5月1日 (月曜日) 晴 ②
昨晩突然、奥能登一人旅の次男がお土産をもって来た。
車で行ってきたらしい。
いつ行ったのか知らないが元気で来ればよし。
私も、コロナの前の2019年初夏の頃に私も旅仲間と
奥能登一周で同じようなものを見たり、買ったりしているので懐かしい能登は数回程来ている。
千枚田・金剛崎・能登島の景観や見附島・珠洲・七尾・和倉の温泉・突端の狼煙など・・思い出深い。
更に若い時代にさかのぼれば、和倉温泉からの夕陽は忘れることが出来ない!
若かった時見た景色とは今は全然違って見えるのは何故であろうか?
=====================
今日も畑のカスミ草を摘んできた。
玄関に2花瓶並べたら、うるさくなった。
===================================
毎日新聞のコラム
ベトナム戦争末期の1975年春、
在留邦人を救出する特別機がサイゴンに向けて飛び立った。
だが、経由地のマニラで足止めを食う。
現地の空港が破壊され着陸できなくなったからだ。
翌日、サイゴンは陥落した。
★確か4月30日であった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲「米国に(救出を)依頼したが、邦人には相済まぬことだった」と
当時外相として指揮をとった宮沢喜一元首相が後に述べている。
自衛隊を派遣する法規はなく、航空会社との調整に手間取った。
出遅れが響き、痛恨の念が残った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲「政府の責任で何とかしたい」。
思いは17年後に実る。
首相になり、自衛隊機による邦人救出に道を開く自衛隊法改正案を策定した。
政局が混乱し、成立は政権交代後に持ち越されるが、
制約を緩める条文修正を重ねて今に至っている
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲この法律に基づき内紛が続くアフリカのスーダンから救出された
邦人とその家族が日本に到着した。
医療や教育に携わる非政府組織(NGO)で働く人もいた。
小さな子ども連れの家族の姿もあったという。
胸をなでおろすばかりだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲韓国やアラブ首長国連邦(UAE)、フランスやカナダなどの協力があった。
困った時に手を差し伸べてくれる多くの友好国を持つことが国益につながる。
危険と隣り合わせの外国の地で働くこうした人たちも、その一翼を担っている。
~~~~~~~~~~~~~~~~^^
▲日本が戦後、国際社会で築いてきた地位は、
経済援助や人的支援を通じた平和外交のたまものだというのが宮沢氏の考えだった。
邦人の安全をどう守るか。変わることのない政府の重い責任だ。
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もう一つコラム記事
新潟日報 日報抄 5月1日 ピッチロックのことが
米大リーグで今季から導入されたルールの一つに「ピッチクロック」がある。
投手は走者がいなければ15秒以内、走者がいれば20秒以内に
投球動作に入らないと1ボールが加えられる
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼大谷翔平選手も違反した。
中継を見ていると何とも落ち着かない。
投手がボールを受け取ると画面の片隅でカウントダウンが始まる。
「大谷、早く投げて」と心の中でつぶやく。
試合よりもその数字に目が行ってしまう
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼試合時間の短縮を目的に導入され、
打者も残り8秒までに打つ準備をしないと1ストライクを取られる。
投手、打者ともにせわしなく感じる
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼実は日本のプロ野球でも、
走者無しの場合にだけ大リーグと同じ15秒ルールが存在する。
2009年に導入され、初適用されたのは当時横浜の工藤公康投手。
日本の風土になじまなかったのか、最近は適用されることはほとんどないが、
日本野球機構(NPB)によると、今もルールは生きているという
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼大リーグのルールの多くが日本でも採用される。
走者がいる場合も適用される大リーグのような厳格なピッチクロックの導入について、
NPBは「未定」とするが、今後導入される可能性もある
=======================
▼若者を中心に動画の倍速視聴が広がる。
限られた時間を効率的に使う「タイムパフォーマンス」を重視するためという。
大リーグの改革もこの流れの一環だ。
「タイムパフォーマンス」という用語すら「タイパ」と略すご時世。
投手と打者の駆け引きを楽しみたいというのは古い考えなのだろうか。
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上毛新聞 4/30
▼ゴールデンウイークが始まった。
特段の予定はないのだが、何となく心が軽いのは、
新型コロナウイルス感染が落ち着いているためだろうか
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼「ステイホーム」が推奨され、マスクを買うためにドラッグストアの前に並んだのは、
わずか3年前。今もウイルスがなくなったわけではないものの、
連休明けには感染法上の位置付けが引き下げられ、
私たちに我慢を強いてきた重しは、だいぶ軽くなる
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼コロナ下では直接顔を合わせなくても済むよう、
いろいろなものがパソコンやスマートフォンなどを使う
オンラインに置き換えられた。
それはマラソン大会やウオーキングイベントも例外ではなかった
