廃校利用 山里の美術館「共星の里」

福岡県朝倉市黒川の「共星の里」のイベント情報や楽しい体験記を掲載。
左下のお好きなカテゴリー(1~16)毎にどうぞ!

今日も一日ありがとうございます。

2020-10-17 18:55:43 | ETSUKOの部屋
出張中に電話が鳴る、「悦子さんと会いたいのですが、いつお帰りですか?」

久しぶりに聴く声で Jさんと分かる。

何度か共星の里にお越し頂いてはいたのだが

私が出張で、なかなかタイミングが合わずご無沙汰していた。

今日、朝ちょっと早く約束して共星の里に向かう。

朝霧の雲が山あいに幾筋も空へ伸びて、上へ、上へ昇っていく。

子供のころから当たり前に見慣れたこの風景が私は大好きだ。

地球は生きているとあらためて実感する。



Jさんはある日、ふらっとお見えになり、

それから仲良くさせて頂き、意気意気投合のヨガの先生。

今回も、別に時間を図ったわけでもないが、「それでいいのよ!」と

後押しして話がひと段落すると「ピンポーン」と受付のブザーが鳴る

タイミングが実にスムーズ。

Jさんを見送り

次のお客様が来客された。

福岡から高校時代の親友と今回お越し頂き、

今から3年前にお母さまと一緒に共星の里にお越し頂いたそうだが、

お話しさせて頂くと、そのお母さまがお亡くなりになられて、

この場所が懐かしくて、お越し頂いたと聞く。

いろいろと当時のことを思い出されて

涙を流されて、お母さまを忍んでおられ

心を許せるお友達とまた、この共星の里を訪れて

ご自分と向かい合い

アートと語り合い。

お話しをさせていただき、

「また、お遊びにいらしてくださいね。」と伝え

笑顔でお帰りになられた。



そうこうしていると、若い男性が一人でお越し頂き、

秋月から来られたと言われるから、

お近くの方かと思いきや、談笑させて頂き、

何故か、質問をしてみた。

「お車ですか?」と聞いてみたら

「いえいえ!」と

「バイクでお越し頂いたのですか?」と聞くと

「いえいえ!」

「もしかして、自転車ですか?」

「はい!」

「北九州市から自転車出来ました」と

言われてびっくり!!!

「お写真とっても良いですかと尋ねて…。」



しばし、災害やらアートのことをお話しして談笑。

「楽しかったです。」と笑顔で言われ



「お気をつけてお帰りください!」と見送る。



また、そうこうしていると60代の男性が、「久しぶりに来ました」と

お越し頂き、談笑しコーヒーを飲みながらゆっくりとされて

「また伺いますと…。」


ご縁を頂く方には、様々な人生ドラマがそこにある。

人生での誰でもない。ご本人が主人公として、皆さん「今」を生きている。

これも「一期一会」

この共星の里は20年の中でそういったドラマと共にここにある。

強いて言えば、

廃校前の黒川小学校ととして過ごした過程も。

また、その前の正職庵としての時代も

またその前の黒川院の時代も…。

そうこうしていると縄文時代までも遡る。

この地にまたひとつ。

また今日という一日の月日が重なり。

「今」を生きている。




先日の10月10日、11日は九州大学のソーシャルアートラボさん主催の

学生さんによるデジタル枯山水「調身・調息・調心」

アートパフォーマンス「共生(ともいき)」の製作が、

共星の里のグランドにて行われた。

詳しくは九州大学の知足先生が報告されております。
     こちらをどうぞ!

コロナウィルスで無観客となったが、

確実にこの地に皆さんの想いが、共に生きていると感じており、

その配信は
黒川復興ガーデンとバイオアート
英彦山修験道と禅に習う
黒川庭園と喫茶アート養生会と題しての
リモート鑑賞会です。
11月14日(土曜日)15時から配信されます。

また、あらためてご案内致しますね。



ちょっとブログが長くなりますが、

そのイベントが終わった日、

この泰庵にてみんなで輪になって

一緒に発声を上げて喜び合いました。


その次の日に

泰庵の銘板を棟梁の大工さんの池上さんが

釘を打たずに設置していただいたと

杉岡さんから聞いて、

全ては流れだと感じ

感無量。

この銘板が入り、

すべての「えにし」が

ここに集結し、

収まったと私は感じました。






その経緯はこちら


泰庵の銘板は、英彦山の千年杉で、写真家であり書家の四宮佑次氏が揮毫して頂いた。

英彦山の歴代座主様がお住まいだった黒川へ

そして第9代の座主さまのお屋敷とお墓があった共星の里に、

4月の歴代慰霊祭の時は英彦山神宮から高千穂宮司さまと禰宜さまがお越し頂き、

この完成した「泰庵」をご覧になられた。その時の様子はこちら

そしてこの東屋「泰庵」をご覧いたときに

この「泰庵」を建てる時に

杉岡さんや池上さんたちが伊勢神宮の外宮豊受大神宮を頭に描き、

実際に参拝して来られて、参考にされたと秘話を聴いていた。

その話と共星の里での物語が、

またまたこれも偶然なのか⁈ 必然なのか⁈

これには長い長い、赤い糸のような物語があります!!


本当にいつか、ゆっくりとお話し出来たらと…。

その「イセキカリ」のお米に繋がるエピソードを!!


