1月24日(月曜日)晴れ
9時から膝の治療でクリニックに行ってリハビリを行う。
少しずつ良くなってきた感じがする。
今日はマシンを使って関節も柔らかくする方法の指導を受ける。
11時近くになって帰る途中にフォームセンターなどに寄って
日頃欲しかった物を買ってみた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
毎日の記事に首都移転の国の話が・・
古代エジプトのアメンホテプ4世は太陽神アテンを信仰する宗教改革を行い、
首都を新しく築いたアケトアテンに移転した。

その子ツタンカーメンの時代には信仰も首都も捨て去られ、
元の秩序に戻ったから異端の存在だった。

●そういえばエジプト旅行の際これは見た覚えがあるが
よくわからず通り過ぎたなあ~!
~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲そのファラオに例えられたのがブラジルのクビチェク大統領である。
1956年の就任後「夜には孤独とジャガーの叫び声しかない」と
いわれた内陸への首都移転を進めた。
航空機の形をした「近未来都市」への遷都は4年後だった。
~~~~~~~~~~~~~~~
★ブラジリア建設「クビチェク大統領」
1955年に「50年の進歩を5年で」をスローガンに大統領選挙に出馬し当選する。
国民へのアピールに航空機を多用して南から北までブラジル中を周ったため、
「ジェット大統領」と呼ばれた。
1956年1月31日に大統領に就任し、日本やアメリカ、ドイツなどからの
外資導入と工業化を積極的に推進するとともに、
同年に内陸部の発展促進を目的に新首都ブラジリアの建設に取り掛かる。
~~~~~~~~~~
建設はクビチェックの任期である5年以内に間に合うよう、
急ピッチで進められわずか41ヶ月間で完成。
1960年4月21日には沿岸部のリオ・デ・ジャネイロから首都を移し
新首都としての供用を開始することになった。
~~~~~~~~~~~
しかし、ブラジリアの建設の為の無理な借款と首都移転にかかる膨大な資金、
サンパウロやリオ・デ・ジャネイロ、クリチバなどの沿岸部の主要都市から遠く離れ、
陸上交通手段も確立されていないブラジリアに首都を移転したことによる
効率の低下などによる様々な経済的負担は、その後ブラジル経済に重くのしかかり、
1960年代から1980年代にかけてのハイパーインフレーションと
それがもたらす経済停滞の原因となる。
~~~~~~~~~~~~~
▲沿岸部への人口集中を是正し、多民族国家の象徴にする狙いだった。
今では300万の大都市だが、自動車中心の街づくりなど「時代の限界」も指摘される。
★中学生だった頃このブラジリアという名前を耳にした。
テストにも出たような気がする。ブラジルの首都は「ブラジリア」
しかし、話題はサンパウロ・リオのカーニバルなどニュースにのるのはこの地名。
経済は湾岸に近い場所に回って奥地では無理があるのかも!
====================================
▲島しょ国家インドネシアが移転を目指す新首都の名がヌサンタラ(群島)と決まった。

ジャワ島の現首都ジャカルタから約1200キロ離れたカリマンタン(ボルネオ)島東部に位置する

▲経済や人口がジャワ島に集中する弊害を正す狙いというが、
近郊の森林には絶滅危惧種であるオランウータンも生息する。
ジョコ大統領のレガシー(遺産)にとどまらず、
環境を守りながら時代を先取りする都市の構想が問われる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★企業にいるとき、マレーシア・ベトナムやインドネシアに精密部品組み立て工場を作るような事前
プロジェクトが出来たそのとき、知り合いもいたのでちょくちょく部門を訪ねて、
立地・政状・環境・労務費の事などを聞いた。地図を見ていろいろ思考するのは楽しかった。
ジャワ島・ボルネオ島・セレベス島などは覚えていたが
インドネシアは地球の1/4の範囲にまたがる国というのもこの時に知った。大きいんだ!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲日本でも95年の阪神大震災後、首都機能移転が盛んに論議された。
すっかり下火になったが、
東京への一極集中是正や首都直下地震への対応などの課題は残ったままだ。
コロナ禍でリモートワークが普及するなど社会も大きく変化している。
来年度に予定される文化庁の京都移転で一件落着させてよいものか。
=============================
★首都は馬蹄型の港湾に恵まれているところが良いと言われていることを
聞いたことがある。確かに何処の国もそういった場所に都市が開かれているなあ~!
9時から膝の治療でクリニックに行ってリハビリを行う。
少しずつ良くなってきた感じがする。
今日はマシンを使って関節も柔らかくする方法の指導を受ける。
11時近くになって帰る途中にフォームセンターなどに寄って
日頃欲しかった物を買ってみた。
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毎日の記事に首都移転の国の話が・・

