1995年の篠原美也子のナンバー、『名前の無い週末』を、2003年のセルフカバーアルバム“SPIRAL”より、聴いてみる。
時は重なってめぐって今、名前の無い週末の終末時をこのナンバーで締める。
篠原美也子のアルバム『レイディアント』(2006年)より、『彼女』(2006年)を、聴いてみる。
今日と明日を生きる…言いようもない感情を噛み締めて。それが、クールで理想な姿なのかも知れない。
2017年の篠原美也子のナンバー、『祭ばやしが聞こえる』を、2017年のアルバム“STAY FOOLISH”より、聴いてみる。
夏の祭り歌…でも、良いバラードであるので、春に聴いてみる。
篠原美也子のアルバム『桜花繚乱』(2007年)より、『永遠を見ていた』(2007年)を、聴いてみる。
永遠を観られた一瞬の時期さえない…と思えるのは、続くなと思っていたから。心のどこかで、無意識に…だろうか?
2002年の篠原美也子のアルバム“bird's-eye view”から、2002年のナンバー『街灯の月』を聴いてみる。
週末の終末に吸い込まれる夜、街灯だけは吸い込まれずにある。
篠原美也子『春の日』(1997年)を、アルバム“Vivien”(1997年)から、聴いてみる。
良い春の日がやって来ても、手放してしまうのは、何故なのでしょう?と以前も語ったようなままに、変わらぬ私が居る。
篠原美也子の1995年のアルバム『河よりも長くゆるやかに』より、『名前の無い週末』(1995年)を、聴いてみる。
週末の終末時、明日の足音だけがするものの…その先は、お察しを。
篠原美也子の『その時』(2005年)を、アルバム“us”(2005年)より、聴いてみる。
来ない、迎えられない、その時、に恋し続けて、どれからの歳月が過ぎただろうか?
1993年の篠原美也子のシングルナンバー『誰の様でもなく』を聴いてみる。
このシングルも世に出て、30年。きれのあるこの声と演奏は、音源CDでのみ今も変わらずである。この尖った感じのアーティスト魂もまた…。
1994年の篠原美也子のナンバー、『河を渡る背中』を、1994年のアルバム、『いとおしいグレイ』より聴いてみる。
越えて渡る季節が来たなあ、なんて思うが私は、変わらずにここにあり、河は渡れてはいない。