中さん

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日記(1.21)

2022-01-20 20:37:12 | 日常
1月21日(金曜日) 晴れ 気温上がらず。
朝起きるとき腰も痛む!30分ほどで治るが
膝と関連しているのか?な
雪の沢山降る状況の説明があった。
★JPCZ(日本海寒帯団収束帯)のイメージ図があった。
初めて見る/聞く言葉だ
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野菜を収穫に、寒いが・・。一日、一回は畑に行くのがルーティンだ。
カリフラワーなどを収穫。

素人作りでは、まずまずの出来具合だ。
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今朝の記事 コロナのワクチン対応が

今回当市の感染者で高齢者は60代が一人であると聞いたが・・
若い世代に多い感染。

でも、あんまり若年層にワクチンを打つのは、どうなのか気になる。
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今日も午後は研修だ。民生・児童委員活動の一貫で大里のあすネットで講演・研修会。
立正大学の先生が講演。

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記事にあった。
しゃぶしゃぶ異聞2022/1/20
 しゃぶしゃぶは意外にも、戦後に生まれた料理らしい。
それも関わったのは鳥取の医師という。
民芸運動家でもあった亡き吉田璋也
さん。
東京国立近代美術館で開催中の
「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」で知った。
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▲大戦中に軍医として赴いた北京で、
 薄切りの羊肉を湯にくぐらせる鍋料理に出合う。
戦後に一時暮らした京都で料理店の主人に調理法を教えた。
手に入りにくかった羊は牛肉に代えて、日本人好みに昆布だしを使って・・
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やがて肉を泳がせるさまから、しゃぶしゃぶと名付けられた。
昭和30年代の民芸ブームとともに広まったという。
豚肉にブリ、レタスなど具材は多彩で地域色が出るのも面白い.
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▲ことし没後50年を迎える吉田さんは、古里の焼き物や木工に光を当てた
移りゆく生活様式に合わせてデザインし、
鳥取と東京・銀座に「たくみ工芸店」を設けて販路を開く
作り手の生活を支え、手仕事を今に残した名プロデューサーといえよう
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▲地元食材を民芸の器と家具で供する「たくみ割烹(かっぽう)店」も鳥取に開いた。
 使い手を掘り起こし、その声を製品に反映させた。
 しゃぶしゃぶの原型になった「すすぎ鍋」も味わえる。
 大寒時期。湯気が恋しい。
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★鳥取の記事で思いだされる事がいっぱいある。
 鳥取は出張が多かった。当時この県は人口は少なく65万人だった。今は
 それにしてもジェットが離発着する空港を米子と鳥取の2つもある。
 市は4つと少ないが観光名所。
 仕事の関係もあってよく出かけた県、春は鳥取城址公園の桜が見事、
 砂丘は有名だ!冬は雪の砂丘でスキーも
 冬の時期はやっぱりカニである。当時夕方7時頃になるとお店が閉まるので
 夕食は早めがいい。でもカニは現地でも高価であった。
 地元の従業員の方に案内された店は良かったカニはもちろん・エビ・刺身・貝類
 本当に美味しかった。


空港近くの賀露市場では安く定食がいただけた。

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日記(1.20)

2022-01-20 16:35:52 | 日常
1月20日② 木曜日  晴れ 午後 冷たい風が吹く

早朝から大根もまだ数十本もあって、太めのもの20本抜いてきて

今年4回目の漬物作りを始める。
皮むきをして適当にカットして塩をふって重石をのせて水揚げを待つ。
おおよそ15㎏分だ。大き目の樽にしている。

結構、時間がかかった。
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午後は民生委員の研修会が今年初めて行われた。
介護サービス利用の一連の流れを聴く。

そのあと。活動記録のつけかたを改めてビデオで研修。
新市長も挨拶来てコロナの状況。当市も累計で156人とか言っていた。
急激に増えて来ている。
3回目ワクチンも近々接種の案内が届くとの事。
18歳未満の10万円給付は終えているとか!
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コロナで不景気のしわ寄せがじわじわと・・新聞記事は
希望退職の募集ラッシュ、
2年連続80社超え 今年もすでに9社判明

朝日新聞社 01/20
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ハローワークでは、働き手からの様々な相談に応じている。
朝日新聞社 ハローワークでは、働き手からの様々な相談に応じている。
 2021年に希望退職を募った上場企業は84社あったと、
 東京商工リサーチが20日に集計して発表した。

 20年の93社から減ったとはいえ、2年連続の80社超えは
 リーマン・ショックの影響が大きかった09~10年以来。

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業種別ではアパレル・繊維が11社を占め、2年続けて最多となった。
電気機器の10社、観光を含むサービスの7社が続いた。

