2010年の篠原美也子のナンバー、“HELPLESS”を、2010年のアルバム『バード・アローン』から、聴いてみる。
見たくはない、聞きたくもない強制終了で喜ぶのは、いつでも、世間の一部であり、それを期待している。
篠原美也子アルバム『新しい羽根がついた日』(2001年)から、“water”(2001年)を、聴いてみる。
そう言えばあったっけ…とはまだ言える高みには、たどり着けていない。
篠原美也子“Boxer”(1998年)を、アルバム“magnolia”(1998年)より、聴いてみる。
負け戦をするヒーローになれないものは、まだ、息をしている。
篠原美也子の1993年のナンバー『愛してる』を、アルバム『海になりたい青』(1993年)から、聴いてみる。
愛するものの成熟が、重荷や深き傷にならない事を祈るばかり。
篠原美也子の2007年のナンバー“countless”を、アルバム『桜花繚乱』(2007年)より、聴いてみる。
今も変わらぬ、数えられない数えきれないのは、悲しみと哀しみと苦行。
篠原美也子の1997年のアルバム“Vivien”より、『前髪』(1996年)の“album version”を、聴いてみる。
歳月経過した時、思い出して表現されるのは、音源の中でのみである。
篠原美也子の“DOWN”(1995年)を、アルバム『河よりも長くゆるやかに』(1995年)より、聴いてみる。
込められたその思い、早く遠くへ、というものが形になると、こんな雰囲気になるのか?と今頃思う。
2006年の篠原美也子のアルバム『レイディアント』から、2006年のナンバー“another moon”を、聴いてみる。
同じでも全く異なるものの1つ……なんだろうあの月は。
篠原美也子のシングルナンバー『誰の様でもなく』(1993年)を聴いてみる。
その当時は、思えなかったものがあったからこその今がありそうな一曲。
篠原美也子のアルバム『いとおしいグレイ』(1994年)から、“Tokyo 22:00”(1994年)を
聴いてみる。
巧く変わり行く誰かの今日と明日を見る22時。