古代エジプトのアメンホテプ4世は太陽神アテンを信仰する宗教改革を行い、
首都を新しく築いたアケトアテンに移転した。

その子ツタンカーメンの時代には信仰も首都も捨て去られ、
元の秩序に戻ったから異端の存在だった。

●そういえばエジプト旅行の際これは見た覚えがあるが
よくわからず通り過ぎたなあ~!
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▲そのファラオに例えられたのがブラジルのクビチェク大統領である。
1956年の就任後「夜には孤独とジャガーの叫び声しかない」と
いわれた内陸への首都移転を進めた。
航空機の形をした「近未来都市」への遷都は4年後だった。
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★ブラジリア建設「クビチェク大統領」
1955年に「50年の進歩を5年で」をスローガンに大統領選挙に出馬し当選する。
国民へのアピールに航空機を多用して南から北までブラジル中を周ったため、
「ジェット大統領」と呼ばれた。
1956年1月31日に大統領に就任し、日本やアメリカ、ドイツなどからの
外資導入と工業化を積極的に推進するとともに、
同年に内陸部の発展促進を目的に新首都ブラジリアの建設に取り掛かる。
~~~~~~~~~~
建設はクビチェックの任期である5年以内に間に合うよう、
急ピッチで進められわずか41ヶ月間で完成。
1960年4月21日には沿岸部のリオ・デ・ジャネイロから首都を移し
新首都としての供用を開始することになった。
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しかし、ブラジリアの建設の為の無理な借款と首都移転にかかる膨大な資金、
サンパウロやリオ・デ・ジャネイロ、クリチバなどの沿岸部の主要都市から遠く離れ、
陸上交通手段も確立されていないブラジリアに首都を移転したことによる
効率の低下などによる様々な経済的負担は、その後ブラジル経済に重くのしかかり、
1960年代から1980年代にかけてのハイパーインフレーションと
それがもたらす経済停滞の原因となる。
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▲沿岸部への人口集中を是正し、多民族国家の象徴にする狙いだった。
今では300万の大都市だが、自動車中心の街づくりなど「時代の限界」も指摘される。
★中学生だった頃このブラジリアという名前を耳にした。
テストにも出たような気がする。ブラジルの首都は「ブラジリア」
しかし、話題はサンパウロ・リオのカーニバルなどニュースにのるのはこの地名。
経済は湾岸に近い場所に回って奥地では無理があるのかも!
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▲島しょ国家インドネシアが移転を目指す新首都の名がヌサンタラ(群島)と決まった。

ジャワ島の現首都ジャカルタから約1200キロ離れたカリマンタン(ボルネオ)島東部に位置する

▲経済や人口がジャワ島に集中する弊害を正す狙いというが、
近郊の森林には絶滅危惧種であるオランウータンも生息する。
ジョコ大統領のレガシー(遺産)にとどまらず、
環境を守りながら時代を先取りする都市の構想が問われる。
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★企業にいるとき、マレーシア・ベトナムやインドネシアに精密部品組み立て工場を作るような事前
プロジェクトが出来たそのとき、知り合いもいたのでちょくちょく部門を訪ねて、
立地・政状・環境・労務費の事などを聞いた。地図を見ていろいろ思考するのは楽しかった。
ジャワ島・ボルネオ島・セレベス島などは覚えていたが
インドネシアは地球の1/4の範囲にまたがる国というのもこの時に知った。大きいんだ!
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▲日本でも95年の阪神大震災後、首都機能移転が盛んに論議された。
すっかり下火になったが、
東京への一極集中是正や首都直下地震への対応などの課題は残ったままだ。
コロナ禍でリモートワークが普及するなど社会も大きく変化している。
来年度に予定される文化庁の京都移転で一件落着させてよいものか。
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★首都は馬蹄型の港湾に恵まれているところが良いと言われていることを
聞いたことがある。確かに何処の国もそういった場所に都市が開かれているなあ~!