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼スマホに専用の計測アプリをダウンロードしておけば、
タイムや距離、歩数が記録され、順位が決まる仕組み。
開催地に行く必要がなく、走ったり、歩いたりする時間やコースは自由。
新しい形の大会・イベントとして定着しつつある
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼その一つ「さつきラン&ウォーク2023」があす始まる。
1カ月間の総走行距離や歩数を競うイベントで、
性別や年代別の順位などをいつでも確認できる。
早朝ウオーキングが日課の筆者もエントリー。
どれくらいの順位が付くのか楽しみだ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^
▼この3年間、コロナ禍に負けまいと、たくさんの人が努力を重ねた。
それを一時的なもので終わらせることなく、
今後も日々の生活を豊かにするために活用してほしい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
上毛新聞 5/1
▼元県議の大沢幸一さんが桐生市長選に挑んだのは8年前のことだ。
3選を目指す現職と急きょ出馬を決めた市議との三つどもえの戦い。
結果は僅差で現職に敗れた。期待を集めた分だけ落胆は大きく、
重たい空気が選挙事務所を包んだ
▼政治の世界は勝者を中心に動いていく。
消息はぷつりと途絶えたが、最近になって当時の心境を知った。
支援者に顔向けできず、街を歩けない。引きこもりがちになり、
負け戦の悲哀を存分に味わったという
~~~~~~~~~~~~~~~
▼そんな逆境の中、背負い続けたのが妻正子さんの介護だった。
このほど『若年認知症の妻と向き合う』と題した回顧録を出版。
壮絶な介護の日々をつづっている
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼正子さんは55歳でアルツハイマー型認知症と診断された。
後に妻の手帳を見返すと48歳ごろから症状が現れ、
ひとり不安を抱えていたようだった
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼認知症の進行とともに、大沢さんも精神的に追い詰められていく。
ときおり見せる笑顔だけが救い。寝たきりになると枕元で声をかけた。
「お父さんは正子が大好きだよ。2人は夫婦だよね!」。
言葉を失った妻は首を縦に振って応えた
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼今年3月、正子さんは74歳で亡くなった。
介護生活は19年に及んだ。大沢さんは今後、
支援者として「若年認知症ぐんま家族会」に関わっていくつもりだ。
「それが私の生きている証し。家内が与えてくれた宿題だと思う」。
選挙戦で聞いた張りのある声で言った。
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昨晩突然、奥能登一人旅の次男がお土産をもって来た。
車で行ってきたらしい。
いつ行ったのか知らないが元気で来ればよし。
私も、コロナの前の2019年初夏の頃に私も旅仲間と
奥能登一周で同じようなものを見たり、買ったりしているので懐かしい能登は数回程来ている。
千枚田・金剛崎・能登島の景観や見附島・珠洲・七尾・和倉の温泉・突端の狼煙など・・思い出深い。
更に若い時代にさかのぼれば、和倉温泉からの夕陽は忘れることが出来ない!
若かった時見た景色とは今は全然違って見えるのは何故であろうか?
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今日も畑のカスミ草を摘んできた。
玄関に2花瓶並べたら、うるさくなった。
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毎日新聞のコラム
ベトナム戦争末期の1975年春、
在留邦人を救出する特別機がサイゴンに向けて飛び立った。
だが、経由地のマニラで足止めを食う。
現地の空港が破壊され着陸できなくなったからだ。
翌日、サイゴンは陥落した。
★確か4月30日であった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲「米国に(救出を)依頼したが、邦人には相済まぬことだった」と
当時外相として指揮をとった宮沢喜一元首相が後に述べている。
自衛隊を派遣する法規はなく、航空会社との調整に手間取った。
出遅れが響き、痛恨の念が残った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲「政府の責任で何とかしたい」。
思いは17年後に実る。
首相になり、自衛隊機による邦人救出に道を開く自衛隊法改正案を策定した。
政局が混乱し、成立は政権交代後に持ち越されるが、
制約を緩める条文修正を重ねて今に至っている
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▲この法律に基づき内紛が続くアフリカのスーダンから救出された
邦人とその家族が日本に到着した。
医療や教育に携わる非政府組織(NGO)で働く人もいた。
小さな子ども連れの家族の姿もあったという。
胸をなでおろすばかりだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲韓国やアラブ首長国連邦(UAE)、フランスやカナダなどの協力があった。
困った時に手を差し伸べてくれる多くの友好国を持つことが国益につながる。
危険と隣り合わせの外国の地で働くこうした人たちも、その一翼を担っている。
~~~~~~~~~~~~~~~~^^
▲日本が戦後、国際社会で築いてきた地位は、
経済援助や人的支援を通じた平和外交のたまものだというのが宮沢氏の考えだった。
邦人の安全をどう守るか。変わることのない政府の重い責任だ。
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もう一つコラム記事
新潟日報 日報抄 5月1日 ピッチロックのことが
