2025 1月15日 (水曜日) 晴 午後風が出る。
今日もこのブログ提供の通信網のサーバーがD・DOS攻撃を受けて
一時アクセスできない状況が起こった。自分のコンピュータは乗っ取られてはいないはずだが・・
多分愉快犯がやっている様子。
私の単純な理解は、例えばお店のレジに自分以外の多くの人々「買い物はしてない」が並んで
レジがマヒ状態になる様な状況だと思っている。
🔵午前中に少し庭のかたずけをしたが気も載らず、少しでやめた。枯れ葉がいっぱい。
🔵夕方4時から防犯パトロール、風が冷たい事。
==============================
童門冬二さん
の訃報の記事が・・・
中國新聞 コラム 天風録にあった。
🔵 武将や明治維新の志士の生き方から、処世訓を学び取る。
独り、企業の経営者や管理職だけの楽しみではあるまい。
憲法の番人である最高裁の裁判官にも、
愛読書に歴史小説を挙げる人は珍しくない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲地方の自治体や議会の面々に、
人物評伝の妙味をかんで含めた作家が
童門冬二(どうもん・ふゆじ)さんだろう。
傘の骨みたいな放射状の署名で連帯責任を負う「傘連判状」。
それに倣い、地侍の広域連合をつくった毛利元就の領国経営を「カラカサ連合」と褒めた。
「自治を重んじた戦国大名」だと
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲領内の信頼を失わず、財政再建をやり遂げる
米沢藩主を描いた代表作
「小説上杉鷹山(ようざん)」は、
バブル後の不況下に読まれた。
~~~~~~~~~~~
今この時代に必要なリーダー!
上杉鷹山! 国難をすぐれた知恵と人を活かす改革で乗り越えた鷹山のリーダーシップのすべて。
時代を超えて読み継がれるロングセラー小説。
~~~
灰の国はいかにして甦ったか!
九州高鍋の小藩から養子に入り、十七歳で名門上杉家の藩主の座についた治憲は、
◆自滅か藩政返上かの瀬戸際にある米沢十五万石を再建すべく、
🔵冷メシ派を登用し改革に乗り出す。
藩主や藩のために領民がいるのではない、との考えのもとに
人びとの心に希望の火種をうえつけてゆく………。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一人も藩士の首を切らぬ人間鷹山に打たれたのを思い出す。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲童門さんの訃報に接した。96歳。
専業作家になるまで東京都庁の幹部だった。
福祉重視の革新都政を支え、時の政権との確執が絶えなかった。
自治の現場で身に染みたものは、歴史を読み解く礎となったのではないか
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲1年前に息を引き取っていた。
本人の意向で一周忌まで公表を見合わせたらしい。
〈棺を蓋(おお)いて事(こと)定まる〉との成句もある。
今ごろ、どこかで自らへの評価に耳を澄ましているかもしれない。
============================
★上杉鷹山 米沢藩主
1961年、43歳で第35代米国大統領になったジョン・F・ケネディの就任の時、
日本の新聞記者が「日本で最も尊敬する政治家はだれですか」と質問しました。
これに対し、ケネディは「上杉鷹山(うえすぎようざん)です」と答えました。
前大統領アイゼンハワー時代から始まった不況を打開するために、
150年前の江戸時代、すでに倒産状態にあった
極貧の米沢藩を立て直した鷹山を学んでいたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★2013年11月、駐日米国大使に就任した長女キャロライン・ケネディは、
「父ジョン・F・ケネディ元大統領が、江戸時代の米沢藩の名君とされる上杉鷹山を尊敬し、
就任演説に代表される考え方に影響を与えた」と述べました。
今日もこのブログ提供の通信網のサーバーがD・DOS攻撃を受けて
一時アクセスできない状況が起こった。自分のコンピュータは乗っ取られてはいないはずだが・・
多分愉快犯がやっている様子。
私の単純な理解は、例えばお店のレジに自分以外の多くの人々「買い物はしてない」が並んで
レジがマヒ状態になる様な状況だと思っている。
🔵午前中に少し庭のかたずけをしたが気も載らず、少しでやめた。枯れ葉がいっぱい。
🔵夕方4時から防犯パトロール、風が冷たい事。
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童門冬二さん
の訃報の記事が・・・
中國新聞 コラム 天風録にあった。
🔵 武将や明治維新の志士の生き方から、処世訓を学び取る。
独り、企業の経営者や管理職だけの楽しみではあるまい。
憲法の番人である最高裁の裁判官にも、
愛読書に歴史小説を挙げる人は珍しくない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲地方の自治体や議会の面々に、
人物評伝の妙味をかんで含めた作家が
童門冬二(どうもん・ふゆじ)さんだろう。
傘の骨みたいな放射状の署名で連帯責任を負う「傘連判状」。
それに倣い、地侍の広域連合をつくった毛利元就の領国経営を「カラカサ連合」と褒めた。
「自治を重んじた戦国大名」だと
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲領内の信頼を失わず、財政再建をやり遂げる
米沢藩主を描いた代表作
「小説上杉鷹山(ようざん)」は、
バブル後の不況下に読まれた。
~~~~~~~~~~~
今この時代に必要なリーダー!
上杉鷹山! 国難をすぐれた知恵と人を活かす改革で乗り越えた鷹山のリーダーシップのすべて。
時代を超えて読み継がれるロングセラー小説。
~~~
灰の国はいかにして甦ったか!
九州高鍋の小藩から養子に入り、十七歳で名門上杉家の藩主の座についた治憲は、
◆自滅か藩政返上かの瀬戸際にある米沢十五万石を再建すべく、
🔵冷メシ派を登用し改革に乗り出す。
藩主や藩のために領民がいるのではない、との考えのもとに
人びとの心に希望の火種をうえつけてゆく………。
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一人も藩士の首を切らぬ人間鷹山に打たれたのを思い出す。
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▲童門さんの訃報に接した。96歳。
専業作家になるまで東京都庁の幹部だった。
福祉重視の革新都政を支え、時の政権との確執が絶えなかった。
自治の現場で身に染みたものは、歴史を読み解く礎となったのではないか
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▲1年前に息を引き取っていた。
本人の意向で一周忌まで公表を見合わせたらしい。
〈棺を蓋(おお)いて事(こと)定まる〉との成句もある。
今ごろ、どこかで自らへの評価に耳を澄ましているかもしれない。
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★上杉鷹山 米沢藩主
1961年、43歳で第35代米国大統領になったジョン・F・ケネディの就任の時、
日本の新聞記者が「日本で最も尊敬する政治家はだれですか」と質問しました。
これに対し、ケネディは「上杉鷹山(うえすぎようざん)です」と答えました。
前大統領アイゼンハワー時代から始まった不況を打開するために、
150年前の江戸時代、すでに倒産状態にあった
極貧の米沢藩を立て直した鷹山を学んでいたのです。
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★2013年11月、駐日米国大使に就任した長女キャロライン・ケネディは、
「父ジョン・F・ケネディ元大統領が、江戸時代の米沢藩の名君とされる上杉鷹山を尊敬し、
就任演説に代表される考え方に影響を与えた」と述べました。
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