前回の続きで坂下鈴鹿馬子歌会館からスタートです。
鈴鹿馬子唄会館の裏の坂道には東海道53次の宿名の書いた柱が立っています。その道沿いに廃校になった小学校を利用して鈴鹿峠自然の家がありました。
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今日はここからスタートです。
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鈴鹿峠自然の家。
ここから坂下宿の集落に向けて歩いて行きますが、相変らず通行量は少ないです。山道の傾斜が徐々にきつくなってきたところに集落が出始めここが坂下宿の中心になりますが、本陣跡などの石碑以外は面影を残すものはありません。しかし法安寺というお寺がありますがそこの山門は松屋本陣の門を移築したものとの事です。
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法安寺山門。
坂下の宿を越えるといよいよ鈴鹿峠の山岳コースに入って行きます。「東の箱根、西の鈴鹿」といわれる東海道屈指の難所ですので心して歩いて行きたいと思います。
歩く度に傾斜は高くなっていきます。息が切れるようになってきました。折れた枝が道に散らばって歩きにくいと思っていますと、神社が現れます。片山神社というそうです。鈴鹿大明神、鈴鹿権現、鈴鹿明神と呼ばれ、坂上田村麻呂を助けた鈴鹿御前を祀ったといわれていて水害や火事の神様です。その付近に芭蕉の句碑「ほっしんの初にこゆる鈴鹿山」があります。
更に進んで行き石畳も出現しました。久々の石畳です。
片山神社。
石畳
芭蕉句碑。
歩き始めですが少々バテて来たところで鏡石に入る道の分岐点となります。鏡石の肌面は縦2.3m、横2m。昔、峠に住む山賊が街道を通る旅人の姿をこの岩に映して危害を加えたという伝説から、俗称「鬼の姿見」ともいうようです。ここはスルーして体力を温存したいところですが歩き始めの無謀さで見に行ってきました。
鏡石。
分岐点から間もなく伊勢国(三重県)と近江国(滋賀県)の領界になります。これで三重県も終了し滋賀県にステージが移ります。この県越えればゴールは間近です。
伊勢と近江の境界石。
滋賀県に入ると茶畑が多く見られ、急な上り坂がなだらかな下り坂になります。遂に鈴鹿峠の頂きを越えてきました。
最初に目につくのは「万人講常夜燈」です。江戸時代に金比羅参りの講中が道中の安全を祈願して建立したものです。
万人講常夜燈。
ここからも下りになり国道1号と合流しますが、ここに県境の標識。国1ではここが県境のようです。土山町は甲賀市という名前になったんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/2e/b8698762fbc2c16df9c99ecd44ea0d40.jpg)
この後は暫らく国1沿いを歩くことになります。振り返れば鈴鹿山系の山々と秋晴れの快晴の空が気持ちよく感じます。とてものどかな雰囲気です。
この道を歩いて行くと前方に大きな高架の道が現れます。新名神高速です。これができた事によりこの辺の景色が一変した事でしょう。
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鈴鹿山系と新名神。
この後は国1沿いを歩き一時的に脇道に入るというルートです。脇道に入り工場の横を通り過ぎた所に「蟹坂古戦場跡」があります。
1542年、伊勢の国司北畠具教は甲賀に侵入しようとして鈴鹿の間道を越えて山中城を攻め、当時の山中城主山中秀国が戦った古戦場です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/d7/b85e622bc81299b802eb07ab832c9ac1.jpg)
その後田畑の中の道が続き、車両が通れない橋が現れます。海道橋といいます。広重の土山宿を描いた「土山宿春の雨」はこの橋を通る大名行列が描かれています。
海道橋
その先は林になり神社の参道にぶつかります。これは田村神社で坂上田村麻呂を祀ってあり「厄除けの神」としても有名です。敬意を表して参拝してまいりました。
田村神社。
田村神社から国1に向かい、交差した所に「道の駅 あいの土山」がありましたので、少し休憩させてもらいました。無料で土山茶のサービスもありました。タイムリーに休憩できる施設が現れると助かります。
道の駅、あいの土山。
この道の駅の裏が東海道になります。土山宿に入って行きます。
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土山宿は町ぐるみで東海道の保存に心がけているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/aa/3fbc8b6b282f25c0f14fc9e8694041f6.jpg)
宿の途中に土山伝馬館という施設があります。入場無料なので入ってみましたが、ボランティアのお母さんが親切に説明してくれました。まずは蔵の中にある人形で出来た大名行列を見せてくれました。土山宿のジオラマなどで土山宿の魅力を紹介してくれました。これも一つの「お・も・て・な・し」ですね。お母さんありがとうございました。
土山宿伝馬館。
伝馬館のすぐ近くに土山本陣跡がありました。本陣が残っている宿は少ないのですが風情ある土山には残っていました。
土山本陣跡。
土山宿を歩き尽くすと又国1にでました。本来はこの後合流して野洲川となる前の白川を渡しで渡るのですがここに橋が架かっていないので国1横の歌声橋で渡って行きます。
