南斗屋のブログ

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三条地震・シーボルト事件を記録した土浦の薬種商 文政11年11月中旬・色川三中「家事志」

2023年11月27日 | 色川三中
文政11年11月中旬・色川三中「家事志」

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第三巻をもとに、一部の大意を現代語にしたものです。

文政11年11月11日(1828年)
雨少々降る。
#色川三中 #家事志
(コメント)
今日の日記は天気だけ。そんな日もある三中の日記。

文政11年11月12日(1828年)朝曇
朝、五つ時過(午前9時ころか)大地震。
#色川三中 #家事志
(コメント)
この地震は三条地震です。震源は新潟県三条市付近。マグニチュードは6.9(推定)。震度7相当の揺れがあったと考えられ、死者1,000人以上、家屋全壊約10,000棟、焼失家屋1,000棟以上の被害が発生。三中は土浦におり、震源からは遠いのですが、「大地震」と感じています。
*三条地震の参考文献として、矢田俊文『近世の巨大地震』。「越後三条地震」に1章を割いて、当時の史料から被害を分析しています。


文政11年11月13日(1828年)
・昨夜、与市殿水戸から戻る。醤油の値上げを銚子と玉造の業者が共同して要求している。銚子組と玉造組の議定書の写しを入手してくれた。
・田中玄蕃の番頭が高浜に来るというので、船を出すよう要請あり。与市を至急遣わす。
#色川三中 #家事志
(コメント)
色川家のメイン事業は薬種商ですが、サブで醤油も製造しており、事業資金を借りてテコ入れしようとしているので(11月8日条)、醤油業の動向が気にかかるようです。天候不順もあって諸物価高騰、価格転嫁しないと醤油業が立ち行かなくなるという危機感をもっているようです。
「田中玄蕃」はヒゲタ醤油のこと。ヒゲタ醤油の本拠は銚子ですが、高浜(茨城県石岡市)辺りにまで販路を広げていたようです。



文政11年11月14日(1828年)晴
与市の孫が帯解きであるので祝儀として桟留一反を贈ろうとしてが、固辞されて受け取ってもらえず。
#色川三中 #家事志
(コメント)
帯解きは七歳女子のお祝い。七五三の由来になったお祝いの一つ。与市には世話になっているので、桟留を贈ろうとしましたが、固辞されてしまいました。与市には与市のプライドがあるようです。


文政11年11月15日(1828年)晴
冬至。夜、茄子のからを炊く。
#色川三中 #家事志
(コメント)
旧暦ですから、今日が冬至。今年(2023年)は12月22日が冬至なので約一ヶ月ずれています。「茄子のからを炊く」と書いてある意味がよくわかりません。そんな風習があったのでしょうか。

文政11年11月16日(1828年)曇
未明に地震。
#色川三中 #家事志
(コメント)
四日前(11月12日)に起きた三条地震の余震でしょう。未明に起きたので、ビックリして印象が強かったのかもしれません。今日の記事はこの一行で終わり。

文政11年11月17日(1828年)
#色川三中 #家事志
(コメント)
今日も天気だけ。最近短い日記が続きます。本文を訳すには楽で良いのですが、コメントを考えるのが難しい(笑)

文政11年11月18日(1828年)曇
・冬至も過ぎたというのに、かなり暖かい。
・与兵衛と佐助、鹿嶋に向け出立。
#色川三中 #家事志
(コメント)
冬至過ぎなのに暖かく(原文では「暖気不常」)、やはり天候がおかしい。いつもとは勝手が違うのですが、色川家ビジネスは順調のよう。営業担当(与兵衛と佐助)はまた鹿嶋方面に出張です。

文政11年11月19日(1828年)
・本日も暖かい。
・明日中に中高津の年貢として米十俵、餅米一俵を納めなければならず、川口の藤七を頼む。
#色川三中 #家事志
(コメント)
三中は薬種商ですが、農家(本百姓)でもあります。三中自身は農作業はしませんが、年貢を収める義務は色川家にはあり、年貢を納めるにあたっての人の手配等は、三中が行っていたことがわかります。

文政11年11月20日(1828年)晴
三中先生、本日は休筆ですが、昨日の記事でシーボルト事件について書いていましたので、抄訳します。伝聞ですので、不正確な事実が多々含まれています。
#色川三中 #家事志

#色川三中 #家事志 にみるシーボルト事件
・九州に台風が来て外国船二艘を山上に吹き上げて大破させた。長崎奉行が中を改めたら、詳細な国絵図が多数出てきた。
・長崎奉行は江戸に急報し、八日でその知らせが江戸に届いたという。御老中はすぐさま登城し、一時間して天文方高橋三左衛門を逮捕し、牢に入れた(その際上下の歯を抜いた)。
・詳細な国絵図は1年、2年で作成できるものではない。高橋氏の所持品はことごとく唐物であり、疑いの目が向けられたのであろう。
・詳細な国絵図が異国に持ち去られようとしたときに神風が吹いた。神風が船を砕き、生存者はわずか二名だった。弘安四年の故事(文永弘安の役)も思い出される。
いととうとくも、あなおそろしくも。




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