平成25年8月16日(金)~18日(日) 幌尻岳から戸蔦別岳直下まで
1日目は長距離だが林道を歩くだけ、2日目は高低差1200メートルほどの中程度の登山、3日目は初日と同じ林道歩き、これまで漠然と遠い存在と考えていた幌尻岳もこのように行程を分解してみると、十分に達成可能な目標と思えるから不思議だ。しかも、山小屋泊まりでテント装備も省略できるときては益々敷居が低くなる。このような思い込みが自らのポテンシャルを高める原動力になっているのだろう。
豊糠からシャトルバスに乗り額平川を遡行する額平川コース、新冠ダムから奥新冠ダムまでの林道をいく新冠川コース、チロロ林道からヌカビラ岳~北戸蔦別岳~戸蔦別岳の稜線を行く戸蔦別岳コースのうち、夏山ガイドで最も登り易いコースとして紹介されている新冠コースを行くため再び新冠ダムを目指して札幌を出発した。心配した天気も日高道終点付近で願いが通じたのか空に青空が広がってきた。
16日 曇りのち雨
40キロものデコボコな林道を走り新冠ダム奥にある北電ゲートに到着すると、驚いたことにすでに車が10台ほど止まっていて、下山してきたばかりの人たちが挨拶を交わしながら帰っていった。当日、同じ頃に到着した千葉から来たという単独男性とほぼ同時に出発した。その人とは幌尻岳までほぼ行動を共にした。我々は、W田さん、M井さん、J西さんと私の4名パーティ。

(北電ゲート前は大賑わい)
林道歩きを始めて30分を過ぎた頃にあの有名な”いこい橋”が現れる。なるほど、橋の外側までせり出したゲートは、簡単には通さないよと自己主張しているようだ。現に通過を拒否された自転車が一台ゲート手前に放置されていた。体をよじってゲートを通過してしばらく歩くと雨が降り始め、新冠ポロシリ山荘まで断続的に降り続けた。

(ザックを下ろすことになるので、”いこい橋”というのだろうか?)
勾配のきついアップダウンが連続する林道を重い荷物を背負って5時間も歩くというのはさすがにキツイ。15時過ぎ到着した奥新冠ダムからさらに新冠ポロシリ山荘までは更に傾斜が増し、山荘に到着したときには全身汗びっしょりとなっていた。

(奥新冠ダムに着きました、ダムのちょっと手前に岩清水があります)
当日の山荘宿泊は、当日に幌尻岳を登頂した5名と我々4名、それと千葉からの単独男性の10名、空き々の山荘を我がもの顔で利用した。滅多に車で入ってくることができない割には、山荘はきれいに維持されており、多少汚いがトイレもあり、山荘内の炊事場には沢から引いた水が流れていた。味は保証しないことを前提に引き受けた食当は、前回山行の反省を踏まえてレシピを変えた野菜炒めとアルファ米でなんとか役目を果たした。持参したアルコールで更けゆく夜を過ごして、8時前には床についた。

(新冠ポロシリ山荘、とてもきれいに維持されています)
17日 曇り時々雨
朝3時に起床、真夜中から断続的に降り続いていた雨は降り止まず、今日は停滞日かと暗雲が立ち込めたが、明るくなってきた4時過ぎには雨も上がり、大急ぎで準備し5時前に幌尻岳に向けて出発した。登山道は幌尻沢に沿っており、笹が生い茂っているが道を見失うようなことはなく、1ヶ所ある渡渉も普通の登山靴でまったく問題ない。尾根に続く登山道には、見晴台、中間点、水場、お花畑、大岩といった標識が付けられており、よく整備された登山道といった印象である。

(さあ出発)
C1600付近の水場で水分補給すると、いよいよ急登の連続となる。それと共に我が身がガス欠状態になってきて、メンバに待ってもらいながらの苦しい登りとなり、最後は青息吐息状態でガスで何も見えない幌尻岳山頂に到着した。

(水場に到着、たっぷりと水を汲みました)

(幌尻岳に到着、バテバテになっています)
だが今回はこれで終わりではなく戸蔦別岳まで足を延ばす予定となっている。内心はここで終わりとして欲しいと弱気な気持ちもあったが、15分ほどの休憩の後に気合いを入れ直して戸蔦別岳方面に向かった。