野洲川。先週の台風でまだ濁っています。
その後久々に松並木。
土山宿から水口宿を目指します。水口までの道は単調であまり面白みがない道ですのでとても退屈します。この間の道で2つ目の一里塚が今在家の一里塚です。復元かと思いますが一里塚の格好を留めています。
今在家一里塚。
そこから歩いて暫らくで「水口宿の東見付跡」があります。水口宿の東の端です。いよいよ水口宿に入りました。
水口宿は土山程旧蹟が残ってはいませんがここも古い街並みで落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
高札所跡。
水口宿の町並み。
祭の曳山をモチーフにしたからくり時計。
町並みが途切れると鉄道の踏切を越えます。近江鉄道の踏切です。関宿の手前以来久々の踏切でした。この後は住宅街の中を歩きます。たまに田園風景も目にしますが今日はコンバインが活躍している姿をよく目にしたのと、小学校などの横を通ると運動会の声等も聞こえてきました。
延々と退屈な風景と疲労からくる足の痛みがピークに達してきました。やはり3か月のブランクがここに来て影響が出てきます。
今日は石部宿までを予定していましたが、計画を修正しなければならない状況になりました。次のアクセスを考えると少なくともJR草津線の駅までは歩きたい。そこで今日のゴールをJR三雲駅に代えました。
しかしここからざっと30分程はかかりそうです。
少しづつ歩いていくと一里塚があります。泉一里塚です。
泉一里塚。
この近くに横田の渡し跡があります。昔はここから野洲川を渡し舟で渡していました。
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横田の渡し跡。
渡しを迂回するように次の橋を渡るとJR三雲駅はすぐでした。今度はここまで電車で来て歩き始めます。
次の回大津を目指して歩きたいと思います。
湖南市に入ります。
今日の終点はJR三雲駅。
鈴鹿馬子唄会館の裏の坂道には東海道53次の宿名の書いた柱が立っています。その道沿いに廃校になった小学校を利用して鈴鹿峠自然の家がありました。
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今日はここからスタートです。
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鈴鹿峠自然の家。
ここから坂下宿の集落に向けて歩いて行きますが、相変らず通行量は少ないです。山道の傾斜が徐々にきつくなってきたところに集落が出始めここが坂下宿の中心になりますが、本陣跡などの石碑以外は面影を残すものはありません。しかし法安寺というお寺がありますがそこの山門は松屋本陣の門を移築したものとの事です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/8e/431c3064091dc1e3b523d63f9e06fd7b.jpg)
法安寺山門。
坂下の宿を越えるといよいよ鈴鹿峠の山岳コースに入って行きます。「東の箱根、西の鈴鹿」といわれる東海道屈指の難所ですので心して歩いて行きたいと思います。
歩く度に傾斜は高くなっていきます。息が切れるようになってきました。折れた枝が道に散らばって歩きにくいと思っていますと、神社が現れます。片山神社というそうです。鈴鹿大明神、鈴鹿権現、鈴鹿明神と呼ばれ、坂上田村麻呂を助けた鈴鹿御前を祀ったといわれていて水害や火事の神様です。その付近に芭蕉の句碑「ほっしんの初にこゆる鈴鹿山」があります。
更に進んで行き石畳も出現しました。久々の石畳です。
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歩き始めですが少々バテて来たところで鏡石に入る道の分岐点となります。鏡石の肌面は縦2.3m、横2m。昔、峠に住む山賊が街道を通る旅人の姿をこの岩に映して危害を加えたという伝説から、俗称「鬼の姿見」ともいうようです。ここはスルーして体力を温存したいところですが歩き始めの無謀さで見に行ってきました。
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分岐点から間もなく伊勢国(三重県)と近江国(滋賀県)の領界になります。これで三重県も終了し滋賀県にステージが移ります。この県越えればゴールは間近です。
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滋賀県に入ると茶畑が多く見られ、急な上り坂がなだらかな下り坂になります。遂に鈴鹿峠の頂きを越えてきました。
最初に目につくのは「万人講常夜燈」です。江戸時代に金比羅参りの講中が道中の安全を祈願して建立したものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/f9/332e8985a633979bb925c3262a0264c3.jpg)
ここからも下りになり国道1号と合流しますが、ここに県境の標識。国1ではここが県境のようです。土山町は甲賀市という名前になったんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/2e/b8698762fbc2c16df9c99ecd44ea0d40.jpg)
この後は暫らく国1沿いを歩くことになります。振り返れば鈴鹿山系の山々と秋晴れの快晴の空が気持ちよく感じます。とてものどかな雰囲気です。
