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コロラド州といえば緑豊かなロッキー山脈を頭に思い浮かべる事だろう。しかしここコロラド州の南西は緑のない美しい自然が残っている。美しい景色というのはいつも山紫水明ではない。この地球の上にはこうやって人間の住みにくい砂漠や荒野が点在しているが、そこにはそれを意図的に地上に残している地球の守護神の意思があるように感じる。
なぜかって?
それはそれらが人間にとって必要なもの(場所)だからだと思っている。
神はそれらの大地に道を巡らす事は許されたようだ、
何時間も風きり音を聞きながら一人で走る荒野の旅は孤独だと感じるかも知れないが、
実は、全然愉しい、
そりゃー、大好きなランクルで思いっきり走れば...そうだろう。
もちろん、それはある、否定できない。(笑)
が、
同時に大地より母性的な愛情を感じるのだ。
皆が皆そうだとは思わないけど...
人工的に削られた岩肌、
これはこれで美しい、
自然に刻まれた人間の爪後か!
人と話をするのは飯を買うときだけ、
大地との会話の合間に...。
ニューヨークの大都市の路上では孤独を感じる自分も、
辺りに誰もいないこんな場所では孤独を感じないのはなぜ?
実に不思議な感覚、
おそらく人間は各自それぞれに魂の故郷なるものがあるのではないか?
...と、思った。
しかし、そんな僕にこんな経験をプレゼントしてくれたのはロクマルランドクルーザーである。
つまりロクマルは神の使いか?
祭る事はしない、むしろほったらかしですが...(汗)
ただ、いつも感謝しているよ、ロクマル君!
たしかに、人が居る場所のほうが淋しい。
人が居ない場所に身を置くと淋しさよりも不思議な高揚感が勝るような気がします。
そして相棒のランクルが心強いです。
昔は街に住んでいて人の住まない場所に行くと一息つく、って感覚で都会と田舎を行き来していました。最近は都会で生活の糧を得て生活しながらも街での生活は『臨時的に出張中』だと勝手に一人で思っています。勝手に自分でふるさとを決めちゃっている - そうとも言う。