歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

桃山乱戦奇譚紀行第3回―岱崎砦の激闘―

2013-05-10 22:27:26 | 桃山乱戦奇譚
さて、続いては山中城岱崎砦へ。






右手に行けば旧東海道。
ここを豊臣の大軍が押し寄せたわけですが、、、













山中城のもっとも南側に位置する出丸が岱崎砦です。
元々、この出丸は豊臣軍の来援に備え急遽、作事が行われたもの。
未完成のまま、上方からの大軍勢に相対することになったようです。






一の堀、そして旧東海道方向。
守将は作中の通り、間宮康俊。
そして、作中では豊臣秀勝と一騎討ちを演じる舞台が、この岱崎砦です。


地図は事前に見ていましたが、かなり縦長のつくり。
そして、旧東海道とはかなりの高低差があるので、豊臣軍の先方も、
そう易々とはいかなかったのでは・・・と思います。
ちなみに、この山中城。ぐるりと一回りするには、約2時間を要します。



さて・・・紀行の途中ですが今日のベイ
よく打った多村
思い出すのは1998年7月14日、15日の同じ巨人戦。
前日14日は石井琢朗の涙のサヨナラヒットで勝ち、
そして2戦目。
一時は7-0までリードされながら、
佐伯の打ち直しホームラン、そして波留のサヨナラタイムリーで勝利!!
確かあの時は13-12。
誰が見ても、あの年のターニングポイントはあの試合。


あの2試合のスタメンで、今でも横浜に在籍して現役は三浦だけ。
他チームでも2戦目先発の斎藤隆、そして名球会男となった谷繁だけか?
今日のヒーロー多村は、この年は入団4年目だがこの年は1軍出場はなし。
あれから15年。チームは生き続けている。そう、それを久々に感じた。