13~4歳の頃、夜という時間に物凄く惹かれ好きになった。今も、割合好きだ。実際、行動にかなりの制約は出ても、「好きなだけひとりになれたり」、家から1歩でも外に出てみると、「自分が今この瞬間にも息をして、生きているんだ」という当り前の事を確かめることが出来たりするからだと思う。そして、その頃、私は今も好きなシンガーに出会った事が、所謂、青春時代の宝物の1つになった。
時代はながれ、今は、あの時のようなトキメキはないし、憧れ熱みたいなものは以前ほどのレベルではない。
私は、中学時代にある事をきっかけに「書く」という事を手に入れた。内容がまとまっていなかったり、筋が通ってないにしても、それまで苦手分野だった事が好きになった。有益な使い物になっていないので「得意」にはならなかったけれど…。
やがて、深夜と言う時間に「憂鬱」を思うようになる。ネット上で書いて良い話ではないけれど、それは1つの事実なので、嘘ではない。
「憂鬱」は、悩みでもあり、「自分がこれからどうしたいか?」という事が明確に見えないのと同時に、たとえ見えたとしても、「自分の力ではどうにも出来ない壁」にぶち当たり、振り出しに戻る。今もそうだが、「新しい自分になりたい」という思いがずっとあったと思う。既存の自分自身を捨て、全くの別物になるという事を願っていた。それは、自然発生的に何もしなくても手に入るものだろう…という他力本願が入っているのも事実。しかし、結局、行動にうつしても「うまく行く事は無く」、進歩は無い。「自分は自分」でしかない。変化を求める時代に、対応しきれぬ自分自身を持て余しているのは、今も同じ。一時期脱却したかに見えたが、実際は、忘れていただけのようだ。
夜に思う。思っても答えは出ない。しかし、朝は必ずやってくる。朝は、希望としてとらえられる反面、絶望もある様に思う。再び暗礁の闇の生活に入った自分自身が、物語の様に、あの当時の自分に出会える筈も無く、妄想だけが拡がるばかりである。
そんな、訳の解らない、はっきりとしない「曖昧なもの」を私は、その時間の中に閉じ込めそして生み出し、今も、弄っているようで…。
時代はながれ、今は、あの時のようなトキメキはないし、憧れ熱みたいなものは以前ほどのレベルではない。
私は、中学時代にある事をきっかけに「書く」という事を手に入れた。内容がまとまっていなかったり、筋が通ってないにしても、それまで苦手分野だった事が好きになった。有益な使い物になっていないので「得意」にはならなかったけれど…。
やがて、深夜と言う時間に「憂鬱」を思うようになる。ネット上で書いて良い話ではないけれど、それは1つの事実なので、嘘ではない。
「憂鬱」は、悩みでもあり、「自分がこれからどうしたいか?」という事が明確に見えないのと同時に、たとえ見えたとしても、「自分の力ではどうにも出来ない壁」にぶち当たり、振り出しに戻る。今もそうだが、「新しい自分になりたい」という思いがずっとあったと思う。既存の自分自身を捨て、全くの別物になるという事を願っていた。それは、自然発生的に何もしなくても手に入るものだろう…という他力本願が入っているのも事実。しかし、結局、行動にうつしても「うまく行く事は無く」、進歩は無い。「自分は自分」でしかない。変化を求める時代に、対応しきれぬ自分自身を持て余しているのは、今も同じ。一時期脱却したかに見えたが、実際は、忘れていただけのようだ。
夜に思う。思っても答えは出ない。しかし、朝は必ずやってくる。朝は、希望としてとらえられる反面、絶望もある様に思う。再び暗礁の闇の生活に入った自分自身が、物語の様に、あの当時の自分に出会える筈も無く、妄想だけが拡がるばかりである。
そんな、訳の解らない、はっきりとしない「曖昧なもの」を私は、その時間の中に閉じ込めそして生み出し、今も、弄っているようで…。