平成24年10月6日(土) 楽古岳(雷雨のため途中撤退)
10月の三連休は楽古岳と神威岳に登るため土曜日の3時に札幌を発った。起きた時間は2時頃なので朝というよりは深夜である。天馬街道から林道に入り6時半過ぎに朝一番乗りで楽古山荘に到着した。誰もいない楽古山荘を見学し、トイレで用を足して7時過ぎに山仲間のWさんと共に登山口を出発した。

(最初しばらくは作業道跡を歩く)
最初はメナシュンベツ川沿いの沢遡行、登山靴を濡らしたくない一心で最初の渡渉からいきなり苦労する。渡渉は数回あったが、いずれも苦労しながら尾根取り付き地点まで1時間も要してしまった。その間の登山道もわかりにくく、木につけられた赤テープが頼りだった。

(岩が濡れてすべりやすい状態になっている)
尾根に取り付いてしばらく経ったころから、遠くで雷の音が聞こえていた。それが次第に近づいてきて標高1100メートル付近でとうとう本降りになって上下雨具を着用した。そしてもう少しで稜線(楽古ノ肩)というところにきて頭の上で何度も雷が鳴ったので、そこで行動を停止して撤退を決めた。

そしてしばらく降りてからウェストポシェットがないことに気づいた、雨具を着用するときに外した時に木に掛けたまま忘れてしまったのだ。ポシェットには、地図とコンパス、笛のほか、GPS用の予備乾電池と行動食が入っていたが、200メートルほどを登り返す元気は残っていなかった。

(浦河山岳会のみなさん、忙しそうに働いていました)
楽古山荘に戻ってみると山荘の前にはたくさんのクルマが止まっていた。聞くと浦河山岳会の方々で、年に何回か行っている山荘や登山道整備の日とのこと。山岳会の方々の休んでいけというお言葉に甘えて、ストーブが焚かれた小屋の中で30分ほどゆったりと休憩させていただき、人心地ついてから翌日のために神威山荘に向かった。

10月の三連休は楽古岳と神威岳に登るため土曜日の3時に札幌を発った。起きた時間は2時頃なので朝というよりは深夜である。天馬街道から林道に入り6時半過ぎに朝一番乗りで楽古山荘に到着した。誰もいない楽古山荘を見学し、トイレで用を足して7時過ぎに山仲間のWさんと共に登山口を出発した。

(最初しばらくは作業道跡を歩く)
最初はメナシュンベツ川沿いの沢遡行、登山靴を濡らしたくない一心で最初の渡渉からいきなり苦労する。渡渉は数回あったが、いずれも苦労しながら尾根取り付き地点まで1時間も要してしまった。その間の登山道もわかりにくく、木につけられた赤テープが頼りだった。

(岩が濡れてすべりやすい状態になっている)
尾根に取り付いてしばらく経ったころから、遠くで雷の音が聞こえていた。それが次第に近づいてきて標高1100メートル付近でとうとう本降りになって上下雨具を着用した。そしてもう少しで稜線(楽古ノ肩)というところにきて頭の上で何度も雷が鳴ったので、そこで行動を停止して撤退を決めた。

そしてしばらく降りてからウェストポシェットがないことに気づいた、雨具を着用するときに外した時に木に掛けたまま忘れてしまったのだ。ポシェットには、地図とコンパス、笛のほか、GPS用の予備乾電池と行動食が入っていたが、200メートルほどを登り返す元気は残っていなかった。

(浦河山岳会のみなさん、忙しそうに働いていました)
楽古山荘に戻ってみると山荘の前にはたくさんのクルマが止まっていた。聞くと浦河山岳会の方々で、年に何回か行っている山荘や登山道整備の日とのこと。山岳会の方々の休んでいけというお言葉に甘えて、ストーブが焚かれた小屋の中で30分ほどゆったりと休憩させていただき、人心地ついてから翌日のために神威山荘に向かった。

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