私も妻もお気に入りの長谷川 潾二郎の猫の絵(のポスター)を買いました。
髭が片方しか無いことで有名な絵です。
私はこの絵は未完成なので片方の髭がないのだと思ってましたが、ちょっと違うようです。調べてみるとこんな文章が見つかりました。
---- ここから 引用
画の猫には髭が無かった。最初にそれに気付いたのは誰だったろう。髭のない猫はおかしいと家内が言う。確かに髭のない猫はいない。髭はあった方がいい。髭はあっても差し支えない。しかし私はどうして髭を描くのを忘れたのだろうか。タローを描いている時、私は改めてその毛並みの美しさに感心した。生きている毛皮。それは他の物にない、代用品のない美しさだった。これに比較すると、天鵞絨も絹も他のどんな織物も精彩のない死物に見えるのだった。生命に充ち溢れた深い輝き、それが猫である。猫を飼っている凡ての人はその事を知っている。知らなくても知っている。本当に知っていることは、知らないように見えるのだろうか。・・・私は猫の生きている毛並みの美しさを現すことに熱中した。その為め髭を忘れたのだ。
『長谷川潾二郎画文集』p.160
---- ここまで
麦もこんな顔で寝ていることがあります。
髭が片方しか無いことで有名な絵です。
私はこの絵は未完成なので片方の髭がないのだと思ってましたが、ちょっと違うようです。調べてみるとこんな文章が見つかりました。
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画の猫には髭が無かった。最初にそれに気付いたのは誰だったろう。髭のない猫はおかしいと家内が言う。確かに髭のない猫はいない。髭はあった方がいい。髭はあっても差し支えない。しかし私はどうして髭を描くのを忘れたのだろうか。タローを描いている時、私は改めてその毛並みの美しさに感心した。生きている毛皮。それは他の物にない、代用品のない美しさだった。これに比較すると、天鵞絨も絹も他のどんな織物も精彩のない死物に見えるのだった。生命に充ち溢れた深い輝き、それが猫である。猫を飼っている凡ての人はその事を知っている。知らなくても知っている。本当に知っていることは、知らないように見えるのだろうか。・・・私は猫の生きている毛並みの美しさを現すことに熱中した。その為め髭を忘れたのだ。
『長谷川潾二郎画文集』p.160
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麦もこんな顔で寝ていることがあります。
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