ーーー晩夏光天金の書の不滅の詩ーーー
浪漫派の4回目はコールリッジとワーズワースに次ぐ第2世代と呼ばれたキーツ、シェリー、バイロンだ。
18世紀末に生まれた彼等は共に若くして亡くなったが、残された詩は後のラファエル前派にも鮮烈な影響を与えた。
ジョン・キーツの「ナイチンゲールのオード」は短編ながら英文学の中で隠者が最も好きな詩だ。
(キーツ詩集 19世紀版)
キーツの長編叙事詩には神話的ファンタジーの「レイミア」や「エンディミオン」などがあるが、オードと呼ばれる数々の短詩の評価も高い。
日本の明治の詩人達にも愛好者が多く、土井晩翠がローマにあるキーツの墓に咲いていた菫を摘んで薄田泣菫への土産に持ち帰ったところ、薄田はそれに感動して号を「泣菫」と改めた逸話がある。
このナイチンゲールの詩やワーズワースの水仙の詩などは、日本の花鳥風月の真髄にも通じる自然の聖性が感じられよう。
キーツの友人であったパーシー・ビッシュ・シェリーもまた短命の詩人だった。
(シェリー詩集 19世紀版)
シェリーの作品では詩劇「鎖を解かれたプロメテウス」や「西風の賦」などがあり、日本でも「冬来たりなば春遠からじ」の一節は良く知られている。
貴族の生まれながら反骨精神のあまりにイートン校でもオックスフォード大学でも問題児扱いされ、悲恋の貴公子にして海難事故で早逝した、人生そのものが浪漫だった悲運の詩人だ。
更には彼の妻君のメアリー・シェリーはあの「フランケンシュタイン」の作者なので、後世では夫のパーシー・シェリーの方が些かかすんでしまう。
3人目のジョージ・ゴードン・バイロンもまた早逝の詩人だ。
(チャイルド・ハロウドの巡禮 バイロン作 土井晩翠訳)
この土井晩翠の格調高い文語韻律の訳は、口語訳ばかりの日本の英詩書の中では数少ない名訳だと思う。
バイロン卿の遍歴の旅を想わせる野辺に出てお気に入りの頁を開けば、たちどころに光輝に満ちたイタリア地中海へ移転出来るだろう。
情熱家であったこの詩人は自らギリシャ独立戦争に身を投じ、戦火の中に若い命を散らせた。
バイロンはスキャンダラスに語られる事も多いが、自由恋愛など許されなかった時代を考えれば彼こそ自由の戦士、浪漫の騎士と呼ぶべきだろう。
今回取り上げた詩人は3人とも天賦の才に恵まれながら若くして神に召された、いわゆる神に愛でられし美しき若者達で今も多くの英国人に愛されているのもうなずける。
日本ではフランス象徴詩の人気が高く、3大訳詩集の上田敏の「海潮音永井荷風の「珊瑚集」堀口大学の「月下の一群」ほか名翻訳も多いのに比べ、英語詩の翻訳は品も韻律も無い物ばかりで貧弱極まる。
もし現代のファンタジー人気の元で英国19世紀浪漫派の格調高い訳詩が出れば、20世紀の物質主義とは対極にある浪漫主義の文化芸術は必ず注目される気がする。
©️甲士三郎