篠原美也子のアルバム『花の名前』(2011年)より、『エデン』(2011年)を、聴いてみる。
今日の終わりの先の明日は、理想的な今日であって欲しい。
篠原美也子『感傷』(2017年)を、アルバム“STAY FOOLISH”(2017年)から、聴いてみる。
相反するものが、答え、であり、結、であると言う現実には、感傷がある。
2006年の篠原美也子のアルバム『レイディアント』から、2006年のナンバー“Stand Fight”を、聴いてみる。
巡り巡ってたどり着いた眩い場所で見て感じた想いは、今も鼓動となって誰かにはあるようだ。
1997年の篠原美也子のアルバム“Vivien”から、1997年のナンバー『春の日』を、聴いてみる。
獲られなかった良い記憶は、春の日に消えて、気がつけば、秋で、そこには、冬しかなかった…が現実。
篠原美也子の2005年のアルバム“us”より、『その時』(2005年)を、聴いてみる。
来て欲しい人も日も来ない…代わりにやって来る、望まぬひともの。
篠原美也子のアルバム『種と果実』(2004年)より、“maybe”(2004年)を、ピックアップ。
たぶん、あなたは、その大事な人といて、幸せなのでしょう。
1994年の篠原美也子のナンバー『話して』を、1994年のアルバム『いとおしいグレイ』より、聴いてみる。
話せるほどの話のネタもない日常。けれど、聞きたい話もある……それが、誰ものに理解されなくても。
篠原美也子の1993年のアルバム『満たされた月』より、『恋人じゃなくても』(1993年)を、聴いてみる。
こんな時だからセレクト。けれど、また、夜の色が濃くて、灯りが暖かく見えて、切ない曲が似合うシーズンは、避けられない。
2002年の篠原美也子のナンバー『満天』を、2002年のアルバム“bird's-eye view”から、聴いてみる。
このままであって欲しい事が、変わり行く事への哀しみは、数えきれない星の如く。
篠原美也子のセルフカバーアルバム“everything is passing”(2004年)から、『ありふれたグレイ』(2004年)を、聴いてみる。
季節の移り変わりの入り時の曖昧さに、似合うナンバー。