ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

お茶 レーサー

2023年04月02日 | 日記

 初春の穏やかな午後、一台のオートバイが僕の目の前を流してゆく。スピードがゆっくりで、トコトコと走っているのでスーパーカブかな?と最初は思った。しかし、下部の左右のエンジンの突き出しは疑う余地のないBMWのボクサーエンジン. フラットツインである。おそらく1950年代のRシリーズではなかろうか? 後を追いかけて走っているとライダーの気持ちよさそうなフィーリングが伝わってくる。車間距離を保って僕もビンテージBMWの走りの後姿を愉しんだ。5分位走っているとライダーは遅いスピードを更に落とし左手を横に突き出して、左に曲がります、の手信号。BMWはローカルな小道に吸い込まれて行った。ウィンカーも付いていないとは渋い!春の穏やかな景色と空気にはちょうどいいオブジェクトであった。カフェレーサーというと速く走るイメージと重なるので、トコトコとゆっくりと走る形容はカフェではなくオチャ(お茶)レーサーと呼ぼう。慌しい毎日の活動の中で、ボチボチ行きましょう、まあ、一杯のお茶をどうぞ!とする、春の計らいであったのだ。

 

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4ランナーオーナーの冬が終わる

2023年03月28日 | 4RUNNER

 冬が終わってしもうた!

 昨年の暮れから今年の三月にかけての冬季の期間、道路を覆う程の積雪がなかった故に4ランナーの持ち得ている4WD機能を雪道で試す機会がなかった。凍て付く路上ではFRの4ランナーは文句なく滑る。滑る事が分っているが故に凍て付く路上ではスピードを落としてゆっくりと走る事を心がけた。それでも数回カウンターを切ってスピンを回避した事があった。古い車だから滑りやすいのか、タイヤの食いつきが足らないのか、車体のバランスなのか?その辺の詳細は分らない。が、凍て付いた道は滑りやすいという恐怖感が先立ち、それが安全運転に誘導する車の持つ車質なのだろうと捉えている。しかし、4ランナーは冬季の山谷のスキー場に乗りつける様な使い方をするというイメージがあるので、雪道を走らなければ損!みたいな思考が湧くのは4ランナーオーナーの性なのであろう。冬が終わり春になり気温が暖かくなると、4ランナーのリヤウインドウを全開して風を流して走るという4ランナーならではの走りを楽しめる。既にその季節がやって来ているようだ。

 

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春はあけぼのドライビングエクスペェリアンス

2023年03月07日 | ロクマル日記

 来週からサマータイムが始まり時計の針が一時間進む事になる。このサマータイムの始まりという区切りが、冬の終わりを意識させ様々な活動のスイッチをいれるのである。最後の冬時間の休日の早朝、辺りが明るくなり始めたと同時に2Fエンジンを温めた。維持の為の週末のドライビングであるが、ついつい調子に乗ってニューヨークの摩天楼が眼中に広がるホーボーケンの高台まで足を伸ばした。ロクマルを降りて高台に立つと周りには誰一人おらず、冬の名残を感じる冷たい風が頬に当たる。ポケットに手を突っ込んだまま無心で暫く広大な光景を前に立って酔っていると、目の前の高層ビルの隙間が赤くなりあれよあれよと太陽が昇ってきた。先程まで静かであった光景が急に賑やかになった。沈黙は破られ陰の情景が陽へと変わり陽気によって欠けた心の隙間が満たされるようでもあった。

 

春はあけぼの、マンハッタンミッドタウン

 

春の曙、マンハッタンダウンタウン

 

 マンハッタンを背景に昇る朝日に活力をもらってきた感。自宅に戻ると辺りはすっかりと明るい爽やかな朝となっていた。ロクマルを降りて今朝のエクスピュリアンスのアーカイブを整理してみると、景色が最高だった <  ロクマルの運転楽しかった。である。素晴らしい景色を楽しめたのはロクマルの調子を維持する為に、人の移動の少ない休日の朝にロクマルを駆ったからである。つまり、このロクマルが無ければ今朝の景色も目にする事はなかったという事になる。ロクマルの維持とは時には、なかなかいい経験をさせてもらえるのだ。

 

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ボンネットの隅は御立ち台

2023年02月12日 | ロクマル日記

 

 春が来ると愛車のランドクルーザー60を所有してから17年目の歳月を迎える。実はこのランクル、自慢ではないが本日まで一度も洗車をした事がない、記憶がない。雑巾で拭いて一部の掃除を行った事はある。特に手の届かない屋根の上などは未触地帯である。しかも、正確には覚えていないがもう何年も路上駐車である。要するにほったらかしという事だが、車体には愛情を持って接している。そういうラフな取り扱いをしているにもかかわらずランクル60は乗って楽しく観て癒される存在である。ほったらかしの維持であるのだが、エンジンを回して始動する前には薄いアルコールを使って各窓をハンドペーパーを使って汚れを拭き取り綺麗にする。視界がよくなると気持ちがよいからである。横と後の窓は容易に拭き取る事が出来るが、フロントウインドゥの中央辺りは手が届かない。そこでフロントタイヤに足を乗せて、せーの!でボンネットのサイド、フロントウインドウの横の鉄板の隙間がTの字になる辺りに膝をついてから手を伸ばすとフロントウインドウの中央に手が届く。更に安定を得るためにそこに足を置いて立ち上がる。通りかかった車がププッ!とクラクションを鳴らして通り過ぎて行った。車のボンネットの上に人が立っているというのは異様な光景に見えるに違いないが、ランドクルーザーならば許される。また、何年も洗っていないランクル60ならばそれは様になるのである。

