6月24日 (土曜日) 曇り
昨日の朝、畑にいて
スマホに入ったメールで知った、小林麻央さんの訃報。



私を変えてくれた人・・と言っていた海老蔵さんが涙をこらえて
インタビュウに答えていた姿が印象に強かった。
非常に悲しいニュースである。
~~~~~~~~~~~~~~~~
記事にあった。
「拝啓 僕ノ今日ノ生命ハ『病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)』ニアルノデス」。
俳人、正岡子規は結核性カリエスで激痛なしに身動きできぬ病床から
新聞連載「病牀六尺」を死の2日前まで続けた。
冒頭の手紙は原稿が載らなかった日の編集主任宛てのもので、
休載を知って泣いたとある。
「モシ出来ルナラ、少シデモ載セテ戴イタラ命ガ助カリマス」。
子規はそう懇願したのだ(復本一郎著「正岡子規 人生のことば」岩波新書)

随分、前に読んだ本。控えておいた言葉がある。
死の間際には悟ると思えど
いさぎよく生きていたのは
何も知らずに生きていた事が
悟りであった!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★「なりたい自分になる」。
こちらは昨年9月、
そんな言葉とともにがんとの闘病の病床からブログを書き始めた
小林麻央さんだった。
「がん患者」という意識に心や暮らしを押し込めていた
今までの自分から抜け出そうと考えたのだ。
~~~~~~~
「子供に『何もしてあげられなくてごめんね』と胸を痛めているママがいたら、
あなただけでなく、私も同じです」。
麻央さんの言葉は読む人の心にスッとしみ入った。
記された闘病も、家族との時間も人々の心の奥の糸を震わせた。
~~~~~~~~~~~~~~~~
「私が怖れた世界は優しさと愛に溢れていました」。
世界の女性100人の一人に選んだ英BBCへの寄稿
ではブログの反響にふれてそう記した。
「病気となったことが私の人生を代表する出来事ではない」との言葉も忘れられない。
「愛してる」と夫に告げた直後の34歳での旅立ちである。
子規と同じく30代半ばのやるべきこと、やりたいことを多く残しての死だった。
その2日前の最後のブログにはこうあった。
「皆様にも、今日笑顔になれることがありますように」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

昨日の朝、畑にいて
スマホに入ったメールで知った、小林麻央さんの訃報。




私を変えてくれた人・・と言っていた海老蔵さんが涙をこらえて
インタビュウに答えていた姿が印象に強かった。
非常に悲しいニュースである。
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記事にあった。

「拝啓 僕ノ今日ノ生命ハ『病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)』ニアルノデス」。
俳人、正岡子規は結核性カリエスで激痛なしに身動きできぬ病床から
新聞連載「病牀六尺」を死の2日前まで続けた。
冒頭の手紙は原稿が載らなかった日の編集主任宛てのもので、
休載を知って泣いたとある。
「モシ出来ルナラ、少シデモ載セテ戴イタラ命ガ助カリマス」。
子規はそう懇願したのだ(復本一郎著「正岡子規 人生のことば」岩波新書)

随分、前に読んだ本。控えておいた言葉がある。
死の間際には悟ると思えど
いさぎよく生きていたのは
何も知らずに生きていた事が
悟りであった!
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★「なりたい自分になる」。
こちらは昨年9月、
そんな言葉とともにがんとの闘病の病床からブログを書き始めた
小林麻央さんだった。
「がん患者」という意識に心や暮らしを押し込めていた
今までの自分から抜け出そうと考えたのだ。
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「子供に『何もしてあげられなくてごめんね』と胸を痛めているママがいたら、
あなただけでなく、私も同じです」。
麻央さんの言葉は読む人の心にスッとしみ入った。
記された闘病も、家族との時間も人々の心の奥の糸を震わせた。
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「私が怖れた世界は優しさと愛に溢れていました」。
世界の女性100人の一人に選んだ英BBCへの寄稿
ではブログの反響にふれてそう記した。
「病気となったことが私の人生を代表する出来事ではない」との言葉も忘れられない。
「愛してる」と夫に告げた直後の34歳での旅立ちである。
子規と同じく30代半ばのやるべきこと、やりたいことを多く残しての死だった。
その2日前の最後のブログにはこうあった。
「皆様にも、今日笑顔になれることがありますように」
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