篠原美也子の2017年のアルバム"Light house Keeper"より、2017年のナンバー『雑草の流儀』を、聴いてみる。
静寂ある果敢と聡明な色濃く強く者には、いつも、追い風が吹くのかもな、と、思う。雑草にも、きっと。
2007年の篠原美也子のナンバー、『春色』を、2007年のアルバム『桜花繚乱』から、聴いてみる。
春の色は、いつでも、美しくはないな……と、思う昨今。
篠原美也子の2006年のアルバム『レイディアント』より、2006年のナンバー、『エール』を、ピックアップ。
終わって欲しくない事が、終わった事に 、エールが、贈られる事はない。
篠原美也子の2011年のナンバー、『理由』を、アルバム『花の名前』(2011年)より、聴いてみる。
理由も生まれは、消え行くから、それで、良い……けれど、消えていかないで欲しい理由程、消えていく。
篠原美也子の2013年のセルフカバーアルバム『青をひとつ、胸に抱いて』より、『きれい』を、聴いてみる。
涙でにじんだままの今日が続くと、夜の明かりは、綺麗ではあるけれど、ただ、綺麗なだけで、それ以上はない。
篠原美也子の1995年のナンバー、“DOWN”を、1995年のアルバム『河よりも長くゆるやかに』より、聴いてみる。
勢い失速し、見える今日と見えない明日が、続く時代の沈降、今も続き、見えないの色が、濃くなるばかり。
1994年の篠原美也子のアルバム『いとおしいグレイ』から、『灰色の世代』(1994年)を聴いてみる。
消えていきつつも、消え行かない。目について、いながらも、目につかなくなる。両方のものがある時流を行く世代を、追いかける者は、どのくらい居るのだろうか?
1994年の篠原美也子のシングル『ジレンマ』から、カップリングナンバー『花束』(1994年)を、ピックアップ。
花束贈って、グッドバイ。そんな時分の頃とは、テイストが違う1曲だな、と、今ごろ思い、それは、それで、良いなと思う。
篠原美也子の1993年のナンバー、『満月』を、アルバム『満たされた月』(1993年)より、聴いてみる。
満ちて、光って、認知されて、でも、淋しくも切ない、と言う、味は
無味乾燥。それでは、困るが……。
篠原美也子の1993年のナンバー『青』を、アルバム『海になりたい青』(1993年)から、聴いてみる。
アーティストの思い描く青に、成れた、その時、どれだけの満足感が、生まれるだろう。その青い世界に、導かれて、どこに行けるだろうか?