ご縁としか言いようがない黒川で初めて取れた「イセヒカリ」をお供えして




英彦山の千年杉の銘板の前にて

あらたな復興の共生を願い

祈りを捧げました。






ふと、今日の一日を振り返り、

人生は山あり谷あり。

共星の里で常設の

禅の精神「空(くう)」をテーマとした富樫実氏の

「空にかける階段」の彫刻作品。

その富樫さんの故郷山形庄内旧黒川村の風土と仏教思想とのつながり。

そして、この朝倉市黒川との縁も偶然ではない。

不思議なご縁が、時空を超えて引き寄せられたように

ここにはある。


今日一日の出来事と共に、里山の風景。

朝霧の雲が山あいに幾筋も空へ伸びて、

上へ、上へ昇っていくその様子とがリンクする

空にかける階段となって。



「泰庵」が完成した日に

冨樫実氏の彫刻「空にかける階段」を

設置したことも

必然と感じた。



お陰様で

今日も一日ありがとうございます。








yanagiセンセーの経過。

2020-09-01 16:05:02 | 6.KAZUさんの部屋
台風9号に続き、昨日の台風10号!

皆様から、たくさんのご心配のメッセージを頂いておりました。

気に掛けて頂き、本当にありがとうございます。


台風10号の勢力は、今までにない大きさということで、

今回どうなることかと、とても心配してヤキモキしましたが、


お陰様で共星の里は、何も変わらすに、被害もなく、安心しております。

台風の接近に伴い、バタバタとして

柳センセーの経過をお知らせするのが大変遅くなりました。

経過をお知らせ致します。







皆様には、柳センセーの件では大変ご心配をお掛け致しております。

本人は久留米大学病院から

経過が良好だと判断され、

これから

リハビリに専念するために、

病院を転院し、

病院を朝倉に転院したと連絡が入りました。


コロナウイルス感染防止のため

一切の面会は禁止で、家族でさえ会えないとのことですが…。

親族のお話だと、

毎日、リハビリに頑張っているそうです!!!

また本人からご連絡をすると思いますので、

どうぞ、皆さまもあたたかく見守ってください。

私たちも柳センセーの回復を信じて祈っております。







共星の里スタッフ一同。


TV番組「北部九州4k百景」に共星の里黒川INN美術館 ON AIR !

2020-09-01 15:29:50 | 4.05~24年のイベント 告知&報告
TNCテレビ西日本の「北部九州4k百景」という番組で

共星の里黒川INN美術館が紹介されます!

その撮影が先日行われました。





この番組は 番組制作の技術者たちが
自分たちが撮りたいところに出向いて
4kで撮り、制作するという番組だそうです。

放送日が決まりましたのでお知らせ致します。

放送日は9月4日(金) 27時15分〜

深夜なのでリアルタイムでの視聴は

難しいと思いますので

録画で視聴ください。
番組情報はこちら⇐をご覧ください。

尚、そのあとYouTubeへの掲載もあるそうで、
見れない方にはありがたいです!
こちらも決まりましたら
また連絡させていただきます。



*****************************************************
【開館変更のお知らせ】
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
朝倉市と協議の結果、9月からの開館日を
共星の里】は
毎週土曜日・日曜日 祝日に変更させて頂きます。

尚、8月末までの企画展
「アートとデザイン展」共星の里Xヒタスタイルの展覧会は

今期終了まで(11月末)延長致します。

今後の状況により、お知らせした内容が変更となる場合がありますので、ご了承ください。

共星の里
お問い合わせ連絡先 0946-29-0590(代表)まで。

9月からの開館変更のお知らせ。

2020-08-31 17:07:15 | 2.館内と常設のごあんない
【共星の里 X 音楽館 開館日の変更のお知らせ】


新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
朝倉市と協議の結果、9月からの開館日を
共星の里】は
毎週土曜日・日曜日 祝日に変更させて頂きます。

尚、8月末までの企画展
「アートとデザイン展」共星の里Xヒタスタイルの展覧会は

今期終了まで(11月末)延長致します。

今後の状況により、お知らせした内容が変更となる場合がありますので、ご了承ください。

共星の里
お問い合わせ連絡先 0946-29-0590(代表)まで。



また、お隣の【音楽館】さんは
毎週 金・土・日曜日 祝日の開館となります。

音楽館 お問い合わせ連絡先 090-6898-9020(杷野)まで。



皆様には、大変ご迷惑をおかけ致しますが、ご理解のほどよろしくお願い致します。

共星の里・音楽館
スタッフ一同

親愛なる皆様へ。 柳 和暢

2020-08-23 12:21:39 | 6.KAZUさんの部屋
残暑お見舞申し上げます。
大雨が続き、3年前の災害から今年もヒヤヒヤしておりましたら、
梅雨明け宣言と共に真夏日となり
コロナでまだまだ大変な状態が続いておりますが

皆様、お元気でお過ごしでしょうか?

話辛いのですが、
予期せぬことが起きまして
柳センセーこと 柳和暢氏が
木の剪定中に、脚立から落下し、ケガをしてしまいまして…。
本人が皆さまにメッセージを寄せております。







まだまだ、思うように字が書けない状態ですので、
代書致します。

先日7月25日、昼頃
共星の里の庭の手入れで最終段階に来て、ギャラリーへの光をさえぎっていた
楠木を剪定しはじめ、開始してしばらくして
大きな板に安全ロープをかけに三脚に登りました。
ところがその一角にどうも地下に空洞があったらしく
足がズボッっと落ち、同時に自分の体がうきました。
同時に引力により約3~4mの落差のあるところにドズンと落ちました。
ところが、いいか悪いか、地上から昔の鉄製の水道パイプが立っていて
その先が横隔膜から脊髄まで突き刺さりました。
たまたま悦子センセーが見ていて、それから慌てて救急車を呼び。
その間、小生はあっという間に息が苦しくなり、激痛がとんでもなく走り、
救急車、寺内ダム湖までドクターヘリに来てもらい久留米医大へ。
意識がもうろうとするなか
その後、CT.MRI⇒緊急手術⇒朝の4時頃まで、
今までに経験したことのない時間を過ごしました。
ICUでのその後はいろんなパイプをつながれ…
激痛とたたかい、その後HCUにうつされましたが、
また色んなイタミとたたかってます。
また、気持ちの整理がついていなく毎日をとにかく生きております。
又、元気になることと信じていますので、
それまでいろんな事をひかえさせてさせて下さい。よろしく