米大リーグで今季から導入されたルールの一つに「ピッチクロック」がある。
投手は走者がいなければ15秒以内、走者がいれば20秒以内に
投球動作に入らないと1ボールが加えられる
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼大谷翔平選手も違反した。
中継を見ていると何とも落ち着かない。
投手がボールを受け取ると画面の片隅でカウントダウンが始まる。
「大谷、早く投げて」と心の中でつぶやく。
試合よりもその数字に目が行ってしまう
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼試合時間の短縮を目的に導入され、
打者も残り8秒までに打つ準備をしないと1ストライクを取られる。
投手、打者ともにせわしなく感じる
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼実は日本のプロ野球でも、
走者無しの場合にだけ大リーグと同じ15秒ルールが存在する。
2009年に導入され、初適用されたのは当時横浜の工藤公康投手。
日本の風土になじまなかったのか、最近は適用されることはほとんどないが、
日本野球機構(NPB)によると、今もルールは生きているという
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼大リーグのルールの多くが日本でも採用される。
走者がいる場合も適用される大リーグのような厳格なピッチクロックの導入について、
NPBは「未定」とするが、今後導入される可能性もある
=======================
▼若者を中心に動画の倍速視聴が広がる。
限られた時間を効率的に使う「タイムパフォーマンス」を重視するためという。
大リーグの改革もこの流れの一環だ。
「タイムパフォーマンス」という用語すら「タイパ」と略すご時世。
投手と打者の駆け引きを楽しみたいというのは古い考えなのだろうか。
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上毛新聞 4/30
▼ゴールデンウイークが始まった。
特段の予定はないのだが、何となく心が軽いのは、
新型コロナウイルス感染が落ち着いているためだろうか
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼「ステイホーム」が推奨され、マスクを買うためにドラッグストアの前に並んだのは、
わずか3年前。今もウイルスがなくなったわけではないものの、
連休明けには感染法上の位置付けが引き下げられ、
私たちに我慢を強いてきた重しは、だいぶ軽くなる
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼コロナ下では直接顔を合わせなくても済むよう、
いろいろなものがパソコンやスマートフォンなどを使う
オンラインに置き換えられた。
それはマラソン大会やウオーキングイベントも例外ではなかった
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▼スマホに専用の計測アプリをダウンロードしておけば、
タイムや距離、歩数が記録され、順位が決まる仕組み。
開催地に行く必要がなく、走ったり、歩いたりする時間やコースは自由。
新しい形の大会・イベントとして定着しつつある
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼その一つ「さつきラン&ウォーク2023」があす始まる。
1カ月間の総走行距離や歩数を競うイベントで、
性別や年代別の順位などをいつでも確認できる。
早朝ウオーキングが日課の筆者もエントリー。
どれくらいの順位が付くのか楽しみだ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^
▼この3年間、コロナ禍に負けまいと、たくさんの人が努力を重ねた。
それを一時的なもので終わらせることなく、
今後も日々の生活を豊かにするために活用してほしい。
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上毛新聞 5/1
▼元県議の大沢幸一さんが桐生市長選に挑んだのは8年前のことだ。
3選を目指す現職と急きょ出馬を決めた市議との三つどもえの戦い。
結果は僅差で現職に敗れた。期待を集めた分だけ落胆は大きく、
重たい空気が選挙事務所を包んだ
▼政治の世界は勝者を中心に動いていく。
消息はぷつりと途絶えたが、最近になって当時の心境を知った。
支援者に顔向けできず、街を歩けない。引きこもりがちになり、
負け戦の悲哀を存分に味わったという
~~~~~~~~~~~~~~~
▼そんな逆境の中、背負い続けたのが妻正子さんの介護だった。
このほど『若年認知症の妻と向き合う』と題した回顧録を出版。
壮絶な介護の日々をつづっている
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▼正子さんは55歳でアルツハイマー型認知症と診断された。
後に妻の手帳を見返すと48歳ごろから症状が現れ、
ひとり不安を抱えていたようだった
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▼認知症の進行とともに、大沢さんも精神的に追い詰められていく。
ときおり見せる笑顔だけが救い。寝たきりになると枕元で声をかけた。
「お父さんは正子が大好きだよ。2人は夫婦だよね!」。
言葉を失った妻は首を縦に振って応えた
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼今年3月、正子さんは74歳で亡くなった。
介護生活は19年に及んだ。大沢さんは今後、
支援者として「若年認知症ぐんま家族会」に関わっていくつもりだ。
「それが私の生きている証し。家内が与えてくれた宿題だと思う」。
選挙戦で聞いた張りのある声で言った。
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