、平成初期の生まれが高校生か大学生くらいの頃から感じていた事では有りますが、彼らたちが時代の最前線にくるようになってきて、明らかに我が子らに影響を及ぼしてくるようになったので、良し悪しだと感じてるワタリはすごく警戒しています。

元より、最近の子達は一度覚えるともうそこから抜け出せなくなるという事は感じていますが、何かがこびりつき過ぎています。

難しい事が理解できる人間と中学生レベルじゃないと理解できない人間、この違いは何なのでしょうか?

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こう言う記事に惑わされない

2018-03-19 21:00:00 | 性格を悪くしているエンパスの日々
今日、食事中にネットを見ていたら、こう言う記事に遭遇しました。

https://note.mu/isvara/n/n45b5b4b2c418

ワタリはこう言う記事はある程度読むとざっくりと結末わかるのですが、その頃には作者の悪意も見えているので、さっさと退避してこれ以上関わらないようにします。

でも、ブログに持ち込んで来たのは、この記事がネタで書いているだけのニセモノだという事をお知らせしたいから。

あのね、こう言う記事に惑わされちゃダメなんです。

特に、本物のエンパスはこう言う記事に惑わされやすいから、この手の記事読んでがっかりした感があったら受け入れないように今すぐ耳か目を洗って浄化のおまじないをした方が良い。

スピなんて世間から眉唾されていて、困った時にしか頼られない存在。って言うのはスピラーならみんな分かっている事なの。

それに、スピリチュアルの日本語訳とも言える「実践哲学」と言う言葉が示す通り、本当にただ人生をよりよく過ごすための方法でしかないの。

それこそ、ライフハックって言うの?油性ペンでの落書きを消すには除光液が良い。とか、床に生卵を落としたら小麦粉をかけてから片付けると効率が良い。とか、そう言う、覚えておくとちょっと良い方法。

でもね、エンパスもそうだけど、サイキック能力というのは間違いなく存在していて、それを保持している人は間違いなく存在しているんですよ。

実際、本当にエンパス能力がないのなら、エンパスを名乗るワタリが記事をある程度読んだだけでざっくり内容が分かる。なんて事は成立しないわけですよね?

こう言う事を言うと、反論者は経験則と言うのを持ち出して反論するの。

でも、ならどうしてリアルタイムでその人の考えている事が見て取れるの?どうして初対面の相手でもある程度集中して観察すると分類出来るの?どうして特定の相手の感情をそっくりそのまま口にする事ができるの?

そして、どうして反論者の出方にはパターンがあって、それを即論理で黙らせる自信と表面的に納得させてあしらうだけの自信あるの?なぜスピ反論者はこう言う質問責めにすごく弱いと言う事を知っていて、最後の最後には怒って強制終了させると言う事を予想できるの?

あのね、この世は可視領域の知識だけでは何の説明もできず、不可視領域だけの知識でも説明ができないの。

可視不可視両方の世界が手に手を取り合って、お互いの良いところを生かして行くからこそこの世というのは良い感じで回って行く。

だから、こんな記事に惑わされないで下さい。




















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湯シャンプーで考える、しょうもない人生の目標は終わらせましょう

2018-03-12 21:00:00 | ワタリのエッセイ
ワタリはいつもいわゆる湯シャンプーをしています。

コンディショナーをつけるのはしますが、基本髪がパサつきやすいので、頻繁に髪を洗うのには向いていないのです。

でも、湯シャンプーをしている人ならみんな感じている事ですが、湯シャンプーだけでは頭皮の油を完全に落とすことはできないらしく、頭皮がバターみたいにベタベタして来たらシャンプーを使って頭皮を洗い、このベタベタを解消させます。