Kazu Yanagi




尾藤です。
今回は皆さまに大変ご心配をお掛け致しております。

この日は自宅にある大きな脚立を持って来て、木を剪定すると申しておりましたが、
まだ、到着していなくて、そろそろ来る頃だとは思っていましたが
ちょうど、私は2階の奥のレストランで接客中で、コーヒーを出してました。
いつもでしたら、ちゃんと誰かが見ている状態でしか作業をしないのですが、
お客様だから、声をかけるのを遠慮したそうで、一人で作業をし始めていたようです。
柳センセーは描きたい絵もあり、絵を描く前には周辺の掃除から始める性格で、
その日ばかりはちょっと頑張りすぎました。

虫の知らせか、
お客様と話しを中断し、ちょっと気になって2階のギャラリーへ移動し、2階の窓から覗いたら、

ちょうど、柳センセーが脚立から落ちてしまいました。

すぐさま、1階へ下りて駆け寄りましたが、背骨を強打し、まったく足が動かない状態になり…。
救急車で運び、ドクターヘリにて久留米大学病院のICUに緊急搬送し、即、緊急手術をしました。

背骨の4か所と肺をろっ骨が突き破っていましたので、
大手術となりました。

お陰様で手術は無事に成功し、今は食事もどうにか摂れており、
背骨と脊髄を損傷しましたので、
ちょっと心配しておりますが1週間経って、足の感覚は少しは戻りましたので、
後は天に任せ、本人の気力とリハビリをかんばって、回復を望んでおります。

多分3~6カ月は入院必要だと思います。

コロナ騒ぎで病院もピリピリしておりまして

コロナで病院も面会禁止ですので
もどかしいですが、ICUだけは家族のみ面会できましたが、
それも禁止になり

意識はハッキリしており、手も頭も大丈夫です。

携帯電話は禁止ですので、本人は外部との連絡が一切取れません。


もともとポジティブでアクティブですので、きっと回復すると念じております。
本人もリハビリに専念すると申しております!

彼にとりましても今回のことは、今までに経験したことのない出来事となりましたが、
全ては波動!!
生かされた命!良い方に、良い方にと考えるようにと𠮟咤激励しております。

よろしければ、皆様もプラスのエネルギーを柳センセーに送ってあげてください!

良い波動を皆さんと共有し、共に星のように輝く!!
そう願ってやみません。

このようなメッセージを皆様に送るのも辛いですが、
あれだけ、SNSで発信していた柳センセーがあの日以来、
ぱったりと音信不通になると
皆様もご心配をおかけしていると内心思っておりました。

本人の意向で内緒ににしておりましたが、あれから一カ月近くになり、
少しづつですが回復に向かい、彼も少しは気持ちが落ち着いてきたのでしょう。
今回、本人自らのメッセージです。

日にちが薬です。
本人が回復し、また直々にメッセージを送るそうですので、
それまではどうぞ見守っていてください…。

どうぞ、ご理解の程をよろしくお願い致します。

2020年8月23日
共星の里 スタッフ一同。

8月6日を忘れてはならない。『ゼロセンガハトニナルヒ。』2005.8

2020-08-06 12:11:14 | ETSUKOの部屋
長雨が続き各地でまたもの災害をもたらした。
もう、雨よ、降らないで!とばかり祈る想いで
梅雨明けを待ちわびでいました。

雨季も終わり、やっと雨の心配もおさまったと思ったら
今度は猛暑が続く日々。
コロナ騒ぎもまだまだの状況のなか

本日8月6日。

決してこの日を
忘れてはならない。

蝉がうだるような暑さの中、その時を告げるように鳴きづづける。





ふと、今から15年前のライブイベントを思い出す。


2005年8月 音楽館のゼロ戦を舞台にしてライブインスタレーシ[自己有機体化複合芸術]

『ゼロセンガハトニナルヒ。』

2005年8月に朝倉市黒川 音楽館での 鎮魂の平和の祈り
『ゼロセンガハトニナルヒ。』を開催した。
その記録です。





2005年のブログ

カテゴリーの4.05~20年イベントと告知&報告 のなかの05年8月から

カテゴリーの4.05~20年イベントと告知&報告 05年8月と9月にてイベントの全体を報告してます。
お時間のある方はそちらに入ってご覧頂ければ、幸いです。

一部はこちら

現在、音楽館にあったゼロ戦は筑前町大刀洗平和祈念館に展示されております。
是非、筑前町大刀洗平和祈念館にお出かけください。



また、音楽館の館長でもある渕上宗重氏が大刀洗レトロステーションにて平和と鎮魂を願い(旧国鉄大刀洗駅の駅舎を利用して28年間大刀洗平和祈念館を運営しておりました。)


太刀洗レトロステーションは旧国鉄の太刀洗駅を利用し、館長が旧大刀洗平和記念館を28年前に立ち上げた場所にあります。



この駅舎は昭和14年に建築されたもの。

かつて東洋一と言われる太刀洗飛行場があり、日本中から

この駅を往来する人々は1日2万人いたと言われています。



戦中、田舎に帰ることも許されず、この駅舎から知覧に行き戦地に旅立つ。

そのため家族らは人目、自分の息子に会うためにこの駅舎に訪れたと聞いております。

その地下道は当時のままに残っております。





お国のため、人のために自分の生命を投げ出し、帰りの燃料も無い戦闘機に乗り、

命を捧げた兵士の方々。このことが有った事実を今の時代想像出来ますか?

