江戸時代の従業員との関係-色川三中「家事志」より
(はじめに)
土浦の薬種商色川三中の日記「家事志」には様々な出来事が雑然と記されています。日記の常として断片的ですが、それを繋ぎ合わせていくと、江戸時代の人と人との関係性が見えてきます。
今回は、文政10年〜11年(1827年〜1828年)ころの従業員与兵衛との関係を見ていきます。
(従業員与兵衛の親の死去)
文政10年9月6日
「朝五つ過ぎに、谷田部から二人の者が来て、店の従業員与兵衛の親(谷田部に居住)が亡くなったと知らせてきた。与兵衛にはすぐに谷田部に行かせた。」
色川三中は土浦(現土浦市街)で薬種商として店を出しておりますが、与兵衛はもともとは谷田部(現つくば市谷田部)の人間で、親は谷田部に居住していました。谷田部・土浦間は約20キロありますから、与兵衛は土浦に出て働いているのでしょう。
この記事からは、身内が亡くなったときの知らせ方が分かります。地元からは二人の者を行かせることにしていたようです。これは、一人だと話しだけでどうとでもできてしまうからでしょう。わざわざ二人がその用の為に知らせに来たということがポイントのようです。
親の死去というのは重要なことなので、三中は知らせを聞いて、すぐに与兵衛を地元に戻しています。
(与兵衛に営業をさせる)
文政10年7月23日
「(行商中)共に行商に来た与兵衛を木滝、波崎(神栖市)に遣わす。」
文政10年8月11日 雨
「仕事で与兵衛を江戸に遣わす。」
三中は土浦に店を構えており、あまり土浦からは動かないのですが、年に2回は周辺に行商に行きます。周辺地域の医師への営業活動です。与兵衛は三中の行商のお供をしており、三中から目をかけられていました。その後、三中は与兵衛の能力以上に期待をかけていたようで、あちこちに与兵衛だけを派遣したのです。
与兵衛からすると結構きつかったろうと思われます。三中の行商にも同行、行商の途中で一人で別のところに営業に行かされ、それが終わると一人で水戸に出張に行かされ、さらに、中二日で雨の中を江戸へ出張させられていますから。かなり厳しい働かせ方です。三中からすると、「お前に期待している」ということなのでしょうが、与兵衛にはかなりの負荷でした。
(退職の申し出)
文政10年12月23日
「与兵衛が当年限りで暇をもらいたいとのこと。勝右衛門を通してそのように言ってきた。」
与兵衛への負荷は、退職の申し出となりました。直接三中に話すのは怖かったのか、勝右衛門という古参の従業員を通じて話しをしています。
(与兵衛、三中のもとで働き続ける)
文政11年1月5日
「行商に出発。同行者は与兵衛。先月店を辞めるといっていたが、思いとどまってくれた。」
文政11年3月24日
「新しく店を中城に出し、従業員の与兵衛に任せることとした。守るべき心得を書面にし、与兵衛から提出してもらった。」
与兵衛は昨年末に店を辞めるといっていましたが、年が改まってからの三中のトップセールス活動(行商)には同行しており、仕事を続けています。、3月の記事では、中城(現土浦市中央)に支店を出し、与兵衛に任せておりますので、与兵衛の昇格ということで、話しがついたようです。
記事にはありませんが、与兵衛には妻子がおり、支店長昇格を機に土浦に呼びよせています。与兵衛は谷田部から単身赴任で土浦に働きにきていたのです。
(与兵衛の子の死亡、新たな生命の誕生)
文政11年4月11日
「与兵衛の子(7歳)が突然高熱を発し、気絶。そのまま息絶えてしまった。与兵衛の実家(谷田部)に連絡のため、従業員の利助を遣わした。」
文政11年4月12日
夜八つ(午前2時)、谷田部から与兵衛の親類、組合計6名が加籠で来る。夜明けまで協議し、葬式は谷田部で行うと決まったとのこと。与兵衛らが谷田部へ行こうとしたら、与兵衛の女房が産気づいてしまった。朝五つ(午前8時)、女子を出産。」
支店を任され、妻子とも同居でき、順風満帆に思われた与兵衛の家を悲劇が襲います。7歳の子が突然死。原因も分からず、嘆くほかはなかったでしょう。
亡くなった我が子の葬儀をどこでするのかが問題となったようです。現在の居住地である土浦でするのか、実家のある谷田部でするのか。夜中の協議で谷田部で行うこととなったものの、与兵衛の妻が産気づいてしい、死ぬる命もあれば、生きる命もあり、悲喜こもごもです。
(与兵衛の妻、体調を崩す)
文政11年4月15日
「昨夕から与兵衛の女房が発熱、咳もひどく、寒熱往来。本日夕方見舞いに行くが、咳、上衝発熱、脈浮大。産後の脈にして悪症。医者の処方では効果なく、持参したサフランを飲ませる。与市が昼夜看病している。」
与兵衛の妻は出産した後、体調を崩し、発熱。医師に診てもらったようですが、処方された薬は効果が見られません。薬種商の三中としては、そんな医師の処方に我慢がならなかったようで、自分の見立てで持参のサフランを飲ませています。「与市が昼夜看病している」とありますが、与市は三中の従業員。おそらく義務感からではなく、自主的に看病しているのでしょう。与市は下総のある村で名主まで務めた人物で、今は三中のもとで働き、難しい交渉事などに携わっています。仕事だけでなく、人助けもできる人物です。