先日ご報告いたしましたが、11月19日午後8時28分父が亡くなりました。
元日夕方から体調を崩して亡くなるまで6回程生死の境をさまよった父でしたが、その度にカムバックしてきました。今回もかなり深刻な状況でカムバックを期待していましたが、病院の手厚い看護も空しく逝ってしまいました。
1月からは三重県の病院に入院していましたが、退院してからはかなり元気になって安心していました。
ところが8月13日、沼津に帰って来た日に体調が悪化、即日手術となりました。それからは入院生活となります。
なるべく週末を沼津にいるようにしていましたが、だんだん衰えゆく父を見て悲しくなりました。
1ヶ月半程前からは食事もできずに点滴に頼る毎日でした。手足はやせ細って頬はこけてしまう父を見て旨いものをもう一度食べさせてあげたいとも思いました。
そんな中でも必死に生きようとする生命力の強さは凄いものでした。
亡くなる当日早朝に病院から「呼吸が弱くなっている」という連絡を受けて沼津に急行しました。午前中はいつもと変わらず言葉を交わす事ができましたが、午後になると言葉を発する事ができずに寝ているようになりました。
そんな父の横に座っていて、昔の事なんかを思い浮かべていました。ふと中学3年頃の思い出が浮かび父に申し訳ない暴言を吐いた事を思い出しました。今考えるとその時の父の目が今までで一番悲しそうにしていたような気がしました。何度も「ごめんなさい」と心の中で念じていたら涙がこぼれてきました。
子供を育てる立場になった時に親の偉大さがやっとわかってきました。親は子供の為に一生懸命働いてくれているのに、自分はなんて愚かな事を言ってしまったんだろうと今頃になって反省しました。
夕方になると更に状況は悪化して昏睡状態が続きます。
脈も弱くなり何回呼びかけても何とも反応が無くなってしまいました。
8時28分遂に死亡確認された時に6年前に母親がなくなった時にも流れなかった涙が眼の周りを覆っていました。
その後はお寺へ行って葬儀の手配をして、日程的に死亡した翌日お通夜、その翌日に告別式という慌ただしい予定でしたので悲しみに暮れている暇も無く、初めて喪主を務める事となって親戚関係や近隣等への連絡などで忙しく走り回っていました。突然の連絡でありながら皆さんが通夜や告別式に駆け付けてくれた事に感謝して止みませんでした。
色々整理が昨日一段落したので今日はちょっとホッとした感じでした。生まれ故郷の沼津が終焉の地となった事が父にとっては一番良かった事かと思いました。
妻や姉夫婦と父との思い出を語りながら過ごして夕方浜松に向かいました。
今後の事とか残った整理については色々な課題がありますがひとつひとつ片づけて行きたいと思います。
今は父に89年間お疲れ様でした、今まで育ててくれてありがとうございました。と心よりお礼したいと思います。
これからは天国でまた母と暮らせますね。安らかにおやすみください。
元日夕方から体調を崩して亡くなるまで6回程生死の境をさまよった父でしたが、その度にカムバックしてきました。今回もかなり深刻な状況でカムバックを期待していましたが、病院の手厚い看護も空しく逝ってしまいました。
1月からは三重県の病院に入院していましたが、退院してからはかなり元気になって安心していました。
ところが8月13日、沼津に帰って来た日に体調が悪化、即日手術となりました。それからは入院生活となります。
なるべく週末を沼津にいるようにしていましたが、だんだん衰えゆく父を見て悲しくなりました。
1ヶ月半程前からは食事もできずに点滴に頼る毎日でした。手足はやせ細って頬はこけてしまう父を見て旨いものをもう一度食べさせてあげたいとも思いました。
そんな中でも必死に生きようとする生命力の強さは凄いものでした。
亡くなる当日早朝に病院から「呼吸が弱くなっている」という連絡を受けて沼津に急行しました。午前中はいつもと変わらず言葉を交わす事ができましたが、午後になると言葉を発する事ができずに寝ているようになりました。
そんな父の横に座っていて、昔の事なんかを思い浮かべていました。ふと中学3年頃の思い出が浮かび父に申し訳ない暴言を吐いた事を思い出しました。今考えるとその時の父の目が今までで一番悲しそうにしていたような気がしました。何度も「ごめんなさい」と心の中で念じていたら涙がこぼれてきました。
子供を育てる立場になった時に親の偉大さがやっとわかってきました。親は子供の為に一生懸命働いてくれているのに、自分はなんて愚かな事を言ってしまったんだろうと今頃になって反省しました。
夕方になると更に状況は悪化して昏睡状態が続きます。
脈も弱くなり何回呼びかけても何とも反応が無くなってしまいました。
8時28分遂に死亡確認された時に6年前に母親がなくなった時にも流れなかった涙が眼の周りを覆っていました。
その後はお寺へ行って葬儀の手配をして、日程的に死亡した翌日お通夜、その翌日に告別式という慌ただしい予定でしたので悲しみに暮れている暇も無く、初めて喪主を務める事となって親戚関係や近隣等への連絡などで忙しく走り回っていました。突然の連絡でありながら皆さんが通夜や告別式に駆け付けてくれた事に感謝して止みませんでした。
色々整理が昨日一段落したので今日はちょっとホッとした感じでした。生まれ故郷の沼津が終焉の地となった事が父にとっては一番良かった事かと思いました。
妻や姉夫婦と父との思い出を語りながら過ごして夕方浜松に向かいました。
今後の事とか残った整理については色々な課題がありますがひとつひとつ片づけて行きたいと思います。
今は父に89年間お疲れ様でした、今まで育ててくれてありがとうございました。と心よりお礼したいと思います。
これからは天国でまた母と暮らせますね。安らかにおやすみください。