でも、この作業をしていていつも感じるのは、たかがこんな時々リセットでも大げさに感じる人にとってはすごく抵抗があるんだろうな。という事なのです。

時々いるでしょ?「●●中だから絶対それはタブーなの!」とか言って自身を分かりやすく制限している奴。

湯シャンプーの場合だと、明らかに頭皮がベタベタしているのが自分で分かっているのに、「今湯シャンプー中だから絶対シャンプー使わないの!」という事になります。

命、健康、金銭取得に関わる事なら、そう言う自身に対する分かりやすい制限は悪いことではないと思います。

でも、たかが湯シャンプーなのに、そんなにこだわって自身を制限して何になるのか?といつも思います。

湯シャンプーだけなら、他者に対する攻撃というのは少ないですからまだ良いのですが、これがダイエットになると外食の際に自身に対する配慮を求める人もいます。

まあ、そう言う自身に対する配慮を他者に求める人というのは、何でもかんでも言いがかりをつけるための材料になるわけなので、それこそ本当に自分自身のその行動はおかしい事である。と言う事を自身の身で気がつかないと治らないわけなのですが、ちらっと、そう言う小さい事を人生の重要課題として生まれて来ている人々のことを考えると、なんとしょうもない事で大いなる被害を起こし、何度も何度も人生の教授を呼び出し、何回その教授を潰しているんだろう?といつも思います。

例えば、「大事にされる子供時代を過ごす」と言う風に、親のチョイスさえ間違っていなければ確実に成功する人生の課題を持って生まれて来た場合、子供時代で人生の課題が終わってしまうのです。

ワタリから見ると、こう言う人生においてあまり大きな課題を持たずに生まれて来た人というのはかなりいて、そういう人は現世の中でやる事を見出さないとならないのです。

でも、誠に残念ながら、そう言う小さい頃に現世に来た理由を済ませた人は、現世において目的が達成されてしまっているのでもうやる事がないと認識していて、大体の人はしょうもない方向に行きます。

そして、そのしょうもない方向の1つが、しょうもない事にこだわり過ぎる。と言う事とになり、それをやめて自分自身の人生を改めて考え、生産的なこだわりの方向に持って行くと言う事を実践として学ぶチャンスとなるわけなのです。

それがあの世に戻る直前までできていないと、走馬灯で反省大会となり、今まで潰して来た人生の教授達にごめんなさいの大合唱をする。と言うオチになるのです。

ワタリなんぞは教授役を求められ易い方なのですが、子供達のことで手一杯なので、そんなしょうもない事を人生の課題にしている人間にはかかわらないようにしているんです。

だから、ブログ上で言うだけで終わらせます。




















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魂の世界のノーキン

2018-03-05 21:00:00 | 人間としての修業
魂の世界と言うのは、本当のノリで成立している部分があるといつも思っています。

この件に関しては、転生のことに関してちょっと詳しい方々の領域になるのですが、誰それの人生を体験してみようとか、かなりノリが良くなくと成立しない事だと思います。

その反面、見せつける事がとても大好きで、とても大げさで、ワタリのように、人間をやる事自体に疲れてしまっている魂から見ると、なんだか人生は人間ドラマなんだ!!と言う事を強烈体現しているかのよう見えます。

なんて言うかな?例えば好戦的な魂だと、こっちがちょっと一言改善点を言っただけで、

「よおおおおおし!!!!お前はワタシと戦いたんだな!!!!!!!!!よおおおおおおおし!!!!うけてやろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!」

って、なって現世では有り得ない好戦的な態度に出るんです。

こう言う魂は、本当にタイトルに書いた通り魂の世界のノーキンなんですよ。

ノーキンの魂というのは、かなりの比率でいて、老いも若きも関係ない。

ちらっと見ると大体わかるようになってしまったため、ワタリは内心「あーあ」と思いながら関わらないようにそそくさと逃げることにしています。

だって、ワタリのようなエンパスは、そういう魂のノーキンから見たら良い餌食なんだもの。

本当、ノーキンはノーキンとくっつくのが…

そういえば、最近またトランピがのたまい始めましたね。

あれは…どうなんだろう?ノーキンなのか?そうじゃないのか?

ただ、魂ノーキンが政治のおもてに出るとどうなるのか?と言うことの結末だけは、ある程度のうちに見る事ができそうな予感がしています。
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