知って欲しい実話が沢山あります。

今の時代があるのは、戦争のために命を捧げ、懸命に生きた方々のお陰です。

この観音様は28年前に館長が旧大刀洗平和記念館を立ち上げた折に、

一番にこの事をこの地でしなければならないと祈願し、

戦争て亡くなられた兵士さんたちの鎮魂を願い、

また世界の平和を祈り28年間、毎日、館長はお茶とお水をあげてお祈りをしております。

 



観世音。南無仏。

与仏有因。与仏有縁。

仏法僧縁。常楽我浄。

朝念観世音。暮念観世音。

念念従心起。念念不離心。

『十句観音経』


ご縁繋ぎ!ブルーベリーの苗をミュージシャンの喜多郎さんが植樹

2020-07-17 15:57:49 | ETSUKOの部屋
今回の大雨で南九州はもとより、
お隣の日田・天ケ瀬・湯平温泉地域。
また、原鶴温泉も大変な被害に…。
災害に遭われた地域の皆様に
心からお見舞い申し上げます。

7月15日高木地区のコミュニティ協議会の役員会に代表が出席。
3年前の九州北部豪雨災害の復旧工事は黒川地区11か所
佐田川10か所、疣目川4か所あり、
まだまだ、復興まで時間がかかりそうだ。
世帯数も黒川地区55戸数。佐田地区68戸数。
全体で123戸数。

災害がもたらした影響は拭えない。

疣目地区は危険区域でこの地域での暮らしはできなくなった。

災害の時、地域の方々がみんなで協力し合って行動し、この地区の全員12名が一緒に
寝泊まりをしながら同じ屋根の下で食料を持参し生活し、災害当日から5日目に救助されたことは
本当に日頃のコミニケションの成す技。
素晴らしい助け合いの精神のたまもの。
不幸中の幸いである。

田舎ならではの日頃の隣近所付き合いが効した防災である。

その最後の舞台となった家が先輩のkちゃん家。

仮設住宅での暮らしが続く中、疣目のご両親が住んでいたころに、(人が住めなくなったところに)
昨年の10月。
この黒川小学校の卒業生で一級上の先輩kちゃんが
ブルベリーの苗を植えに行って、
余ったから共星の里に植えないか?
と旦那さんと一緒に
来てくれた。

ちょうど、喜多郎さんが共星の里に遊びに来てくれていたので、

喜多郎さんに2本のブルベリーの苗を植樹してもらいました。

まだ、この時は東屋はここにはない。









あれから9カ月が経ち東屋「泰庵」の真正面となった場所に








本日2020年7月17日





すくすくと成長し、大きな実をつけてくれました。

この災害で

たくさんのものをなくしたが、この黒川復興ガーデンと共に

想いを受け継ぐべき、

ここに記念樹として存在する。

本日は久しぶりのお天気

このガーデンも草の成長が半端ではない

柳センセー、お手製の鎌で



須佐之男命のごとく、

ふりかざす!(笑)





もうこれ以上雨よ! 降らないでおくれ!と。

あの平成29年7月5日豪雨災害から3年。

2020-07-05 17:10:42 | 平成29年7月5日九州北部豪集中豪雨
今日はあの平成29年7月5日九州北部豪雨災害からまるまる3年。

朝倉市、東峰村など、大きな災害をもたらしました。

共星の里がある朝倉市黒川地区はわずか9時間で774mmという

最も多い雨量を短期間で観測したと記録が残る。

まさか!黒川でこんな災害が起きるなんて⁈

今までに経験したことのない事態。

あの日を誰が予想できただろうか?



昨日は、また熊本・鹿児島での豪雨。
本当に心が痛い。


九州北部豪雨災害はもとより、西日本豪雨、

今回の熊本・鹿児島での災害で犠牲になられた方々とそのご遺族に対し

心から追悼の意を申し上げます。



亡くなられたFさんのところへお参りを。







不思議なくらいの静けさ。




お参りを済ませたら、小雨が降りだしました。



お隣のFさんが自宅があった場所に3年前に桃の木を植樹されたのだが、

大きく成長しておりました。

本当に自然はすごいとおもう。


緑ひとつ無かった日から復旧も少しづつ、進んでおります。



3年前は朝倉だけがなぜ?と思っていたが、

あれから日本各地、いや世界で様々な自然災害が起きている

今、どこで何が起きるか本当にわからない。

3年前災害の様子です。⇐(こちらをご覧ください。)

またその後お世話になった方々や経緯も追ってご覧ください。


最近になって代表が言うには、もしかしてあれは夢か幻か…。

あの日、代表は、私たちより先に共星の里を三奈木方面に下りて出て行った。

経験したことのない真っ白く煙が上がるほどの大雨の中、あまりよく見えなかったが、

川の岸に白い服を着た老人が「こっちへ来ては駄目だと引き返しなさい!」と告げたそうで…。

その方のお告げで引き返し、共星の里へ私たちを呼びに来て

車2台で私たちは奈良谷線を山田の方に下りて行き、

こちらも危機一髪、あの土石流が発生する5分前に下りて難を逃れました。

見えない力が働いているのでは…。そんなありがたい気持ちを頂き

不思議な出来事がこれは、偶然?

それとも必然?

