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日記(2.6)

2025-02-06 11:54:03 | 日常
2025   2月6日  (木曜日)      晴

雪国の大雪をTV 映像で見ながら
なんてここはこんなに晴れてるの か?わかっていても不思議だ。
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毎日新聞 コラム 余録に

こな雪 つぶ雪 わた雪 みず雪 かた雪 ざらめ雪 こおり雪…
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「こな雪 つぶ雪 わた雪 みず雪 かた雪 ざらめ雪 こおり雪」。
 太宰治の小説「津軽」の冒頭に並ぶ7種類の「津軽の雪」の名だ。
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東北地方の気象台が協議し、>積雪の状態で分類したものらしい。雪が身近な地域ならではだろう。
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▲青森市は降雪量世界一の都市と認定されたこともある。
 大陸からの季節風が暖かい日本海を渡り、雪雲が北海道や本州の山々にぶつかる。
 世界的にもまれな気象条件が日本海側の大雪につながっている。
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▲近年はスキーに限らず、雪見目当てのインバウンド客も増えた。
 約4メートルの雪に覆われた青森市南部の酸ケ湯温泉は
 春節休暇で来日した中華圏からの観光客に人気という。
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▲もちろん豪雪が災害につながってきた歴史もある。
 車の立ち往生で物流が滞ることも増えた。
 北海道から九州まで今季最強の「立春寒波」と備えを求められては
 大雪の予報が出た地域は観光どころではあるまい。


▲「我(わが)越後のごとく年毎(としごと)に幾(いく)丈(じょう)の
  雪を視(み)ば何の楽しき事かあらん」。

 雪を楽しむ「暖国」の人々をうらやんだのは
 江戸・天保年間に新潟・中越で暮らした鈴木牧之だ。


メモ
 鈴木 牧之(すずき ぼくし)
 牧之左斜像『北越雪譜』の著者、鈴木牧之は明和7年(1770)塩沢に生れました
 幼名:弥太郎、元服後:儀三治
牧之の家は、代々縮の仲買商を家業とし、
父の影響を受け幼い頃から学問や文芸の道に励みました。

父親は俳諧に親しみ、俳号を「牧水」と名のっていました。
息子も、それを習い「牧之(ぼくし)」と俳号を決めたのでした。
牧之の交友は広く、作家では山東京伝や弟の山東京山、
十返舎一九、滝沢馬琴など、その他、画家や書家、俳人、
役者など200人余りにのぼっています。

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学問や文芸にたけ几帳面であった牧之が遺した資料から、
当時の文人や画家などの様子をうかがい知ることができます。

牧之の座像は、牧之が描いた「父母の図」の父 恒右衛門と
牧之の子孫青木源左衛門の写真からモンタージュされ、
昭和8年、浦佐(現南魚沼市浦佐)の彫刻家 井口喜夫氏によって制作されました。
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◆毎年新潟小千谷市に行く前に十日町に寄ってお蕎麦をいただく・
 街並みがとても綺麗になって電柱はない。
 町の通りに過去の大雪に記録を表す柱が立っている。

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ベストセラーとなった「北越雪譜」で雪国の実情を伝えた。

▲もっとも現代日本の周到な雪対策には外国人観光客も感心しきりという。
 朝早くから走り回る除雪車や雪を溶かす散水設備
 4日から雪まつりが始まった札幌市では除雪作業の見学ツアーも実施されている。
 峠を越えるまで事故がないように何とか乗り切りたい。
 <執(しゅう)念(ね)くも春寒き日の続きけり/高浜虚子>
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