廃校利用 山里の美術館「共星の里」

福岡県朝倉市黒川の「共星の里」のイベント情報や楽しい体験記を掲載。
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黒川院歴代座主慰霊祭が執り行われました。

2020-04-28 20:03:38 | 9.山里の四季・風土
新型コロナウイルス感染の影響で今年は開催が危ぶまれるなか、

三密を避けて、毎年共星の里で開催される直会は中止となりましたが、

外部からの来賓の方はご招待なく、縮小した形で、慎重に注意を払い慰霊祭だけは開催できる方向でという思いで

今年も英彦山神宮より高千穂宮司さまと吉門禰宜さまとを迎えて、黒川協議会の皆さんと一緒に

黒川院歴代座主(1代~14代)の慰霊祭が4月26日に開催されました。





黒川院とは
正慶2年(1333)12月、後伏見天皇第6皇子長助法親王が彦山の座主(ざす)として入御され、
その館を上座郡黒川村(朝倉市大字黒川)につくり「黒川院」と称しました。
この長助法親王(助有法親王)から舜有法主まで(天正15年)14代の座主が黒川に館を構えました。
15代の忠有法主以降館は英彦山に移されました。


毎年、4月29日頃、英彦山神宮より、神主(今の座主)さまと氏子さんとがお越し頂き、
1代から14代の歴代座主の慰霊祭が地元高木地区の黒川協議会を中心に馬場で行われおります。
昨年の様子はこちらです。

いつもでしたら、直会の食事の準備のため、

代表と柳センセーだけで、私はこの慰霊祭に参加できないのですが、

今年は直会が中止のため、今回はぜひ参加したいという思いでした。

前日、九州大学の知足先生もご連絡をいただき、ご一緒に参加し、玉串奉奠をさせていただきました。

私がこの黒川小学生の頃は、学校行事としてこの式典に参加し、

ほら貝を吹きならす山伏さんの姿を初めて見たときの驚き、

山々の峰に響き渡り、こだまし、やまびこが満ち充ちて

山が萌える若葉の季節。

懐かしいその光景を思い出し 走馬燈のように様々な出来事が頭をよぎり

粛々と慰霊祭が進む中、黒川のいにしえに触れ、清々しい薫風と共に

歴代黒川院の座主様の御霊に 心から手を合わせることができる喜びに

本当にありがたい思いがしました。

今年も無事に終了することができたことに安堵の気持ちが皆さまの中からも聞こえておりました。

慰霊祭終了後

高千穂宮司さまたちが共星の里に東屋ができたことをお知りになっておられ

見学したいと申されましたので

「泰庵」にをご案内することができました。



歴代座主の慰霊祭が執行されたこの日に、この「泰庵」にお越しいただき、

英彦山の本杉の千本杉を使った銘板をお持ちいただけたことは本当にありがたい思いでした。

英彦山のと深い、深い歴史のなか、自然のなかに抱かれて、時空を超えた繋ながりを感じ、

幾年月は流れる水の如く、幾年月は過行くとも、ここで、すべてのご縁を頂き、

手を合わせ心の連帯や支えあうことの祈りの形。

この土地を守り また新たに今、この時をここに生かされていることに感謝する思いです。

     *写真中央で高千穂宮司さまがお持ちになっている「泰庵」の銘板です。

この後、黒川院の部屋にて

この日、皆さんが奉納された玉串もごいっしょにお祭りさせていただき、



今回の東屋「泰庵」の銘板もご一緒に






今年も無事に歴代座主の慰霊祭が恙なく終了したことのご報告と

ご縁を頂いた皆様の健康と弥栄、そして世界に蔓延るコロナウイルスの一日でも早い休息を願ってお祈りを致しました。

                                                 拝謝

「泰庵との銘板のこと」これまでのこの復興ガーデンのプロジェクトのプロセスを次のブログにて報告させていただきます。