南斗屋のブログ

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物価上昇で何もいえねぇ〈言語に尽くし難し )〉文政11年11月上旬・色川三中「家事志」

2023年11月13日 | 色川三中
文政11年11月上旬・色川三中「家事志」

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第三巻をもとに、気になった一部の大意を現代語にしたものです。

文政11年11月1日(朔)(1828年)晴
土浦藩の殿様が本日付けで寺社奉行に任命された。
#色川三中 #家事志
(コメント)
土浦藩主土屋 彦直(よしなお)が寺社奉行に任命さる(本日付)。土浦藩主は江戸にいるため、三中にはあまり感慨はないようです。感想めいたことは書かれておらず。藩士とは付き合いがあるので、そのための備忘として記載したものかも。
寺社奉行は大名が就任する役職。町奉行、 勘定奉行とともに 三奉行と称され、 老中から重要な政治案件について諮問を受けて 答申し 、さらに評定所(幕府の最高裁判所)のメンバーとして重要裁判を担当します。

文政11年11月2日(1828年)晴
ひものやの件で関係者一同集まり、話合いをする。ひものやが相変わらずの自説を主張し、話合いにならず。
#色川三中 #家事志
(コメント)
ひものやからは書付を取って合意し、トラブルは解決したはずですが、ひものやがワケのわからぬことを言い出し、トラブルが再燃。ひものやの組合(五人組)も集まって話合いをしましたが、そこでもひものやは自説を曲げず。トラブルは収まりません。

文政11年11月3日(1828年)
今年の各地の作物は不作のため高値。原料高騰のため、醤油を作っても赤字になり、銚子・野田辺りは江戸に出荷するのを止めたとか。この価格高騰は言語に尽くし難し。
#色川三中 #家事志
(コメント)
現代日本でも諸物価高騰ですが、文政11年も同様。三中先生曰く「言語に尽くし難し」。原因は天候不順による不作です。三中の祖父は醤油を作っているため、三中の関心は醤油業の動向に向いています。

文政11年11月4日(1828年)晴
大霜降る。昼過ぎより夕方まで曇り、その後雷鳴あり。
#色川三中 #家事志
(コメント)
冬(旧暦11月上旬なので太陽暦12月下旬ころでしょうか)だというのに、夜に雷鳴。天候不順ゆえでしょう。昨日の日記に天候不順による諸物価高騰を記したので、天候が気になる三中でした。
文政11年11月5日(1828年)快晴
昼前に久保倉太夫、御祓いのために来られる。
#色川三中 #家事志
(コメント)
久保倉太夫は伊勢神宮の御師。下記ブログによると、安永六年(1777年)には久保倉大夫こと久保倉弾正は常陸国、下野国、伊予国を中心に25万9千余りのお札(大麻)を配布というので、土浦辺りも営業エリアだったのでしょう。
2024/01/20 御師につき追記
神崎宣武『江戸の旅文化』には御師の神札配布について以下のように説かれています。
"御師の第一の商業活動は、毎年一度、檀家に「大神宮」と銘された神札(大麻ともいう)を 配布することであった。大麻は、檀家が伊勢に参って天下泰平、五穀豊穣を祈願すべきとこ ろを、御師がすでに代行して祈願したものとする証印である。伊勢神宮と民衆社会を結ぶ巧 妙な証印であった。"

文政11年11月6日(1828年)晴
与市が久しぶりに土浦に来る。水戸に行く途中土浦に立ち寄る。我が家に泊め、夜中まで話す。
#色川三中 #家事志
(コメント)
与市と久しぶりの対面です。与市は下総(現千葉県)の名主まで務めた人物ですが、なぜか色川家でも働いている人物。7月に地元下総に帰っており、約4ヶ月ぶりに土浦に顔を出しました。三中は話したいことが山ほどあったのでしょう、夜中まで話しています。


文政11年11月7日(1828年)曇
大宝八幡宮餅上げ。佐助と利兵衛殿な大宝八幡宮にお参りに行くというので、千勝様と大宝の私の分のお賽銭として各12銅を佐助に渡した。
#色川三中 #家事志
(コメント)
餅上げというと、京都醍醐寺の春の餅上げ奉納が有名ですが、大宝八幡宮では11月に行なわれていたようです。大宝さんは、千勝神社と共に三中お気に入りの神社。茨城県下妻市にあり、片道30キロあるので、泊りがけでないといけない距離。

力自慢、巨大鏡餅持ち上げ「世界平和を」 京都・醍醐寺で「五大力さん」|社会|地域のニュース|京都新聞

京都市伏見区の醍醐寺で23日、巨大な紅白の鏡餅を持ち上げる「餅上げ力奉納」が行われた。新型コロナウイルスの感染防止のため、3年連続で持ち上…

京都新聞



文政11年11月8日(1828年)晴
昨夜、川口(現土浦市川口)の醤油倉にいる隠居(祖父)が事業資金として300両を知人から借りたいといってきた。与市と夜に協議。今朝、与市は水戸に行く為に出立。
#色川三中 #家事志
(コメント)
三中の父親は亡くなっていますが、祖父は健在。「隠居」と呼ばれていますが、醤油業をやっているようです。三中の薬種業が色川家のメインで醤油はサブなのでしょう。諸物価高騰の煽りを受けてか300両の借入れを要望する祖父。返す責任は三中が負うので、与市と協議しています。


文政11年11月9日(1828年)晴
当年は雨多し。長崎でも台風のため大津波があり、外国船二艘が山へ吹き上げられたと。この船には日本地図や各地の城の様子の書付が発見されたとのこと(八月八日のこととか)。かような物が異国に渡るのを阻止されたのは、神風が吹いたおかげであると皆噂している。
#色川三中 #家事志
(コメント)
なんとこれシーボルト事件の発覚の記事です。ニュースソースが書いてありませんが、「皆噂している」とあるので、噂話しとして広まっていたようです。うわさ話しであり、虚実はないまぜ。蘭船積み荷発覚説が噂話しとして土浦にまで広まっていたのは興味深い。
蘭船積み荷発覚説
旧来の説では禁制品を積んだ船が暴風雨(いわゆるシーボルト台風)に見舞われて座礁し、積み荷から地図などが発見されたという蘭船積み荷発覚説が知られていた。

文政11年11月10日(1828年)雨
利八の娘が今年は帯解き。祝いに黒鯛一枚(250文)を贈る。
#色川三中 #家事志
(コメント)
七歳女子の帯解きのお祝い。七五三の由来になったお祝いの一つ。昨年は伊勢屋の長太郎が髪置きで150文の雪駄を贈っています。今回の祝いには黒鯛一枚(250文)。これは利八さんとの付き合いが深いからでしょうか。
利八は店の従業員で、昨年(文政10年)6月には無断欠勤したため、三中が激怒したことがありましたが、今の労使関係は悪くないようです。






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