2006年の篠原美也子のアルバム『レイディアント』より、2006年のナンバー『願わくば』を聴いてみる。
それは、この今と次を進める為の原動力かも知れない。
1995年の篠原美也子のナンバー『あこがれ』を、1995年のアルバム『河よりも長くゆるやかに』より聴いてみる。
確実に進み行けるものへに憧れる事は出来ても、追い付けない上に、それに成り変われない。
篠原美也子の2005年のアルバム“us”から、『尽きせぬ思い』(2005年)を聴いてみる。
煩悩と言う2文字が、それを象徴する事もある。
篠原美也子の1998年のナンバー『あの角を曲がって』を、アルバム“magnolia”(1998年)より聴いてみる。
想い願い心から出逢いたいもの、あの角の向こうから来ます様に…
2002年の篠原美也子のナンバー“pain scale”を、2002年のアルバム“bird's-eye view”(2002年)から聴いてみる。
痛みは、幅だけでなく、深さも伴いそして、不必要なものも生む事もある。
篠原美也子の2007年のアルバム『桜花繚乱』より、『永遠を見ていた』(2007年)を聴いてみる。
過日日、そのままでありたい、そのままであって欲しい…と想った時分が欲しいなと想う。無論、成人前に。
1994年の篠原美也子のアルバム『いとおしいグレイ』より、1994年のナンバー『なつかしい写真』を聴いてみる。
閉じ込められた過日を生きた姿にある想いに、懐かしさはあるのだろうか?
1993年の篠原美也子のナンバー“Time is ripe”を、1993年のアルバム『海になりたい青』から聴いてみる。
想い願って始まるもの、始められるものが、今と言う時間だったら良いのに。
篠原美也子『今夜』(1993年)を、アルバム『満たされた月』(1993年)より聴いてみる。
始まりは、夜だった…で、明けぬ闇、終わらぬ暗が続いたまま、ただ、照らされるもの、瞬くものを見る。
篠原美也子のアルバム『いとおしいグレイ』(1994年)から、“Tokyo 22:00”(1994年)を聴いてみる。
深まる明日月曜日の平日の憂鬱。