へーーーここに繋がる。

そんなあれから3年の月日。

3年が10年分のように、この災害でいろんなことを経験致しました。

まだまだ復旧・復興のなかにおりますが、

ご縁頂いた多くの方々、皆様の支えがあって、今この時を

今日も元気で共星の里を開館し過ごしております。


本日7月5日のお客様にも廃校のこと、災害こと

復興ガーデンのこと、赤い石こと

英彦山との歴史、アートこと…。

蓄音機の歴史

話は尽きない。



最後は、泰庵に繋ながり、皆さん深呼吸。






あの災害で無くしたものもありますが、

あの経験があってからこその繋がるもの、得るものもあることも学びました。

多くの方々の尊いお心を頂き、そのお心を胸に

ひとつ、ひとつ。一歩、一歩。

この共星の里にお越し頂だく皆様とあの日、何が起きたのか…。

お一人お一人の会話のなかで

肩肘をはらず、キャッチボールしながら、

お話し出来ることを続ける。

自分の身のまわりから…。できることを、出来るところで。

それもあの日を忘れない、風化させないことと信じ

黒川を照らしていくことにつながるのでは…。

あえてあの災害を体験した当事者だからこそ

災害の怖さと防災の大切さを!!実感し、

本当に

なにより一番皆さんに伝えたいのは

”今を” この瞬間を本当に大切に生きてほしい!!







紫陽花がとっても雨に濡れて鮮やかな季節、

再生と循環を願って

今回、共星の里のガーデンにたくさんの紫陽花を挿し木致しました。




この日を忘れないためにも

献花をこの大地に致しました。

この祈りがどうか繋がりますように。













九州北部豪雨災害はもとより、西日本豪雨、

今回の熊本・鹿児島での災害で犠牲になられた方々とそのご遺族に対し

心から追悼の意を申し上げます。

2020年7月5日

共星の里スタッフ一同 拝


県道588号開通のお知らせです。

2020-07-03 15:51:59 | 平成29年7月5日九州北部豪集中豪雨
お知らせいたします!

令和2年3月26日より、全面通行止めだった寺内ダムから県道509号→西原を→県道588号(甘木吉井線)は
6月30日の2時より全面通行止めが解除され、この区間の工事も完成致し
開通いたしました!!



今まで仮道で川底を通行していたのかと思うと


景色がまた違って見えます!



一か所だけ、かけ崩れの箇所があります。
また多くのほかの箇所の工事を行っている状況ですので
通行の際はトラックなどの対向車にどうぞお気を付けてください。



アートとデザイン展 共星の里Xヒタスタイル 作品紹介Ⅱ

2020-06-06 13:09:55 | 3.05~24年の企画展告知&展示
蒸し暑い日が続いております。

初夏へ向かっておりますね。

共星の里では、初代このブログをはじめた守口ちゃんがペンネーム”なおみ”として”

家庭菜園の様子や日々の日常を面白おかしく紹介してくれておりました。

彼女は、只今開催中のヒタスタイルを立ち上げ、大人になると忘れがちな探求心旺盛な

少年のような、PHREな心でデザイン・ライター&編集をし、こよなく日田を愛するひとりです。

彼女が、共星の里でスタッフとして関わってくれた日々の中、

このブログのカテゴリー「8.裏部屋「強制の里」」
で、
彼女の感性からアートとかデザインが、人間の思考と日々の環境とが如何に密着して生まれるかを
感じてもらえるはずです。

今回、ご紹介するのは、
韓国の作家 宋 光翼【Song Kwang】氏

良かったらこのサイトを覗いてみてください。(←宋氏の来日の様子を掲載)
共星の里では雪が降る季節でしたが、
宗さんが来日して黒川の雪の景色を満喫するその様子も裏部屋「冬景色に笑顔」で紹介してます。





2008年 3月5日→5月11日 接神 宋 光翼【Song Kwang】展 開催。
この年は3月というのに例年になく雪が降り、まだまだ手かじかむ中でしたが、一枚、一枚紙をちぎって制作中
の制作風景です。

宋さんのこの接心のポストカードと黒川に降り積もる杉林の木立。
思わず、接神を感ずる瞬間でした。


2011 日韓現代美術交流展 2011年 7月27日→8月28日 


ALL STARS KUROGAWA INN MUSEUM展にて出展
2013年7月10日→8月18日

5 From Daegu in Kurogawa inn Museum にて出展
2019年9月1日(日)→10月6日(日)

Kim young sae
song kwank ik
kim jung tae
kim sung soo
chang wok jun

その様子が西日本新聞に掲載されました。



ー接神ー

幾えにも織り重なる中から生まれる旋律

会うべきして出逢い

またひとつ。

重なり合う。

ここから生まれる光と影。

遠い昔の記憶ともに

わたしたちを光の先へといざなう。





アートとデザイン展 共星の里xヒタスタイル  作品紹介Ⅰ

2020-06-03 16:19:06 | 3.05~24年の企画展告知&展示
各地で梅雨入り宣言もまじか、コロナウイルスで大変な中ですが、

皆様はいかがお過ごしでしょうか?

時間のリズムがなかなか戻らないままですが、

季節は廻り、山里は田植えの真っ盛り、

雨季の季節に一段と鮮やかな紫陽花が咲き、蛍の乱舞する季節を迎えております。



災害前の山全体が蛍で光るほどには程遠いですが、

破壊された河川じきに、再生を祈る希望の光を燈してくれております。

さて、そんな中で
共星の里では『アートとデザイン展』を展開中です。

2000年4月に開館してから今まで約100本の企画展を開催しております。

ご縁を頂いた作家さんたちをご紹介致します。

まず、最初のお一人は
富樫 実 氏  彫刻家をご紹介致します。



共星の里では今では常設で展示致しておりますが、過去に3回程企画展を開催致しております。

2003年3月1日→5月5日に「空にかける階段」の展覧会を開催。
2011年3月2日→5月8日「空にかける階段」

ブログにてその会場の様子をご覧ください

そして2017年5月3日→7月30日Stairway in the Void「空にかける階段」音楽館と2か所の会場で展開。→この企画展は大阪のINDEX GALLERY様と共催で開催致しました。

