2024 2月19日 (月曜日) 曇り 雨 曇り
昨晩は睡眠が細切れになった。
頭がボーっとしていて体のスジが気だるく痛む。
昨日の鍬使いの影響だなあ~少しの土いじりでも
もう体がついていかないんだ!気持ちと体に相当の差がある。
年に見合う休息時間を意識して交えないと持たなくなったなあ~!
●カミさんは仲間と鎌倉・横浜へ出かけた。天気崩れる予想だが仕方なし。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●いきがい大学の名残の”史跡クラブ”がコロナ明けで復活して。
それに伴って、時折り相談ごとを決めるのに三役員と連絡員数人でランチ会兼会合。
次の企画が 3月15日に”JA主催の”駅からハイキング”の予定。
浜松町駅スタートで東京タワー・増上寺などを経由して
新宿が終点で約10㎞という。参加者が何人くらいになるかな?
~~~~~~~~~~~~
●曇った日だが、有志で。小川町の”重文”の吉田住宅に足をのばしてみる。
国指定重要文化財 吉田家住宅
月・火曜日は休館であった。通常無料だ。残念だ。
駐車場の周囲の梅の花を撮って今日は我慢だ。
=========================
メモ
吉田家住宅は、享保6年(1721)に建築された、
実年代のわかる県内最古の民家です。平成元年今日は(1988)に
国の重要文化財建造物に指定されました。
建物の規模は、桁行21.8メートル、梁間10.5メートルを測ります。
茅葺、入母屋造りの大きな民家で、間取りは「三間広間型」と呼ばれる
奥に2間の畳敷きの座敷、手前に広い板間のある江戸時代の典型的なものです。
板間にはいろりが切られ、土間の中央やや北側に大きな一口のかまどがあります。
南側の大戸脇には風呂場があり、北側には流しが造られています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
土間の東半分はうまやです。北東部には浅い掘り込みがあり、
ここに馬もしくは牛が飼われていました。
南側には腰窓があり、ある時期には紙を漉いていました。
南側から西側にかけて縁側が巡り、北西部には便所があります。座敷の上には2階が造られています。
~~~~~~~~~~~~~~
昭和59年(1984)の調査で柱に貼り付けてあった棟札が見つかりました。
ここには「享保六丑歳霜月吉祥日」と記され、この民家を建設した時の祈祷札であることがわかりました。
~~
長い年月が経過したことで、建物の傷みが著しかったことから、
平成8年度から3か年かけて、国庫補助事業として建物の全面解体修理工事が行われました。
また、同時に初期消火設備や自火報知器の設置工事などの防災施設事業、
西側斜面の擁壁工事などの環境保全事業も行われました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
個人的には
江南の平山住宅・ 長瀞の新井住宅・古墳公園内の服部住宅・などを見るたびに
父親の育った本家の間取りと実際の生活の状況がよみがえってくる。幼少時代だ。
父の兄「伯父さん」は本家の柱で、この方が怖かった。
軍人さんだったので優しいのか厳しいのか・・
囲炉裏もあって餅を焼いた。夕飯は毎晩”うどん”であった。
同じ環境内に馬小屋もあった。蠅の多かったこと・・大事な耕運機だったのだ!
土間では飯炊き用の火もしどころ・・煙が目に染みた。天井の梁やカヤは真っ黒で虫よけらしい。
猫はうるさいので大きな茶箪笥内に入れられていた。
藁から縄を編む機械もあった。その縄で敷物台や俵も編んでいた。
二階ではお蚕を飼っていた。夜はシャリシャリうるさかったなあ
おばあちゃんは卒中で体が不自由だったが、よく話をしたもんだ。
今や従弟の桂子ちゃんも旅立って本家に行かなくなったなあ~
昔を共有できる相手が減るのは辛い。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●19時、南口駅に旅から帰ったカミさんをお迎え・・・眠い!
夕飯が中華饅頭や小籠包になった。
昨晩は睡眠が細切れになった。
頭がボーっとしていて体のスジが気だるく痛む。
昨日の鍬使いの影響だなあ~少しの土いじりでも
もう体がついていかないんだ!気持ちと体に相当の差がある。
年に見合う休息時間を意識して交えないと持たなくなったなあ~!
●カミさんは仲間と鎌倉・横浜へ出かけた。天気崩れる予想だが仕方なし。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●いきがい大学の名残の”史跡クラブ”がコロナ明けで復活して。
それに伴って、時折り相談ごとを決めるのに三役員と連絡員数人でランチ会兼会合。
次の企画が 3月15日に”JA主催の”駅からハイキング”の予定。
浜松町駅スタートで東京タワー・増上寺などを経由して
新宿が終点で約10㎞という。参加者が何人くらいになるかな?
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●曇った日だが、有志で。小川町の”重文”の吉田住宅に足をのばしてみる。
国指定重要文化財 吉田家住宅
月・火曜日は休館であった。通常無料だ。残念だ。
駐車場の周囲の梅の花を撮って今日は我慢だ。
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メモ
吉田家住宅は、享保6年(1721)に建築された、
実年代のわかる県内最古の民家です。平成元年今日は(1988)に
国の重要文化財建造物に指定されました。
建物の規模は、桁行21.8メートル、梁間10.5メートルを測ります。
茅葺、入母屋造りの大きな民家で、間取りは「三間広間型」と呼ばれる
奥に2間の畳敷きの座敷、手前に広い板間のある江戸時代の典型的なものです。
板間にはいろりが切られ、土間の中央やや北側に大きな一口のかまどがあります。
南側の大戸脇には風呂場があり、北側には流しが造られています。
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土間の東半分はうまやです。北東部には浅い掘り込みがあり、
ここに馬もしくは牛が飼われていました。
南側には腰窓があり、ある時期には紙を漉いていました。
南側から西側にかけて縁側が巡り、北西部には便所があります。座敷の上には2階が造られています。
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昭和59年(1984)の調査で柱に貼り付けてあった棟札が見つかりました。
ここには「享保六丑歳霜月吉祥日」と記され、この民家を建設した時の祈祷札であることがわかりました。
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長い年月が経過したことで、建物の傷みが著しかったことから、
平成8年度から3か年かけて、国庫補助事業として建物の全面解体修理工事が行われました。
また、同時に初期消火設備や自火報知器の設置工事などの防災施設事業、
西側斜面の擁壁工事などの環境保全事業も行われました。
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個人的には
江南の平山住宅・ 長瀞の新井住宅・古墳公園内の服部住宅・などを見るたびに
父親の育った本家の間取りと実際の生活の状況がよみがえってくる。幼少時代だ。
父の兄「伯父さん」は本家の柱で、この方が怖かった。
軍人さんだったので優しいのか厳しいのか・・
囲炉裏もあって餅を焼いた。夕飯は毎晩”うどん”であった。
同じ環境内に馬小屋もあった。蠅の多かったこと・・大事な耕運機だったのだ!
土間では飯炊き用の火もしどころ・・煙が目に染みた。天井の梁やカヤは真っ黒で虫よけらしい。
猫はうるさいので大きな茶箪笥内に入れられていた。
藁から縄を編む機械もあった。その縄で敷物台や俵も編んでいた。
二階ではお蚕を飼っていた。夜はシャリシャリうるさかったなあ
おばあちゃんは卒中で体が不自由だったが、よく話をしたもんだ。
今や従弟の桂子ちゃんも旅立って本家に行かなくなったなあ~
昔を共有できる相手が減るのは辛い。
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●19時、南口駅に旅から帰ったカミさんをお迎え・・・眠い!
夕飯が中華饅頭や小籠包になった。