 

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日常に流されそうになったらチョークを引く

2023年02月01日 | ロクマル日記

 日々の忙しさに流されてしまう毎日、週末には時間をつくってチョークを引く。気温が低い冬季の朝に2Fエンジン始動のためにチョークを引いてイグニッションを回す。アクセルペダルでピストンに送るガソリンの具合を感覚で調節する。エンジンが吹き上がると最高に引いたチョークを半チョークにして暖気を継続する。マフラーから吐き出される白煙を気にしながらラジオのボリュームを調節する。チョークを戻して数回エンジンを噴かしてタコメーターを見ながら音を確かめる。電圧系を確認しハンドブレーキを戻す。ギアをローに入れてクラッチとアクセルの繋ぎを意識しガソリンの匂いを残してランクルは始動する。

 

 週末の朝は交通量も少なく動き出して直ぐにトップギアに入れる。周りのクルマを見ながら明らかにこのランドクルーザーFJ60が別次元の乗り物である事を自覚する。一時停止で止まっていた街のポリスカーのポリスが手を挙げて挨拶してくれる。いつもパトロールで廻っているので路肩に停まっているロクマルは街では周知の存在だと思われる。今朝は車両維持の為の気分転換の為のドライブであった。生活の為に毎日乗っていたロクマル生活から気分転換の為に休日に駆るドライビングカーとなったロクマルライフであるがドライビング感覚は常に非日常である。以前は非日常が毎日続き、今の非日常は休日の朝の愉しみとなっている。結果的にロクマルを駆る日数が減った事はそれだけ愉しみが減ったのである。人間は一度知った愉しみは忘れない、それどころか更にそれを求め、それ以上を求める欲の枯れない存在なのだ。少なくとも僕はその部類に属す性質である。それにしても僕は幸せな男だ、なぜならば、日常生活に流されそうになったらチョークを引くという選択をまだ持っているからである。

 

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使えば使うほど増えていくという不思議な道具

2023年01月05日 | 日記

 

 アメリカの多くの州ではスタンドでのセルフサービスを実施しているが、東部のニュージャジー州では有人給油となっている。この国では州を跨げば税金もサービスも異なるのでガソリンの値段も異なっている。アメリカでは、と一括りに出来ないのがアメリカなのである。

 ロクマルの給油口には鍵が掛かっておりエンジンを止めてクルマを廻って給油口に鍵を入れて自分で鍵を開けなければ給油が始まらない。このプロセスが癖になってしまい4RUNNER で乗り付けても反射的に車から降りてしまう。座席に座ったまま窓を開けて、レギュラー満タンプリーズ!と言ってカードを差し出せば全てまかせられて済んでしまう事なのである。給油口の前で担当者がやって来るとカードを差し出して、ごきげんいかが? 今日はくそ寒いなあ、とか何か一言簡単な声を積極的にかける。スタンドはサービス業なので大方いい返事をしてくれる。そして、その時に帰ってくる返事とその後のたわいのないやり取りを楽しむ。暇な奴がいる、また時々寂しい奴もいる。あるいはやたら話したがる奴もいる。昨夜はそんな奴に捕まってしまい90歳を超えた自慢のおばあちゃんの話をしっかりと聞いてあげた。

 こうしてつくづくと思うのは言葉って大事だという事だ。これは英語での表現が大事だという技術的な事ではないので誤解しないでほしい。そして、言葉を使うという行為が更に大切な事だという事。言葉は道具(コミニケーションツール)であるが目に見えるものでは無い。気持ちや意思を伝えるツールである。いい道具を持って大事に保管していてもしょうがない、いい道具とは使い込む使命を持っている。使い込んで消耗していく物質ではなく、むしろその逆で蓄積を感じる。いい感情をもって使う言葉というツールは使えば使うほど何故か増えてゆく(気持ちが豊かになる)という不思議な道具である。

 

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冬至明けの一本

2022年12月25日 | 日記

 

 冬至明けのクリスマスの凍て付いた朝、澄み切った冷たく痛い空気の中で東の正面に真っ赤な太陽が顔を出す。地平線に顔を出した陽を凝視すると鼓動を打つ心臓の様な茜色の強い生命力を内部に観る。地球という星が宇宙の中で生きている強大な生命体であるという事を太陽の活力を目にして知る。今日、我々が生きて生を営んでいる全てのエネルギーの源がこれである。太陽はあれよあれよという間に地平線を離れ独立した存在となり辺りを赤く照らしてゆく。