ユーチューブにて展覧会の様子ご覧ください。









企画展「アートとデザイン展」共星の里xヒタスタイル開催のお知らせ。

2020-05-15 16:15:12 | 3.05~24年の企画展告知&展示
3月から開館に伴い
この企画展を開催する予定でしたが、

今回の新型コロナウイルスため休館に伴い延期致しておりました
「アートとデザイン展」共星の里xヒタスタイルの開催のお知らせです。


                               常設「吉野辰海作:作品名 大首」



「アートとデザイン展」共星の里xヒタスタイル

期間:5月20日(水)~8月30日(日)まで開催致します。

時間 11:00~17:00
休館 毎週月・火曜日 

入館料 大人500円(コーヒー付き) 小中学校300円 (ジュース付き) 幼児無料  



1月のパトリア日田で開催した「アートとデザイン展」

この共星の里で観るとまた違って見える感覚があります。




皆さんはどう感じられるでしょうか?





展示は5教室にて展開致します。









ーーーヒタスタイルー「日田生まれ、日田育ち、日田を知りたい日田式情報誌」2012年創刊ーーー


山があり川があり人がいる。人が集い地域がある。その日常が継続されて文化が生まれる。
この広い同じ空の下、偶然日田に生まれた&縁あってここに暮らす私たち。
創刊8周年を迎えたヒタスタイルは、これからも既存のルールに飲み込まれず、
地元目線で今を見つめながら、見えない未来を創造すべく、地域情報誌の新しい役割を模索・挑戦。
盆地に活きる第1次産業のすぐ横でデザイナーカメラマン、ライター、イラストレーターなどの
クリエイティブな仕事が、ここで暮らしながらも媒体を問わず活躍できる。
そんな地方のまちになる。九州の中心でそれを叶えたい!
『日田に生まれる。日田に住む。日田を愛する。なぜ好きか?どこが好きなのか??
そして逆もまた。終わりを迎えるまで過ごすのかもしれない我がまちについて、生きている間にもっと知りたい
見たい、誰かに伝えたい、見つめて動いて、風に吹かれたりあらがったり。
ここに住む生き物のように、植物のように、日田がここにあるようにこれまでも。これからも。』


……………


このヒタスタイルのメッセージを『私たちが暮らす地方。地域。まち。」に置き換えて考えてみると…。

全てが繋がる。

コロナウイルス感染で日常がなくなったときに、あらためて何が大切かを教えてくれる。

自分の住むまちの大切な何かを。


常設展と一緒に是非ご覧ください。

山里の風景を楽しみながら朝倉へドライブ。

黒川の空気を思いっきり、深呼吸!!

皆さまのお越しお待ちいたしております。


共星の里スタッフ一同




共星の里は5月20日(水)より、美術館を開館致します。

2020-05-15 15:31:37 | 2.館内と常設のごあんない
共星の里 開館のお知らせです。

新型コロナウイルス感染予防のため、緊急事態宣言で休館を致しておりましたが、
本日4月15日(金)朝倉市より通達があり、
感染対策の注意事項を厳守することで、
来週より規制が暖和されることが決まりました。
よって
共星の里は5月20日(水)より、美術館を開館致します。

美術館入館の際のお願いは以下の通りです。
よろしくお願い致します。

【感染症対策のお願い】
 
 ・風邪の症状(のどの痛み、咳、発熱など)がある場合、入館は控えてください。
 ・手洗いや手指の消毒、マスク着用や咳エチケットにご協力をお願いします。

【道路状況のお知らせ】
まだまだ、災害復興工事の真っただ中です。
ご理解のほどよろしくお願い致します。

あまぎ水の文化村、寺内ダム方面 県道509号⇒西原から右に県道588号は災害復興工事のため
只今全面通行止めです。

朝倉三連水車公園を過ぎて志波⇒黒川へ
あまぎ水の文化村、寺内ダム方面 県道509号⇒佐田⇒黒川線をご利用ください。



柳センセー開館準備のため、衛生面に気をつけて、掃除中!!です。

「東屋セルフビルドと植栽によるアートガーデン制作」について。

2020-05-12 17:43:04 | 平成29年7月5日九州北部豪集中豪雨



*「黒川復興ガーデンとバイオアート ー英彦山修験道と禅に習うー」のプロジェクトの経緯をお話し致します。

北部九州豪雨災害復興支援でお世話になっている
九州大学ソーシャルアートラボさんの
知足美加子先生主導のもとで

………北部九州豪雨災害復興支援「黒川復興ガーデンとバイオアート ー英彦山修験道と禅に習うー」として………
この東屋 「泰庵」と復興ガーデンが生まれました。

新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、
「東屋セルフビルドと植栽によるアートガーデン制作」は一般参加者のイベントとしては中止となりましたが、
関係者の打ち合わせと作業を兼ねて九州大学ソーシャルアートラボの知足先生を筆頭に大学関係者の有志の皆様、
鹿児島、宮崎、長崎、朝倉などの優れた匠の技術者有志の皆様、自己責任を持って参加された皆様のおかげをもちまして、奇跡に近いほどの短期間で本当に立派な東屋と庭がこの地に誕生致しました事をご報告致します。

この黒川は英彦山の座主の黒川院(約300年間)に付属する多くの社寺や家臣の屋敷が作られており、
「岩屋権現社」上宮、下宮から西に開けた谷筋、馬場、北小路地区には黒川院の本体が置かれ、
共星の里(旧黒川小学校明治7年開校→平成7年に閉校。共星の里は平成12年に開館し現在に至る)は、
いにしえをたどれば、第9代の座主のお住まいがあったところで、
今回の黒川復興ガーデンになる旧運動場あたりは寺屋敷(職正覚寺)があり、
共星の里からすぐ上の第一代座主のお墓がある天神の森辺りは
北部九州豪雨災害の後、発掘がなされ、なんと縄文時代後期のものが出土し
早くから中国や朝鮮とも交易をし、献上された品々も出土されており、
この黒川の山間地に縄文時代、人の営みがあったとは…。
場のエネルギーとも言うべき聖地の持つ重層性を感じております。

