南斗屋のブログ

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両親殺しには「破格の極刑」 仮刑律的例 16 磔刑

2023年11月09日 | 仮刑律的例
両親殺しには「破格の極刑」 #仮刑律的例 #16 磔刑

(超訳)
【大津県からの伺い】明治元年十月朔日
両親(養父母)を殺害して、その家にあった金銭を盗んで逃亡した無宿人について、どのような刑に処すべきか教えて下さい。
【返答】
そのような不届き至極の大逆罪を犯した者は、村辺りを引き回しの上で磔。磔刑廃止したが、このような逆罪は破格の極刑でよい。

(詳しい訳)
【大津県からの伺い】明治元年(辰年)十月朔日
新助(無宿者)は、幼年から浅右衛門方(勢州三平郡浜一色村)に養子に出されておりました。しかし、身持ちがよろしくなく、親の意向も無視して伊勢参りをしたため、離縁となりました。
新助は江戸に出て、他家の養子となったのですが、ここもすぐに離縁し、故郷の浜一色村に戻ってきました。
新助は、浅右衛門夫婦が自分を離縁したことを遺恨に思っており、夜中に夫婦両人を殺害。同家にあった金銭を盗んで逃亡しました。
新助は、昨年11月、勢州庄野宿(多羅尾織之助支配所)で召し捕られ、入牢となりました。本年7月23日に当県(大津県)に引渡しとなり、取調べましたところ、上記の事実に相違ないとの申立てを致しました。
本件につきどのような刑に処すべきでしょうか。口書を添えて、お問合せ致します。
【返答】
この者、非常の怨みをもって、養父母を斬害し、その上金子も盗取した。不届き至極の大逆罪であり、居村辺りを引き回しの上で磔とすべきである。磔刑は廃止したが、このような逆罪は非常のことであり、破格の極刑に処せられるべきである。

【コメント】
・大津県からの伺いです。大津は現在の滋賀県ですが、この伺いのあった明治元年には勢州=伊勢国(現三重県)も管轄していました。なお、明治2年9月には、勢州の管轄は度会県に移っています。
・本件犯行現場は、勢州三平郡浜一色村です。現在の三重県四日市市浜一色町。ここに
浅右衛門夫婦が住んでおり、新助を養子にとりました。しかし、新助は養親のいうことを聞かず、お伊勢参りに。

浜一色町 · 〒510-0031 三重県四日市市

〒510-0031 三重県四日市市

浜一色町 · 〒510-0031 三重県四日市市


・浅右衛門夫婦はいうことを聞かなかった新助を離縁。「身持ちがよろしくなく」とありますから、お伊勢参りの一件だけでなく、様々なことがあったと思われます。
・新助は無宿人となって、江戸に出ます。ここでも養子になったのですが、行状はあらたまらなかったようで、ここでも離縁。故郷の浜一色村に舞い戻りますが、そのときに本件犯行を犯してしまいます。
・新助は、夜中に浅右衛門夫婦を殺害。同家にあった金銭を盗んで逃亡しました。殺害の動機は、「浅右衛門夫婦が自分を離縁したことを遺恨に思っていた」となっていますが、夜中であることから、金が目当てであつたと可能性もあります。
・いずれにせよ、本件は今であれば強盗殺人罪に該当し、二人殺していますから、現代でも死刑となってもおかしくない事件。しかも、当時は尊属を殺害するのは、「大逆」であり、この点を明治政府の担当は刑を決める上で重要視しています。
・明治政府の判断は、新助は引き回しの上で磔にせよというもの。磔は極刑です(死刑と極刑は別概念・過去記事参照)。
・明治政府はこの時期焚刑は廃止しておりましたが(過去記事参照)、磔刑は君父を殺した大逆に限定して用いていました。本件の回答でそのことが明らかにされています。
・磔刑が廃止されたのは、 新律綱領(明治3年12月20日)の制定によります。新律綱領により、死罪は「絞」と「斬」のみとなりました。
・新助は、慶応3年11月に庄野宿で召し捕られ(逮捕)、入牢(勾留)となりました。庄野宿は東海道五十三次の45番目の宿場です(現三重県鈴鹿市)。入牢してから大津県に引渡しとなるまで、8ヶ月以上かかっています。



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