この道を歩いて行くと前方に大きな高架の道が現れます。新名神高速です。これができた事によりこの辺の景色が一変した事でしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/3b/e5dd020ec9640061d143ff12797c6b3e.jpg)
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鈴鹿山系と新名神。
この後は国1沿いを歩き一時的に脇道に入るというルートです。脇道に入り工場の横を通り過ぎた所に「蟹坂古戦場跡」があります。
1542年、伊勢の国司北畠具教は甲賀に侵入しようとして鈴鹿の間道を越えて山中城を攻め、当時の山中城主山中秀国が戦った古戦場です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/d7/b85e622bc81299b802eb07ab832c9ac1.jpg)
その後田畑の中の道が続き、車両が通れない橋が現れます。海道橋といいます。広重の土山宿を描いた「土山宿春の雨」はこの橋を通る大名行列が描かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/8f/779375817944f3b62531cc4e54f338c0.jpg)
その先は林になり神社の参道にぶつかります。これは田村神社で坂上田村麻呂を祀ってあり「厄除けの神」としても有名です。敬意を表して参拝してまいりました。
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田村神社から国1に向かい、交差した所に「道の駅 あいの土山」がありましたので、少し休憩させてもらいました。無料で土山茶のサービスもありました。タイムリーに休憩できる施設が現れると助かります。
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この道の駅の裏が東海道になります。土山宿に入って行きます。
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土山宿は町ぐるみで東海道の保存に心がけているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/aa/3fbc8b6b282f25c0f14fc9e8694041f6.jpg)
宿の途中に土山伝馬館という施設があります。入場無料なので入ってみましたが、ボランティアのお母さんが親切に説明してくれました。まずは蔵の中にある人形で出来た大名行列を見せてくれました。土山宿のジオラマなどで土山宿の魅力を紹介してくれました。これも一つの「お・も・て・な・し」ですね。お母さんありがとうございました。
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伝馬館のすぐ近くに土山本陣跡がありました。本陣が残っている宿は少ないのですが風情ある土山には残っていました。
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土山宿を歩き尽くすと又国1にでました。本来はこの後合流して野洲川となる前の白川を渡しで渡るのですがここに橋が架かっていないので国1横の歌声橋で渡って行きます。
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土山宿から水口宿を目指します。水口までの道は単調であまり面白みがない道ですのでとても退屈します。この間の道で2つ目の一里塚が今在家の一里塚です。復元かと思いますが一里塚の格好を留めています。
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そこから歩いて暫らくで「水口宿の東見付跡」があります。水口宿の東の端です。いよいよ水口宿に入りました。
水口宿は土山程旧蹟が残ってはいませんがここも古い街並みで落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
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町並みが途切れると鉄道の踏切を越えます。近江鉄道の踏切です。関宿の手前以来久々の踏切でした。この後は住宅街の中を歩きます。たまに田園風景も目にしますが今日はコンバインが活躍している姿をよく目にしたのと、小学校などの横を通ると運動会の声等も聞こえてきました。
延々と退屈な風景と疲労からくる足の痛みがピークに達してきました。やはり3か月のブランクがここに来て影響が出てきます。
今日は石部宿までを予定していましたが、計画を修正しなければならない状況になりました。次のアクセスを考えると少なくともJR草津線の駅までは歩きたい。そこで今日のゴールをJR三雲駅に代えました。
しかしここからざっと30分程はかかりそうです。
少しづつ歩いていくと一里塚があります。泉一里塚です。
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この近くに横田の渡し跡があります。昔はここから野洲川を渡し舟で渡していました。
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横田の渡し跡。
渡しを迂回するように次の橋を渡るとJR三雲駅はすぐでした。今度はここまで電車で来て歩き始めます。
次の回大津を目指して歩きたいと思います。
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