まずは、土地神様にご挨拶。
第9代のお墓に祀ってある榊を頂き、
酒と塩と米を上げて、何事も事故やケガがなく東屋と植栽が無事に完成することを願って



ご祈祷をさせて頂き、作業に入りました。




完成まで所要時間は2日間。
この2日間で形になるものか…。不安がありましたが、

事故やケガもなく、晴天に恵まれ、



朝早くから、遅くまで作業をして頂き、






みなさまの真心をいただき、







あの災害の時とは打って変わって
ここに「再生と循環のシンボル」ともいうべき場が誕生致しました。

本当に皆さん一心不乱に熱中して、
終わってみれば、これが2日間で出来たとは信じられないほどでした。

こんなにも美しいものかという言葉が一番だと言えるほどの東屋、杉の美しさ、叩き土の感触、石の並び。



メモリアルブランコの再生。




彩り鮮やかな植栽の輝き。









皆様のおかげをもちまして









日本の匠の技がここに結集し、素晴らしい東屋と植栽が出現できたことは本当に感無量でございます。
ご厚意に深く御礼申し上げます。


また、あの災害からいろいろな方々がこの黒川、共星の里の復興に関わって頂きました。
その方々のおかげも頂き、今があり、また今回の参加頂いた方々の御一人、
おひとりのご尽力のたまものだと深く々感謝申し上げます。



 ※                                               

…………………………

災害時、多くの土砂や流木とともに、様々な思いが流れていった筑後川の河口付近の海水を汲んできて、
最後にお祓いをいたしました。
天と山と水と人の心が今一度幸せに結び合うことを、皆で祈ったところです。(文 知足先生)

…………………………


                                   (長野聡史;※印 写真撮影)        

………
知足先生が詳しくプロジェクトサイトにて公開されてますのでご覧ください。こちらをご覧ください。




この東屋「泰庵」と復興ガーデンを作るようになったか⁉

北部九州豪雨災害でこの朝倉、黒川はとてつもない被害に遭い。共星の里も例外ではなく、

あの災害が起きた7月5日から5日後から仲間や友人、そして全国から駆け付けて下さったボランティアの方々と幾度となく毎日土砂を取り除く作業をしていた。
7月26日の夕方に一台の車が共星の里についた。

私たちはここをアートで復興ガーデンにしたいという想いを知足先生と杉岡さんたちに話しお二人とその想いを共有し、

そこからがこのプロジェクトの始まりだったと感じております。

お二人に深く感謝申し上げます。

杉岡さんのHPをご覧ください。
こちら
【泰庵の柱】杉岡さんHP
【泰庵の屋根】


そしてセルフビルドされた東屋は「泰庵」と名前が誕生致しました。
以上のような経緯を経てます。

泰庵の銘板について、英彦山の杉材を使うことを杉岡さんが希望され、

なんと、

2016年の「英彦山神宮奉幣殿再建400年記念事業」の際、

知足先生が不動明王を復元制作するために、

神宮から分けていただいた英彦山千本杉の余材で作られることが決まりました。

私たちはその千本杉の杉板のを目にしたとき、

この杉の目の細やかさ、年輪がこんなにも人の心を打つものか、

英彦山の山の叡智そのものがここに…。

あの厳しい自然を生き抜いてきた証そのものが、

今この災害から復興を願う心のよりどころとして誕生し、

また、英彦山の歴代座主が住んでいらしたこの黒川に

まして第9代の座主のお住まいだった場所へと。

深いにしえを感じております。

今回この銘板の「泰庵」は

写真家であり書家の四宮佑次氏が揮毫されました。


いつになく、真剣そのもの



素晴らしい「泰庵」が誕生いたしました。
四宮さん本当にお心を頂きありがとうございます!

4月26日に毎年英彦山神宮より宮司さまをお迎えして
歴代座主の慰霊祭が黒川で開催されております。
前回もその慰霊祭のことを掲載させていただきましたが
その慰霊祭の後に、高千穂宮司さまと吉門禰宜さまがこの「泰庵」にお越しくださいました。

英彦山の千本杉とは…。宮司さまにも英彦山の千本杉の特徴をお聞きし一層、
深く知りたくなって知足先生にお尋ね致しました。



………泰庵の銘板について、英彦山の杉材を使うことになりました。
2016年の「英彦山神宮奉幣殿再建400年記念事業」の際、私が不動明王を復原制作するために、神宮から分けていただいた英彦山千本杉の余材でした。
その経緯について尾藤さんより説明を依頼されたので、以下にに添付いたします。

