南斗屋のブログ

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調停役をする名主-色川三中「家事志」より

2023年05月29日 | 色川三中
色川三中の日記にみる名主の役割

(色川三中の日記の債務支払い交渉)
色川三中は父親の死去により、薬種商の経営を20代で継がざるをえず、父親が残した多額の債務の支払い交渉をしなければなりませんでした。交渉の様子は日記(家事志)に頻繁に記載されています。
文政10年6月7日(1827年)
「四つ前、入江(名主)のところへ行く。西門の松屋との債務整理の件で入江から話しがあった。相手は利足1両2分はまけてくれるとのこと。当方からは、残り12両のうち当初2両支払い、来年3月までに月賦で完済するという提案をした。」
(色川三中『家事志』)

(支払い額について)
色川家は「西門の松屋」から借金をしています。色川家からの支払いは滞っており、どのように返済するかが問題になっています。
この債務は三中自身のものではなく、三中の父親のものです。色川家が多額の債務を負った理由については、過去記事をご参照下さい。
三中の狙いは、利息はカットしてもらい、残金をできるだけ無理なく支払うことにあります。西門の松屋との交渉では、毎月払いで来年には完済という提案をしています。支払い期間は債務額によってのようで、債務額が多額の場合は、十年払いになるものもあります。

(名主の役割)
記事には、「入江(名主)のところへ行く」とあり、名主の入江が債権者と債務者の間に入っていることが分かります。
なぜ名主が交渉しているのでしょうか。
交渉は当事者間のものですから、どこでどのように交渉しても良いことは、現代も江戸時代も変わりません。
当事者間で交渉してもうまく行かないときは、現代であれば裁判所に訴える(訴訟)ことができます。
江戸時代でも訴訟を行うことはできますが、今とは仕組みが違います。三中は土浦に住んでおり、債権者の西門も土浦近辺のようですので、このような場合は、土浦藩の役人が裁判をすることになります。しかし、今の裁判所のようなスタッフを多数抱えているわけではないので、土浦藩としてはできるだけ裁判にしてほしくないのです。そこで、「できるだけ内済(示談)で収めてほしい」というのが、江戸時代の藩の方針となっていました。
内済をするように持っていくのが、名主の役目です。名主の役割を書いたものとして、『庄屋往来』という名主のテキストがあり、そこには村人口の把握などのほかに、「公事訴訟は双方和談の上、内済にし、それが叶わない場合は裁判を受けさせる」とあります(山崎善弘『村役人のお仕事』)。
 名主の入江氏の役目は、債権者(西門)と債務者(色川三中)双方の言い分をきき、できるだけ合意に達するようにするというものです。村役人といっても、別に村役場のような施設がなかったので、自宅に三中を呼んで話し合いをしています。債権者と債務者を交互に呼んで妥協点を見つけようとしています。

なお、この交渉は次のようにまとまり、無事内済となっています。
文政10年6月23日(1827年)
「八つ時、熊野屋と田中清吉同道で入江(名主)の家に行く。松喜(債権者)と交渉し、次のとおり決まる。
借用金の利息を一部まけてもらい、計12両とする。今月2両。来月より来春3月にかけて毎月1両の月賦。完済までは田地を質とし、質地証文は完済時に返却する。」





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