(ガスがかかって何にも見えません)
強風が吹き荒れる稜線上を進み、真横に七つ沼カールが見えるはずのコルまできて戸蔦別岳に距離にして400メートル(標高差200メートル)まで迫っていたが、疲れが限界にきていたためギブアップを宣言した。そしてリーダの判断で今回の山行はここまでとなった。(メンバのみなさん申し訳ありませんでした)ちょうどその時になってガスが切れてきて、いきなり七つ沼の姿が目の前に現れた。ここまで頑張ったお土産をくれたのかもしれない。

(感激の七つ沼カールとのご対面)
標高差300メートルを登り返して再び幌尻岳に戻ったがそこには誰もいなかった。風も吹き荒れていたため山頂をそのまま通過して下山していくと、途中で大阪から来たという3名の登山者と出会った。その頃から雨も降り始め足元がぐちゃぐちゃ状態になりながら16時頃に山荘に到着した。雨で濡れた衣類で占有された2階でボンカレーと卵スープで夕食をとり7時には就寝した。
18日 雨
5時に起き片づけして6時に山荘を後にした。山荘を出でまもなく降り始めた雨は次第に強くなり、無言の行進で
ようやくたどり着いた登山口には、さすがに当日に登ろうという人は誰もいなかった。新冠レコードの湯で3日間の汚れと汗を流して今回の山行を振り返って札幌に戻った。

(奥新冠ダムに別れを告げます)

(戸蔦別岳の直下まで行ってます、もう少し頑張れたかも知れません)
長靴
今回はいろいろ考えて長靴にしたが、終始雨模様だった今回の山行では、それは正しい選択ではなかった。岩場では滑り易いし、長い林道のダラダラ下りで爪がやられてしまったり、ズボンの裾から入り込む雨水でぐしゃぐしゃ、そんな状態の長時間歩行で靴の中が破れた。よかったのは、水溜りを避けずに歩けたこと、たった1ヶ所の渡渉を気にせずに通過できたことだけ。秀岳荘で買った高価な長靴も今回限りでゴミ箱行きになった。
1日目は長距離だが林道を歩くだけ、2日目は高低差1200メートルほどの中程度の登山、3日目は初日と同じ林道歩き、これまで漠然と遠い存在と考えていた幌尻岳もこのように行程を分解してみると、十分に達成可能な目標と思えるから不思議だ。しかも、山小屋泊まりでテント装備も省略できるときては益々敷居が低くなる。このような思い込みが自らのポテンシャルを高める原動力になっているのだろう。
豊糠からシャトルバスに乗り額平川を遡行する額平川コース、新冠ダムから奥新冠ダムまでの林道をいく新冠川コース、チロロ林道からヌカビラ岳~北戸蔦別岳~戸蔦別岳の稜線を行く戸蔦別岳コースのうち、夏山ガイドで最も登り易いコースとして紹介されている新冠コースを行くため再び新冠ダムを目指して札幌を出発した。心配した天気も日高道終点付近で願いが通じたのか空に青空が広がってきた。
16日 曇りのち雨
40キロものデコボコな林道を走り新冠ダム奥にある北電ゲートに到着すると、驚いたことにすでに車が10台ほど止まっていて、下山してきたばかりの人たちが挨拶を交わしながら帰っていった。当日、同じ頃に到着した千葉から来たという単独男性とほぼ同時に出発した。その人とは幌尻岳までほぼ行動を共にした。我々は、W田さん、M井さん、J西さんと私の4名パーティ。

(北電ゲート前は大賑わい)
林道歩きを始めて30分を過ぎた頃にあの有名な”いこい橋”が現れる。なるほど、橋の外側までせり出したゲートは、簡単には通さないよと自己主張しているようだ。現に通過を拒否された自転車が一台ゲート手前に放置されていた。体をよじってゲートを通過してしばらく歩くと雨が降り始め、新冠ポロシリ山荘まで断続的に降り続けた。

(ザックを下ろすことになるので、”いこい橋”というのだろうか?)
勾配のきついアップダウンが連続する林道を重い荷物を背負って5時間も歩くというのはさすがにキツイ。15時過ぎ到着した奥新冠ダムからさらに新冠ポロシリ山荘までは更に傾斜が増し、山荘に到着したときには全身汗びっしょりとなっていた。

