篠原美也子『名前の無い週末』(1995年)を、セルフカバーアルバム“SPIRAL”(2003年)より、聴いてみる。
一瞬の終わり時と始まり時の狭間に、名前はない。
篠原美也子“Everything”(1993年)を、セルフカバーアルバム“half moon”(2005年)より
聴いてみる。
こんな哀しくもその重さを軽くした1曲が部屋の宝箱の中にあったような感じである。
篠原美也子の1993年のアルバム『海になりたい青』より、“Passing”(1993年)を、聴いてみる。
いきなりのブライト化を受け入れた感じは、このナンバの雰囲気かも知れない。
篠原美也子の2011年のアルバム『花の名前』より、『エデン』(2011年)を聴いてみる。
Heavyな日常に思ったクリアでライトな日常は、エデンかも知れない。
篠原美也子の2008年のアルバム“your song”より、『空に散る』を聴いてみる。
夜に出て15年の歳月が経過した1曲。散りいったものは、確かに輝いて、今、ここにある。
1995年の篠原美也子のナンバー『名前の無い週末』を、1995年のアルバム『河よりも長くゆるやかに』から、聴いてみる。
週末の終末時、行くぜ、このナンバーである。シングル盤音源よりも、アルバム盤音源のが、やはり良い。
1994年の篠原美也子のナンバー『情熱』を、1994年のアルバム『いとおしいグレイ』より、聴いてみる。
軽快であっても、アーティスト哲学たっぷりな感じは、良いなと思う1曲。これは、これで、保存と言う事で。
2004年の篠原美也子のナンバー“Time will tell”を、2004年のアルバム『種と果実』から、聴いてみる。
因果応報の悪い今…な気がする。もっとも、この今は、必然、であるので、言うべき台詞がない。
篠原美也子の2005年のナンバー『白い月』を、セルフカバーアルバム『青をひとつ、胸に抱いて』(2013年)より、聴いてみる。
セルフカバーで、研かれたLOVEソングになったように、今ごろ思う。遠い月夜にあった感情に、恋する感じが良い。
2017年の篠原美也子のナンバー『カーラジオ』を、2017年のアルバム“Lighthouse Keeper”を、聴いてみる。
気分的に煮詰まった深夜の気分に、このナンバーはどのくらい響くだろうか?