 募集者数(非公表の企業は応募者数)の合計は、
 判明した69社分で1万5892人になった。
 20年は1万8635人で、2年続けて1万5千人を超えたのは02~03年以来。
 人減らしの波はコロナ禍で苦しむ業種にとどまらず、
 脱炭素などの課題に直面した大手企業にも広がり、大規模な募集も相次いだ。
 今年も19日までに9社の募集が判明しており、当面は高水準で推移しそうだ。
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 上場企業が希望退職を募る場合、東京証券取引所のルールでは公表が義務づけられているが、
 業績への影響が小さければ免除される。
 公表されていないものや非上場企業による募集もあり、
 実際の数はもっと多いとみられる。
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★アパレル・繊維・電気・旅行・サービス関係の企業が多いんだ。
 どれも、絶対必要ということではなく。何処の家庭も個人も、もう十分持っていたりで
 買うのを控えても大丈夫なものを作っている企業、旅にしても無理に行く必要が無ければ我慢だ
 それに出かけるには検査をしたり感染拡大を考えると二の足を踏む。
 サービス産業の飲食業はとりわけ影響が大きいなあ~。
希望退職を選んでも、すぐ次の仕事が見つかれば良いが。一時的にでも
お金より、元気なのに働かずにいることは辛いし罪悪感を感じる。
日本人は皆んな真面目に働いてきた・・急に時間を浪費する技を持ち合わせない・・・
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日記(1.20)

2022-01-20 06:12:29 | 日常
1月20日(木曜日)晴れ   大寒 
朝起きるのが辛い! 
寝るのはとても早いので、3時頃には目覚めてしまうが
この寒さで起きるに起きれず布団を抱えてぐずぐずしている老人の自分がいる。
父親も良く同じようなことを言っていたなあ~!
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▲きょうは二十四節気の大寒、5日の小寒からの「寒」の中間点で、
 これから節分までが一年中で最も寒いといわれる期間である。
 寒中に試練を求めることで芸の上達を願った昔の人の心情は分かる。
酒やみそなどの「寒造り」「寒仕込み」は、雑菌の少ない寒中に
 前年秋の新穀を時間をかけて発酵、熟成させる技法である。
 芸や武道の寒稽古と同じく、厳寒期を仕込みの時間とすることで
 味の向上をうまくイメージさせた。
▲さて、どうあれ大声ははばかられるオミクロン株の感染急拡大だ。
 あすから首都圏など13都県にまん延防止等重点措置が追加適用される。
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ジャガイモのニュース記事コラムがあった。
「出島」「北あかり」「メークイン」「レッドムーン」…。
 直売所に並ぶジャガイモをよく見ると、品種の多さに驚く。
 形や色だけでなく、食感もさまざま。

 愛され、必要とされてきたからこその進化だろう。
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掘り起こしたときの土の香りをまとうジャガイモは、
 まさに大地の恵み。ビタミンCが豊富で栄養価が高く、保存も利く。
 コロッケ、肉じゃが、カレーなど料理の主役にも脇役にもなり、食卓に欠かせない。
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南米原産で、インカ帝国を滅ぼしたスペイン人の手で持ち出され、
 欧州、さらに世界へ。主要作物として庶民の食生活を支えてきた。
 ジャガイモ飢饉(ききん)を逃れ、アイルランドから移住した人々が
 米国の発展に寄与したというエピソードもある。
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そんなジャガイモがない。
 日本マクドナルドは「マックフライポテト」のL・M両サイズの販売を休止し、
 Sサイズのみ扱っている。北米からの輸入が遅れているという。
 昨年末に続く販売制限に、ちまたでは「ポテトロス」の声があふれる。
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背景にあるのが、新型コロナの影響による世界的な物流停滞
 ポテト商品不足は他の外食大手にも及んでいる。
 いつまで続くのか気がかりだ。掘り起こされたのは、
 世界のつながりの強さと、そこに潜むもろさ。
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掘り起こしたいのは、輸入に頼り、
 4割にも満たない日本の食料自給率の在り方じゃが―。
 直売所で買った黄色い「インカのめざめ」が原点回帰を訴え掛けている、ような。
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◆3月になればジャガイモ植えをしなくては・・・
 さて今年は種イモは手に入るのかな?
 最近は”北あかり”・”トウヤ”を植えている。
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歴史を調べてみた。

生まれはアンデスの山の中
1 南アメリカでは
中南米から、南米のアンデス山脈で、ジャガイモは生まれました。
 今でも3000m以上の高地では、ジャガイモのもとになっている野生種がたくさんのこっています。
 中央アンデス高地では、寒い冬のあいだに、
 チュノーというジャガイモのミイラをつくっていました。夜は外に出してこおらせて、
 昼はとかして、ということをくりかえすと、水がぬけてからからになります。
 こうやってずっと保存ができるようにしていたのですね。
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2 ヨーロッパでは
15世紀の終わりにスペイン人が南アメリカから持ちかえったのが始まり。
 ヨーロッパでは長い間、花を楽しむだけのものだったのだそうです。
 アンデスより日が長くてあたたかいので、葉や茎だけがしげって、
 いもができにくかったのです。
18世紀の半ばになって、やっと食べるためのジャガイモができるようになりました。
 フランスでは、バルマンチェという人のおかげで広まりました。
 畑に昼だけ見はりの兵士をつけて、大事そうに守っておいたら、
 見はりがいなくなった夜に、みんながぬすみだして、
 つくるようになったのですって。

3 日本では
17世紀の初めにインドネシアのジャカルタからやってきました。
「ジャカルタから来たいも=じゃがたらいも」がなまって「ジャガイモ」
 なったといわれています。
その後、江戸時代に何度もあった飢饉のたびに、
 飢えをしのぐための作物として広がったようです。
 現在つくられている男爵、メークインといったジャガイモは、
 明治時代になってアメリカから入ってきました。
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