(奥新冠ダムに着きました、ダムのちょっと手前に岩清水があります)
当日の山荘宿泊は、当日に幌尻岳を登頂した5名と我々4名、それと千葉からの単独男性の10名、空き々の山荘を我がもの顔で利用した。滅多に車で入ってくることができない割には、山荘はきれいに維持されており、多少汚いがトイレもあり、山荘内の炊事場には沢から引いた水が流れていた。味は保証しないことを前提に引き受けた食当は、前回山行の反省を踏まえてレシピを変えた野菜炒めとアルファ米でなんとか役目を果たした。持参したアルコールで更けゆく夜を過ごして、8時前には床についた。

(新冠ポロシリ山荘、とてもきれいに維持されています)
17日 曇り時々雨
朝3時に起床、真夜中から断続的に降り続いていた雨は降り止まず、今日は停滞日かと暗雲が立ち込めたが、明るくなってきた4時過ぎには雨も上がり、大急ぎで準備し5時前に幌尻岳に向けて出発した。登山道は幌尻沢に沿っており、笹が生い茂っているが道を見失うようなことはなく、1ヶ所ある渡渉も普通の登山靴でまったく問題ない。尾根に続く登山道には、見晴台、中間点、水場、お花畑、大岩といった標識が付けられており、よく整備された登山道といった印象である。

(さあ出発)
C1600付近の水場で水分補給すると、いよいよ急登の連続となる。それと共に我が身がガス欠状態になってきて、メンバに待ってもらいながらの苦しい登りとなり、最後は青息吐息状態でガスで何も見えない幌尻岳山頂に到着した。

(水場に到着、たっぷりと水を汲みました)

(幌尻岳に到着、バテバテになっています)
だが今回はこれで終わりではなく戸蔦別岳まで足を延ばす予定となっている。内心はここで終わりとして欲しいと弱気な気持ちもあったが、15分ほどの休憩の後に気合いを入れ直して戸蔦別岳方面に向かった。

(ガスがかかって何にも見えません)
強風が吹き荒れる稜線上を進み、真横に七つ沼カールが見えるはずのコルまできて戸蔦別岳に距離にして400メートル(標高差200メートル)まで迫っていたが、疲れが限界にきていたためギブアップを宣言した。そしてリーダの判断で今回の山行はここまでとなった。(メンバのみなさん申し訳ありませんでした)ちょうどその時になってガスが切れてきて、いきなり七つ沼の姿が目の前に現れた。ここまで頑張ったお土産をくれたのかもしれない。

(感激の七つ沼カールとのご対面)
標高差300メートルを登り返して再び幌尻岳に戻ったがそこには誰もいなかった。風も吹き荒れていたため山頂をそのまま通過して下山していくと、途中で大阪から来たという3名の登山者と出会った。その頃から雨も降り始め足元がぐちゃぐちゃ状態になりながら16時頃に山荘に到着した。雨で濡れた衣類で占有された2階でボンカレーと卵スープで夕食をとり7時には就寝した。
18日 雨
5時に起き片づけして6時に山荘を後にした。山荘を出でまもなく降り始めた雨は次第に強くなり、無言の行進で
ようやくたどり着いた登山口には、さすがに当日に登ろうという人は誰もいなかった。新冠レコードの湯で3日間の汚れと汗を流して今回の山行を振り返って札幌に戻った。

(奥新冠ダムに別れを告げます)

(戸蔦別岳の直下まで行ってます、もう少し頑張れたかも知れません)
長靴
今回はいろいろ考えて長靴にしたが、終始雨模様だった今回の山行では、それは正しい選択ではなかった。岩場では滑り易いし、長い林道のダラダラ下りで爪がやられてしまったり、ズボンの裾から入り込む雨水でぐしゃぐしゃ、そんな状態の長時間歩行で靴の中が破れた。よかったのは、水溜りを避けずに歩けたこと、たった1ヶ所の渡渉を気にせずに通過できたことだけ。秀岳荘で買った高価な長靴も今回限りでゴミ箱行きになった。
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