 今朝ここパリセーズの森の大地に一本の酒を持参した。別に特別な事ではなく日本の正月祝いのアメリカンバージョンである。早朝の麗しい酒の香りで大地に潜む精霊を呼び集め今年の感謝を捧げた。誰でも大切な道具は大切に扱うし、愛車はメインテナンスを必要とする。その日常の道具という範囲が大地や山、河の水や大空といった掴みがたい対象となるわけである。当然、この掴みがたい人智を超えた対象物にもメインテナンスが必要である。古代日本人はその事をよく理解していたように思う。クリスマス(冬至)が終わりもう直ぐ御正月を迎えるこの時節、愛車ランドクルーザーで走れる大地の存在にまず感謝を捧げる。大地へのメインテナンスとは感謝の気持ちを送る行為である。貰って嬉しいよりも捧げて嬉しいと感じるのは、きっと捧げた気持ちが届いたのだと信じている。

 

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911 Porsche

2022年12月18日 | VINTAGE CARS

 スティーブマックイーンが映画ル.マンの初頭で駆っていたようなポルシェ911に遭遇した、ナローと呼ばれる911である。丁度この日の午後にニューヨーク近代美術館 MoMA に足を運び芸術品鑑賞を行った事で、芸術アートとは何?という課題に直面したこともあり、その思考の真ん中に911が君臨した。芸術品とは自分の心が感銘を受ける対象物だと僕は思う。また、作者と鑑賞者は立ち位置が異なり、作者は自分の中に存在する形の無い思念を形や色で実体として表現するのに対して、鑑賞者はその作品の存在から共感によって感銘を受ける。その対象作品は見る人によって皆異なるのである。 

 街の郊外でみかける911は生きたアートと言っても過言ではない。美しいハドソン川のほとりに冬の澄み切った空気と明るい太陽の光と空は申し訳の無い演出となっている。ランドクルーザーで自然の中をドライブしたり、森の中でコーヒーを入れて休憩を楽しんだりする事を芸術鑑賞と呼ぶ事に対して違和感は無い。むしろそう呼ばない事に違和感があるのだ。僕は自転車を降りて縁石に腰掛け暫くこの光景を楽しんだ。

 

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ランドローバーに割り込まれる

2022年12月06日 | VINTAGE CARS

 今朝は嬉しい事に、フリーウェイのファーストレーンを飛ばして仕事先へと向かう自分の車の前にクラッシックレンジローバーが割り込んで来た。釣竿に獲物が掛かった様な感触である。車体は綺麗でしっかりと整備されているように見えた、良いコンディションでなければフリーウェイのファーストレーンを走ろうとは思わないであろう。

 ニューヨーク郊外のハドソン河に沿った静かな昔ながらのある集落(ビレッジ)がある。その辺りは自然に恵まれ坂道も多い。住宅は古くアメリカの家にしては小さい。ヨットハーバーが隣接しカヤックが盛んである。ファーストフード等はないが、おしゃれなお店やカフェが点在している。そこには狭い道がビレッジを繋いでいる。その道を走ってみると、驚く事にランドローバーが敷地内のドライブウェイに駐車されているのをあちこちに見かける。近年の快適なレンジローバーではなくて、右ハンドルのシリーズであったりディフェンダー、或いはクラッシックレンジである。多くは屋外駐車で実用で使用されている。点在するランドローバーのせいで豊かな雰囲気を感じる地域である。

 おそらくこのレンジローバーはその地域からフリーウェイに流れ込んだに違いない、そう思った。なぜならば、その地域に隣接する場所であったからだ。僕は一度目にしたオールド四駆は記憶の片隅に必ず残す。そして再びそれを目にした時に記憶を掘り出して検証する、これ楽しみの極み。古い四駆を観るとワクワクする、これはもうどうしようもない性なのである。

 

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感謝祭の休日が終わる

2022年11月27日 | 日記

 今年も感謝祭が終わり、冬至まで一月を切った。今年の感謝祭は4日間連休で、自転車トレーニング以外は何処にも出かけず、自宅にてゆっくりとした(ゴロゴロ)時間を過ごした。毎年、感謝祭の七面鳥料理には腕を振るって労力を使うが、今年は近所のアメリカ人の家庭から感謝祭の夕食の招待を受け、好意に甘えて家族で手厚いもてなしを受けた。この機会は楽しく学び得る機会となり、今後、自身の生活姿勢への一発パンチとなった。作家の開高健が、心に通じる道は胃を通る。と語っていたがそれは事実である。また、誰かが言っていたのは、ご馳走とは高価な食べ物の事ではなく、その時食べたいものを、食べたい人と食べる時間の事だと。アメリカの感謝祭の伝統料理はミリオネアーも庶民も、ほぼ同じ物を食べている。今年の感謝祭の休日の期間はゴロゴロすると腹を決めたおかげで充実しました。時には視点を変えてみる事もいい事だと実感した期間でした。

 ニューヨークでは日々寒さが増してゆきます。写真は路上で冬至が過ぎるのをじっと待つ、我が愛車ランクル80。

 

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