ーーー
平安時代より続く英彦山修験道の歴史は、神仏習合のもと、修験者による自然崇敬が核となっていました。そのひとつに「水」への信仰があり、水を支える森、特に杉を大切にしてきました。山内には樹齢1200年の「鬼杉」があります。
 山伏たちによる「擬死再生(新しい命を山から授かる)」の修行の一環として杉を植樹したものが、「英彦山千本杉」として残っています。
 中腹より上の結界(実報荘厳土)にある千本杉は、在来種としては数少ない杉種(ホンスギ)といわれています。
 英彦山の杉は、明治期の修験道禁止令の後、その希少性から乱伐の憂き目にあいました。修験道は禁止され、多くの山伏たちは山を降りざるをえなかったのです。
 しかしながら、現在は英彦山神宮を中心に復興がすすみ、英彦山の尊さが再認識されつつあります。それは、山を離れるか否かに関わらず(私も含む山伏の子孫たちも)、英彦山への思いと信仰、愛を共有する人々が存在し続けたからです。
 それは、今回の豪雨災害(2017年)によって生活の根拠を絶たれ、愛する黒川地区を憂う被災者の方々にも共通する心情なのではないかと、私は考えます。 
 この銘板は、平成3年の台風で倒木した英彦山千本杉です。「英彦山神宮奉幣殿再建400年記念」の際、鎌倉期の木彫(不動明王立像)を復原した余材です(→報告ページ)。英彦山神宮の方々が、背中に背負って運んでくださったというとても貴重な杉材です。
 黒川は、室町時代から英彦山座主の黒川院があり、英彦山と縁が深い場所です。私は2年前より復興を願い、共星の里と協力して命息づく庭を作る活動を行なってまいりました。今年、杉岡世邦さん(杉岡製材所)、池上一則さん(大工池上算規)が中心となって、この庭に美しい東家「泰庵」がセルフビルドされました。泰庵は、災害被災木が再活用されています。杉岡さんの希望があり、銘板にこの英彦山千本杉を使うことになりました。
 
 私は、英彦山再興の歴史そのものが、今現在、進むべき道を模索する被災地の皆さんをエンパワーメントすると信じます。皆様の末永いご多幸をお祈りします。

知足美加子」

…………………………


山があり川が流れ、草木の自然の中に神と仏。

眼に見えない聖なるものを感じ見出だしてきた日本人のこころ。

人びとは自然とのかかわりを通して暮らしを営み続け、地域が生まれ文化を育ててきた。

山や森、自然のうちにある神仏の聖地霊場は日本人の「こころの故郷」と言うべきであり

誰でもここに帰って来れるこころのよりどころでありたい。

私たちは自然と共に安らかに、今からも星のように輝き、互いを認め合い、ともに生きることを願う。

人と自然とアートの融合を求めて。


(共星の里一同)

黒川院歴代座主慰霊祭が執り行われました。

2020-04-28 20:03:38 | 9.山里の四季・風土
新型コロナウイルス感染の影響で今年は開催が危ぶまれるなか、

三密を避けて、毎年共星の里で開催される直会は中止となりましたが、

外部からの来賓の方はご招待なく、縮小した形で、慎重に注意を払い慰霊祭だけは開催できる方向でという思いで

今年も英彦山神宮より高千穂宮司さまと吉門禰宜さまとを迎えて、黒川協議会の皆さんと一緒に

黒川院歴代座主(1代~14代)の慰霊祭が4月26日に開催されました。





黒川院とは
正慶2年(1333)12月、後伏見天皇第6皇子長助法親王が彦山の座主(ざす)として入御され、
その館を上座郡黒川村(朝倉市大字黒川)につくり「黒川院」と称しました。
この長助法親王(助有法親王)から舜有法主まで(天正15年)14代の座主が黒川に館を構えました。
15代の忠有法主以降館は英彦山に移されました。


毎年、4月29日頃、英彦山神宮より、神主(今の座主)さまと氏子さんとがお越し頂き、
1代から14代の歴代座主の慰霊祭が地元高木地区の黒川協議会を中心に馬場で行われおります。
昨年の様子はこちらです。

いつもでしたら、直会の食事の準備のため、

代表と柳センセーだけで、私はこの慰霊祭に参加できないのですが、

今年は直会が中止のため、今回はぜひ参加したいという思いでした。

前日、九州大学の知足先生もご連絡をいただき、ご一緒に参加し、玉串奉奠をさせていただきました。

私がこの黒川小学生の頃は、学校行事としてこの式典に参加し、

ほら貝を吹きならす山伏さんの姿を初めて見たときの驚き、

山々の峰に響き渡り、こだまし、やまびこが満ち充ちて

山が萌える若葉の季節。

懐かしいその光景を思い出し 走馬燈のように様々な出来事が頭をよぎり

粛々と慰霊祭が進む中、黒川のいにしえに触れ、清々しい薫風と共に

歴代黒川院の座主様の御霊に 心から手を合わせることができる喜びに

本当にありがたい思いがしました。

今年も無事に終了することができたことに安堵の気持ちが皆さまの中からも聞こえておりました。

慰霊祭終了後

高千穂宮司さまたちが共星の里に東屋ができたことをお知りになっておられ

見学したいと申されましたので

「泰庵」にをご案内することができました。



歴代座主の慰霊祭が執行されたこの日に、この「泰庵」にお越しいただき、

英彦山の本杉の千本杉を使った銘板をお持ちいただけたことは本当にありがたい思いでした。

英彦山のと深い、深い歴史のなか、自然のなかに抱かれて、時空を超えた繋ながりを感じ、

幾年月は流れる水の如く、幾年月は過行くとも、ここで、すべてのご縁を頂き、

手を合わせ心の連帯や支えあうことの祈りの形。

この土地を守り また新たに今、この時をここに生かされていることに感謝する思いです。

     *写真中央で高千穂宮司さまがお持ちになっている「泰庵」の銘板です。

この後、黒川院の部屋にて

この日、皆さんが奉納された玉串もごいっしょにお祭りさせていただき、



今回の東屋「泰庵」の銘板もご一緒に






今年も無事に歴代座主の慰霊祭が恙なく終了したことのご報告と

ご縁を頂いた皆様の健康と弥栄、そして世界に蔓延るコロナウイルスの一日でも早い休息を願ってお祈りを致しました。

                                                 拝謝

「泰庵との銘板のこと」これまでのこの復興ガーデンのプロジェクトのプロセスを次のブログにて報告させていただきます。